その日の夕方、まどかと待ち合わせした俺は、彼女と一緒にパトロールに出かけた。だが結局魔女と遭遇することは無かった。
 遭遇したのは大型の烏のような姿をした使い魔、それもおびただしい数の。
 魔法少女に変身した俺は、次から次へと襲い掛かってくる使い魔たちを、長剣で切って切って切りまくった。
 俺の剣が触れると、禍々しい姿の使い魔は、次々にかわいいひな鳥の姿に変わっていく。

「はぁはぁはぁ」

「さやかちゃん、がんばって」

 QBを肩にのせたまどかが、後方から声援を送る。俺はそれに勇気付けられるように次々にマントの下から長剣を生み出しては烏を切り、或いは投げつけ、使い魔をぴよぴよと鳴くひな鳥へと変えていった。
 それは決して楽な戦いではなかったが、数をこなすことで戦いのコツを覚えるという意味では貴重な経験だった。
 どういう風に剣を使えば相手にヒットさせられるのか、朝の使い魔との戦い方を反芻しながらの戦いは、魔法少女として戦う要領を覚えるのにもってこいだったからだ。

 俺は戦いまくった。だが、さすがに数が多すぎた。
 戦いが終った後、俺のソウルジェムは明らかに澱みが増していたように見えた。

「さやかちゃん。ソウルジェムの色が濁っている」

『さやか、そろそろ魔女を相手にしないと、君にとって極めてまずいことになるよ』

「そんなこと、わかってる」

 魔女は案外近くにいたのかもしれない。だが初心者の悲しさか、結局その夜、俺は魔女の本体に近づくことはできなかった。




 魔法少女さやか☆アキラ
  第7話「おれってほんとばか」

 作:toshi9





 まどかと別れて家に戻ると、俺はベッドに倒れ込んだ。
 
『さやか、どうしたんだい』
 
「何だか、疲れた」

『当然だよ。君の戦い方は無駄が多すぎる。あんな戦い方をしていると、すぐにソウルジェムが真っ黒になってしまうよ』

 QBが忠告する。だが真っ黒になると、どういうことになるのかを知ってしまった俺にとって、それは脅迫とも受け取れる言葉だ。

「今度はうまくやるさ」

『魔女との戦いが、あんな生易しいものではないことはわかっているよね』

「一度戦ったんだ、強敵だということはわかっているよ。でも今度はもう少しうまく戦えると思う」

『自信を持つことは良いことだと思うけど、過信しないことだよ』

 QBの忠告が耳障りに感じる。
 俺が何も答えずに黙っていると、QBは少し間をおいて再び喋り始めた。

『さやか、ひとついいことを教えてあげようか』

「いいこと?」

『魔法少女は、体の感覚をコントロールできるんだ』

「感覚をコントロール?」

『戦って受けた痛みを100%感じていたら、すぐに身動きできなくなってしまう。こんな風に』

 QBは、俺のソウルジェムを前足でぎゅっと押さえた。

「あぐっ」

 その瞬間、胸をぎゅっと圧迫されるような痛みが俺の体を襲った。
 息ができないほどの苦しさだ。

「く、苦しい、い、息が……」

『どうだい、それが本来君が戦いで受ける痛みだ。でもそれを感じにくいように感覚をコントロールすることで、苦痛を感じずに強力な魔女と戦い続けることができるんだ。体に受けた物理的ダメージは、後で魔法で修復すればいいからね』

 QBはそう言うと、前足をソウルジェムから離した。すると、すぐに苦痛が無くなり、胸がすっと楽になった。

『さあ、感覚を鈍らせるように念じてごらん』

 言われるままに念じてみる。すると、再びQBが前足で押さえつけても、ほとんど痛みを感じることはなくなった。

「ほんとだ、痛くないや」

 QBが前足を離す。

『完全に痛みを遮断することも可能だけど、感覚が鈍いほど動きも鈍くなるから気をつけてね。逆に敏感にすることもできるよ。そうすれば魔女の攻撃に対する反応を早めることができる。うまく使い分けるんだ』

「ふーん、面白いな」

 俺は、試しに感覚が鋭くなるように念じてみた。

「感覚が鋭くなるよう念じてみたけど、なんかよくわからないな」

『そうかい? さやか、これはどう感じる?』

 ぺろぺろ

 QBは俺のソウルジェムを舐め始めた。

「な、何を……あうっ」

 次の瞬間、俺の全身をくすぐったさとも痛みともつかない、強烈な快感が駆け抜ける。

「何だこれ、全身をなめ回されているような……あ、あひっ」

 QBが丹念にソウルジェムを舐め続ける。
 それに合わせるように、唇を、胸の先を、そして股間を、指先を、足先を、わき腹を、体中を舐められているような感触が次々に襲ってくる。

「く、くすぐった……あ、あん、な、何だこの、あ、あひぃ」

『どうだい、気持ちいいだろう、それが女の子の感覚だよ、いや、今の君はその何十倍かの刺激を感じているのかな』

 ぺろぺろぺろ

「そ、そんな、俺はおとこ……そんなの、く、くはぁ、駄目、や、やめろ」

『さやかになりたいと願ってできた君のソウルジェムは、君の魂でできているけど、さやかのソウルジェムとほとんど同じものだ。それがどういうことかがよくわかるだろう。気持ちいいだろう、素敵だろう。だって君の魂は直接女の子の快感を感じているんだから。さあ、もっともっと感じるがいいよ』

 ぺろぺろぺろ

「あ、ああ、や、やめろ、やめ、やめてぇ、いや、いやあ」

 全身を快感が突き抜ける。
 体をよじらせて快感を堪えようとするが、体全体を嘗め回されるような快感は留まることを知らない。
 体の奥から何かが溢れてくる。そして股間からつつっと伝わり出て、股の内側を濡らしていくのを感じる。

「や、やめ、もう駄目、こんなこと、おれ、俺はおとこ」

『どこが男なんだい? 君は一晩中、その体でオナニーにふけっていたじゃないか。もう君は女の子なんだ。さやかになるのが君の願いじゃないか。そろそろ自分がさやかなんだって自覚したほうがいいと思うよ』

 尚もなめ回し続けるQB。

「だめ、気が狂いそう、もうやめ……やめてぇ!!」

 その瞬間、俺の中で何かがはじけた。目の前が真っ白になる。
 体がビクンビクンと痙攣していた。

   :
   :

「はぁはぁはぁ、はぁはぁはぁ」

『気がついたかい? 君には大事な役割があるんだ。変な抵抗してないで、早くさやかになってよ。そして魔法少女としてがんばるんだよ、さやか』

 ようやく正気に戻った俺に、QBはそう言うなり消えてしまった。

「はぁはぁはぁ、く、くそう、あんな小動物に翻弄されるなんて」

 屈辱だった。だがそれよりも、快感に浸りこんでしまった自分が情けなかった。
 あれが、女の子の快感。
 俺はベッドに体を投げ出したまま、涙目で天井を見上げているしかなかった。




 その翌朝も、俺はまどかやひとみと一緒に学校に向かっていた。
 QBは何事も無かったかのように、まどかの肩の上にいる。
 ひとみは俺と目を合わせようとしない。
 目が合おうとすると、彼女は俺の視線を避けるように顔をそむけた。
 ちくりと胸が痛む。
 ひとみに何か言葉をかけたかった。でも話すべき言葉が出てこない。

「ひとみちゃん……」

「え?」

「ううん、何でもない」

 あたし、恭介のことが好き。でもこんな体になってしまったんだもん。あたしは身を引いたほうがいいんだよね。それにひとみほうがきっとお似合いだよ。

 そんな思いばかりが湧いてきて、あたしの足取りは重くなるばかりだった。

「さやかちゃん?」

「え? なに、まどか」

「今夜のパトロールどうするの?」

「今夜は、行きたいところがあるからお休みする」

「そう、もし困ったことがあったら、すぐに教えて。あたしにできることがあったら、何でもするから」

 できることは何でもするか、あたしの悩みなんか何にも知らないで気楽に言ってくれちゃって。

 あたしは、心配そうに見詰めるまどかを、醒めた目で見ていた。
 その時、まどかの顔がぐにゃりと歪む。
 目眩があたしを襲っていた。
 違う、何かが……え? なに?

 俺は、はっと我に返った。
 今のは何だ? 俺、何て目でまどかを見ていたんだ!? 俺、何を考えていたんだ。

「はぁはぁ」

「さやかちゃん、どうしたの?」

「ちょ、ちょっと目眩が。でも、だいじょうぶだから」

 心配そうに俺の手を握るまどかの手を振りほどく。
 息が苦しい。
 俺は、俺は三ッ木晃、さやかになりたいと願ったけど、俺は俺なんだ。心は、いやだ。
 ふとソウルジェムを見ると、黒い濁りが宝石の半分を覆っていた。



 その日は1日体がだるかった。
 休み時間になっても机に座ったまま離れようとしない俺を、まどかが心配して声をかけてくれるのに、それを素直に受け取れない。
 妙にいらいらして、うっとおしく感じてしまうのだ。
 俺、何でまどかをこんなじゃけんにするんだ。こんなの絶対おかしいよ。
 でも理性でそれがわかっていても、どうにもできない。
 心がもやもやしていた。
 頭の中に霧がかかったように、何かすっきりしない。
 どうしたんだ、何でこんな。
 ほむらが、そしてもうひとつの視線がじっと俺の様子を観察するように見ていたことにも気づかす、俺は苦悩していた。



 放課後、俺はまどかやひとみと別れて、電車に乗った。
 向かったのは、両親のところ、つまり自分の家だ。
 救急車に乗せられた自分の体がその後どうなったのか、自分の目で確かめずにはいられなくなったのだ。
 会社勤めを始めてから家を出て一人暮らしをするようになったけれど、自宅はそれほど遠くに有るわけではない。
 電車を乗り継ぎ、バスに乗り、そして自宅までの道を歩く。

 そして俺は家の玄関の前に立った。
 だが扉を開けようとして、今更ながら家の鍵を持っていないことに気がついた。
 そう、今の俺は家の鍵を持っていない。だから入ることもできないし、例え入ることができたとしても、別の街に住む女子中学生である今の俺は、家族にとって何の縁もゆかりもない不審者に過ぎない。
 それでもドアホーンを押そうかどうか迷っていると、後ろから声をかけられた。

「あの、どなた? うちに何か御用かしら」

 振り返ると、そこには高校の制服姿の妹が立っていた。

「え? あ、あの、晃さんは」

「え? あなた中学生でしょう。兄貴に何の用? まさか変なことされちゃったとか? でも、あのいくじなし兄貴がそんなことするわけないか」

「い、いえ、その、晃さんとネットで知り合ったんですけど、あ、その、変な意味じゃなくって、あたしがネットで書き込んだ悩みに親身な返事をいただいて、それからお知り合いになったんですけど、ここ数日連絡が取れなくなってしまって」

「ふ〜ん、あの兄貴にそんなところがあったなんてね」

 じろじろと俺を見る妹。
 そんなに見るな、恥ずかしい。

「せっかくきてもらったのに、ごめんね。実は今日これから通夜なんだ」

「え?」

「だから、うちの兄貴のお通夜。あいつ、急死してしまって」

「そ、そうなんですか」

 予感はしていたけど、やっぱり俺の体は死んでしまったんだ。それも今日が通夜だって!?
 何となく行きたくなったのは、虫の知らせというやつなんだろうか。
 ショックで口も聞けずに立ちすくんでいる俺の様子を見て、妹が優しく俺を抱き締める。

「ありがとう、来てくれて。もし良ければ、せめてお線香をあげていってくれるかな」

「は、はい、是非」

「あなた、名前は?」

「あの……さやかです」

「そう、あたしは梓。よろしくね、さやかちゃん」

 それから俺は妹と一緒に葬祭場に行った。
 会場の中には、祭壇と、そこに飾られた俺の写真、響く読経の声、そしてすすり泣き。
 俺の父親は鎮痛な表情で顔を伏せ、母親はハンカチで目を押さえている。
 さっきまで元気そうにしていた妹も、泣き出していた。

 俺は一般参列者に混じって、焼香をした。
 自分の写真に向かって一礼し、そして家族に向かって一礼する。

 変な感じだった。だが俺が家族にとって他人になっていることを思い知らされた。
 俺と、俺のことを知っている全ての人との間に有った筈の絆は最早そこには無い。



「さやかちゃん、今日はありがとう」

「あ、いえ、こちらこそ連れてきていただいて、ありがとうございました」

「あたし喧嘩ばっかりしていたけれど、あれはあれでいい兄貴だったんだ。あたし、好きだったんだぞ、晃。ぐすっ」

 妹がすすり泣く。

 いたたまれなかった。何でこんなことに……俺ってほんとばかだ。
 俺はお前の前にいるんだ、俺が晃だ、お前の兄貴なんだ、そう叫びたかった。そして妹を抱き締めてやりたかった。でも妹を見上げる体になってしまった俺は、もう晃じゃないんだ。
 胸が張り裂けそうだった。俺も妹と一緒に大声で泣き出しそうだった。
 でも溢れてきそうになる涙を堪えて、妹の手をぎゅっと握り締める。

「あ、あの、元気にしてください。お兄さんが泣いているあなたを見たら、悲しむと思います」

「ありがとう、年下になぐさめられちゃったな。てへっ」

 そう言って舌を出し、自分の頭をこつんと叩く妹。

 かわいいよ、梓。
 そうだ、笑ってくれ。
 こんな体になったけれど、俺はずっとお前のことも見守っているから。

 俺はそう思いながら、妹を見た。勿論、そんな俺の気持ちが伝わる事はない。
 妹は俺の手をぎゅっと握る。

「あなたもがんばるのよ、さやかちゃん」

「ありがとうございます。そ、それじゃあたしはこれで」

「さやかちゃん、今度遊びに来てちょうだい」

「はい必ず、梓お姉さん」

 妹の梓に「お姉さん」と言うなんて考えられない筈なのだが、俺はごく自然にそう返事していた。




 葬祭場からの帰り、俺は一人電車に乗り込んだ。
 田舎の電車は乗客も少ない。
 薄暗い車両の中には、葬式帰りの乗客が数人乗っているだけだった。

 俺は、流れる暗い車窓をぼーっと見ていた。
 ふと、乗客の会話が耳に入ってくる。
 話をしていたのは葬式に参列していたらしき二人のサラリーマンだった。よく見るとそれは俺の会社の人間、上司の山本課長と、同期で入社した加藤だった。

「課長、お疲れ様っす」

「ああ、こんな田舎まで来る羽目になるなんてな」

「全く、あいつが死ぬなんて、想像できなかったっすよ。やっぱ自殺すっかねぇ」

「さあな。だが晃の奴、最近成績が下がって落ち込んでいたからな。ま、所詮あいつには無理だったのさ。いつまで経っても甘ちゃんだよ。何が顧客を騙せないだ、会社の利益が第一だろう。全く馬鹿な奴だ。ま、馬鹿な死ななきゃ治らないってね、ははは」

「そうっすね。課長、晃の分まで俺が契約がんばりますって!」

 俺の葬式からの帰りだというのにへらへらと笑っている山本課長。それに追従する加藤。
 俺は二人の会話に言いようの無い怒りを感じていた。

「お前たち、本当にそう思っているのかよ」

「お嬢ちゃん、誰? おい、お前の知り合いか?」

「俺はがんばったんだよ。必死だった。それをお前たち、よくもそんな風に」

 二人を睨みつける。だが二人ともきょとんとしている。何で俺が怒っているのか全く理解できないといった様子だ。

「お嬢ちゃん、何を怒っているのかわからないけど、社会って厳しいんだよ。お父さんによく聞いてみるんだね。だから子どもは早く家に帰んな」

 俺に関心無さげに視線をそらす加藤。
 今まで俺とそれなりに苦楽を共にしてがんばった仲間だと思っていた。
 山本課長だってもっと俺の事を気にかけてくれていると思っていた。
 それなのに、こんなのって……俺は無性に腹が立った。

「この街を守るって、俺はお前たちまで守らないといけないのかよ、俺が、この俺がお前たちを」

「おい、この子」

 山本課長が頭の上で指をくるくると回す。

「課長、行きましょうっか」

 二人は立ち上がると、他の車両に移っていった。

「おい、待て、待てよ、うっ、うっ、うっ」

 涙が止まらなかった。



(続く)




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