叶えられた願いU(その2)

 作:toshi9





 はっと気がつくと、明雄はハンドルを握っていた。そう、彼の意識が離れている間に明雄の体は車を運転していたのだ。

「うわっと」

 一瞬何が起きたのか理解できず、信号無視で交差点を走り抜ける明雄。左右からクラクションが鳴らされる。

「危ない危ない、何時の間に運転してたんだ。……そ、そうか、もう一人の俺がさっき店を出た後、ここまで運転してきていたという訳か。なるほど、店主が言ってた事ってこういうことなんだな」

 運転している自分の膝上にあの人形が乗っかっているのに気がついた明雄は、驚きながらも店主の言葉を思い返していた。

 しかも記憶を辿ってみると、自分では体験していない筈の店を出てから車を運転するまでの記憶がちゃんとある。勿論さっきまでの白いワンピースの女の子になっていた時の記憶もだ。

「うん、なるほどなるほど、こりゃすごいもんだ。それにしてもあの店主、最後に何か言いかけていたが何を言いたかったんだか……まあ、いいか」

 店主が最後に何を言いたかったのかちょっと気になったものの、人形の効果をその身で体験した明雄は、運転しながら徐々に興奮を覚えてくるのだった。

「ふふふ、そうか、この人形を誰かに触れさせれば、俺はその人間になれるってことか。男でも女でも、大人でも子供でも」

 短時間とは言え少女になってしまった不思議な体験を思い返しつつ、さてこれからどんな風に人形を使ってみようかとあれこれ心の中で思い描く明雄だった。だが、突然後ろから呼び掛けられた拡声器の声によってそれは中断された。

「そこの車、停まりなさい!」

 ルームミラーで後方を見ると、彼の車の後からミニパトがぴたりと追走している。

「もう一度言います。早く停まりなさい!!」

 慌てて路肩に車を寄せて停車させる明雄。

 ミニパトは彼の車の前を塞ぐように急停車する。

 そしてその中から一人の婦警が出てきた。

 それは25、6歳くらいの、長身ですらりとスタイルの良い体に膝上丈のタイトスカート、青い半袖シャツ&紺色のネクタイ、丸い帽子という婦人警官の夏の制服を颯爽と着こなした婦人警官だった。

 お、美人!

 内心そう思った明雄だったが、険しい表情で近寄ってきた彼女が発した厳しい言葉にその淡い想いは打ち消された。

「君、免許証」

「ええ?」

「信号無視よ。全くいい年して暴走行為なんて危ないったらありゃしない」

「そんな、俺は……待ってください。これは事故です」

「何言ってんのよ。あなたがもう少しで事故を起こすところだったんでしょう。ほら、早く出して!」

 やれやれ、いくら説明してもこりゃ信じてもらえそうもないな。

 明雄は渋々と免許証を差し出そうとしたが、その時ピンと頭の中に閃くことがあった。

(ふふふ、そうだ。早速試してみるとするか)

 明雄は髪の毛を1本引き抜くと、素早く人形の扉の中に入れた。

「君、どうしたの」

「すみません。あれ? 免許証どこにやったんだろう。あ、ちょっとこれ持っててもらいませんか」

「何よ、この変な人形……ひっ!」

 婦警は明雄の差し出した人形を何気なく受け取った。

 そしてその瞬間、明雄の視界は暗転した。





 気がつくと、明雄は自分が車の外に立っているのに気がついた。

 車の中からは、ドア越しに明雄自身が怪訝そうな表情をして明雄のほうを見ている。

「婦警さん、急にぼ〜っとしてどうしたんですか。ほら免許証」

 目の前のもう一人の明雄が、明雄に免許証を差し出す。それを受け取ろうとして、右手に人形を持っていることに気がついた明雄は、慌てて人形を左手に持ち替えたが、その時今の己の指がほっそりとしなやかなものになっているのに気がついた。

 きちんと切り揃えられた桜色の爪が、その手が今までの自分のものではないことを明雄に物語っている。

 明雄がドアミラーに映った己の姿を覗き込むと、そこにはさっきまで険しい表情で自分を睨んでいた婦警が映っていた。

(せ、成功だ。俺って今この婦警になってるんだ。この指、そしてこの胸の、脚の感触、ふふふ間違いない)

 胸を締め付けるブラジャーや下半身をきゅっと覆ったパンティストッキングの感触、タイトスカートのスリットから吹き込んでくるひんやりした風が、これが現実であることを明雄に実感させていた。

 そう、彼は今の自分が女性の服を、いや婦人警官の制服を着ていることを肌で感じ取っていた。

「あ、あのう、婦警さん一体どうしたんですか」

 再びもう一人の明雄が心配そうに聞いてくる。

「……あっ、ごめんごめん。どうやらあたしの勘違いだったみたい。免許証はいいから。君、もう行ってもいいよ」

「せ、先輩、いいんですか? その男、信号無視の現行犯じゃないんですか」

 ミニパトの中からかわいい婦警が顔を出す。

(俺は、いやあたしは矢田美保子。あっちの婦警は……えっと……松本ゆかり。警察学校を卒業してうちの署に入署したばかりで、あたしが指導中の新人か。ん? あたし? 何だか自然にこの婦警のように考えて……ふふふ、こりゃあほんと面白い)

 至極自然に乗っ取った矢田美保子の記憶を思い出しながら、明雄は心の中でにんまりと笑っていた。だがその外見はあくまでも颯爽とした婦人警官だ。

 そう、彼女は誰が見ても婦人警官・矢田美保子。しかしその中身は最早営業マンの小坂明雄なのだ。

 美保子はゆかりに顔を向けると、顎に指を当てて答えた。

「んーと、そうだったかな。さっきの信号ってまだ黄色だったんじゃないの?」

「ええ? でもぉ、先輩が……」

「いいからいいから。あたしたがそう言うんだから間違いないの。ほら、君、ぐずぐずしてないで早く行きなさい」

「はあ。それじゃあ」

 もう一人の明雄はいぶかしげな表情を見せながらも、窓を閉めるとそのまま走り去ってしまった。

「犯人を見逃すなんて、先輩らしくないじゃないですか。一体どうしたんですか」

「ふふふ、いいのよ。あたしの勘違いだったんだから。さあ、ゆかり、行きましょう」

 そう言いながら中身が明雄になってしまった美保子は、人形を手にミニパトの助手席に乗り込んだ。

「……はい」

 納得いかないという表情を見せながらも、ゆかりは窓を閉めると、そのままミニパトを発進させた。そう、指導員である美保子の言うことは絶対のゆかりにとって、それ以上彼女に反論する理由はない。

 その隣に足を組んで座った美保子は、横目でゆかりのほうをちらりと見てにんまりと笑った。その手は丈の短いタイトスカートから伸びる太ももの上に置かれているが、まるでパンティストッキングに包まれたその張りのある感触を確かめるかのようにゆっくりと撫で回していた。

 満足そうに笑う美保子。

(いいねぇ、今の俺って本当に婦人警官に、いや女になっているんだ。へへっ、お触りバーにでも行かなきゃ堂々と女の太ももなんて触れないけど、これは俺の太ももだもんな。ふひひ、触り放題だぜ)

 ひとしきり美保子の太ももの感触を楽しんだ明雄は、今度はその両手をスカートの上に持ってくると、股間の上で重ね合わせた。そしてゆかりに見えないように、右手で覆い隠した左手の指先を己の股間にぎゅっと押し付けた。

 押し付けては離す。それをゆっくりと繰り返して盛り上がりの何もないその場所を刺激しながら、美保子はほんのりとその頬を紅潮させ、興奮を高まらせていた。

(ふ、ふうぅ、俺のここに女のアレが……は、はふぅ、何かほんとたまんないぜ。あうっ……う、ううん)

 じゅんと何かが股間の奥からこみ上げてくるのを感じた美保子は、口から漏れそうになる吐息を危うく堪えた。

 だがハンドルをぎゅっと握り締めてじっと前方を凝視して運転している新人婦警のゆかりには、自分の隣に座っている美保子がそんなことをしているなどと気付く余裕はなかった。





「えっと、先輩、今日の取り締まり区間って、この辺でいいんでしたっけ」

 信号待ちの最中、そう言いながら唐突に振り向いたゆかりに、美保子は慌てて指の動きを止めた。

「あ、うん。そう、この信号の先からよ」

「あれ? どうしたんですか先輩。何か顔が赤くありません?」

「え? そお? ほら、その信号を過ぎたら車を停めて頂戴」

 内心少し焦ってゆかりに指示しながら、美保子は、いや明雄は笑みを浮かべていた。

(おっと、これ以上のお楽しみは先にとっといて、しばらく婦警のお仕事ってやつをやってみるとするか。そうさ、今の俺はなんたって美人の婦人警官なんだからな。ふふふ、えーっと今日のあたしたちの業務は……っと、そうそう、この繁華街の駐車違反の取り締まりよね)

 美保子の記憶を思い出しながら、明雄はにっと笑った。

(そ、そうか、この俺が駐車違反の取り締まりをできるんだ。そうだよな、なんたって今の俺は、いいえあたしは婦人警官なんだから)

 明雄は今まで何度と無く駐車違反の取り締まりをくらっている。

 路肩に停めた車に戻って、そのタイヤの下に引かれたチョークの白い線と、窓に貼られた違反シールを見るたびに落胆とくやしさに心が満たされたものだ。

 この前など、取り締まられている最中に車に戻り、危うく難を逃れたとほっとしたのもつかの間、婦警たちは明雄の釈明に全く耳を貸さずに「違反は違反よ」と窓に駐車違反シールを貼って行ってしまったのだ。

 こっちの事情はお構いなし、情のかけらも無く事務的に取り締まる婦警たちのことを、明雄は常々苦々しく感じていた。

 だが今や明雄自身が他人の駐車違反を取り締まれる立場なのだ。その事実に思わず含み笑いを漏らす明雄だった。

「ふっ、ふふふふ」

「??? どうしたんですか? 先輩」

「え? 何でもない。何でもないの。さあ、バンバン取り締まりましょう」

「先輩ったら、張り切ってますね」

「まあね」





 ミニパトを下りて、細長いチョークを手に一台また一台とタイヤを地面に線を引いていく二人。みるみる辺りに停められている車に白線が引かれていく。

 そして繁華街を一回りしてくると、今度はチョークで白線の引かれた車に次々と違反シールを貼っていく美保子とゆかり。

 か、かいか〜ん。

 一枚、また一枚と窓ガラスにシールを貼るたびに、歪んだ快感に心振るわせる明雄だった。

「ふ、婦警さん、ちょっと待ってくださいよ」

 振り返ると、はぁはぁと息を切らしたサラリーマンらしき男が、赤い顔をして駆け寄ってきていた。

(お? 松中じゃないか)

 それは明雄と同じ課のライバル、松中だった。彼のおかげで明雄の成績はいつもNo2に甘んじている。

「ほんの数分車から離れていただけじゃないですか、勘弁してくださいよ」

「ふふ、駄目駄目、さっきここを見回ってから15分は経っているわ。違反は違反。後で必ず署に来るのよ」

 そう言いながら美保子は目の前の松中の車の窓にべたっと勢い良くシールを貼った。

「そ、そんなぁ」

(ふふふ、いい気味だ)

 落胆する松中を見て優越感に浸る美保子、いや明雄だった。

 やがてその繁華街一帯の取り締まりを終えた二人は再びミニパトに乗り込むと、車を署に向けて走らせた。

「今日の先輩っていつもと違うみたい」

「え? そお?」

「なんか違反シール貼るのを楽しんでませんでした」

「そ、そんなことないわよ。それに駐車違反を少しでも減らすのが私たちの務めでしょう」

「それはそうなんですが……」

「さあ、もう遅くなったし、署に戻りましょう」

「はーい」




 署の駐車場にミニパトを停めた二人は、交通課に戻った。

 背筋をピンと伸ばして敬礼し、交通課の部屋に入る美保子。その制服姿は美しくも凛々しい。

 実際は明雄が美保子の記憶に従って美保子の真似をしているに過ぎないのだが、勿論それに気付く者は誰もいない。

「ただ今パトロールから戻りました」

「ご苦労さまです、矢田巡査長」

 何人かが、そう言って彼女を迎える。

「どうだい、矢田くん。松本くんは」

 山部課長がにこやかに笑いながら話しかける。

「はい、新人ながらがんばってますよ」

 そう言いながら、美保子は隣に立っているゆかりのほうを見て笑った。

「そんな……あたしなんてまだまだ」

 ぽっと顔を赤くするゆかり。

「ふふっ、そんなことないわよ」

 パチリとウィンクする美保子。

「ふむ、まあとにかくご苦労さん」

「はい。それでは失礼します」

 課長席の前から自分の席に戻ると、美保子は当たり前のように椅子に座ってパソコンを開いた。勿論美保子のパソコンのキーワードも今や明雄のものだ。すらすらと思い出せる。

 美保子は、いや明雄はキーボードを叩いて報告書を作成しながら、これから何をしようか考えていた。

(それにしても面白い。どうやら何も考えなくても無意識に矢田美保子として行動しちゃうんだな。さて……と、これから何をしてみようか。えーっと、これを書き上げたらもう今日の仕事は終わりなんだよな。寮に帰って、それから……寮!? 女子寮か)

 そう、美保子としての記憶を思い出してみると、矢田美保子は25歳ながら警察の女子寮住まい。しかもゆかりと同室だ。それを知った明雄は内心じゅるっと舌なめずりをしていた。

(ふふふ、男子禁制の女子寮、それも婦人警官の。しかもあんなかわいい子と同室なんてな。今夜はお姉さんがかわがってあげるからね、子猫ちゃん……なんてね。うひっ)

 パソコンに向かう美保子の口からは、だらしなくよだれがこぼれていた。




(続く)


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