生皮【いきがわ】

作:toshi9





 ある蒸し暑い夏の夜のこと、残業ですっかり帰りが遅くなった松尾靖志は終電に乗る羽目になってしまった。

 改札を出ると時計は既に0時を回っており、駅近くのラーメン屋で急いで夜食を済ませた靖志は、人の往来が途絶えた家路を足早に歩いていた。

 だがその時ちょっとした事件が起きた。

 あと50mも歩けば自宅という近くのマンション横まで来た時、突然彼の頭上から叫び声がしたのだ。

「助けて……!!」

「え!?」

 驚いて見上げた靖志の目に飛び込んできたのは、ひらひらと舞い降りてくる黒い影のようなものだった。

「な、なんだ!?」

 驚いて立ち止まった彼の足元にふぁさりと落ちたそれは、暗がりで色合いはよくわからないものの、薄いビニールシートのようなものだった。

「なんだ、驚かしやがるぜ」

 再び真上を見上げると、マンションの3階の部屋の窓が開いており、中のカーテンが揺れていた。

「あそこか。全くこんなものを放り投げるなんて何を考えてるんだ。けど、あの叫び声は?」

 腑に落ちないまま落ちてきたビニールシート状のものを拾い上げた靖志だが、それを握った瞬間ぎょっとした。

 生暖かいのだ。

 しかもその感触はつるっとしたビニールのそれではない。弾力のある、まるで人の肌に触ったかのような感触だった。

「な、なんだこりゃあ?」

 月明かりを頼りにシートを広げてみると、そのシルエットは人の形、しかもどうやら女性の体型を型どっているように見える。

「ははぁ、これって去年紅白で騒ぎになった全裸スーツってやつか」

 そう言えば、紅白であの女性ダンサーたちが着ていた全裸に見えるボディスーツが販売されたってニュースになってたな。

 そんなことを思い出した靖志は、何故それがここに落ちてきたのか疑問に思うよりも、初めて見た全裸スーツが珍しく、広げたそれをじっと見詰めていた。

 背の丈は160cm位だろうか。弾力はあっても生地の厚さが薄いのかぺらぺらだった。だが女性の体そっくりの曲線を描いているように見え、胸の部分にはたぷっとたるみがあるのがわかった。

 恐らく女性が着れば、そこがそのまま乳房の膨らみになるのだろう。

 ごくっと生唾を飲んで両脚の付け根の股間の部分に目をやると、そこにはぴたりと閉じられた縦のすじが妙にリアルに形造られている。

「うわぁ、こりゃあテレビでNGになるわけだ。あれ? これ頭がついているじゃないか」

 よく見るとその全裸スーツには首から上の部分、つまり頭もきちんとついていた。顔は造型までは暗くてよくわからないものの、鼻も唇もしっかり作られているようだ。おまけにさらさらした手触りの髪の毛までもちゃんとついている。

 裏表をひっくり返すと背中には細い筋があり、うなじの部分にはファスナーの取っ手のようなものもついていた。

「ふーん、ここを開けて着るのか」

 歌番組の本番で女性バックダンサーが局側と打ち合わせ無しに着て出演し、裸で踊っていると大騒ぎになった全裸スーツ。今や宴会芸用に引っ張りだこらしい。

 全裸スーツが話題になった頃、靖志自身も社内旅行の宴会で使ったら面白いかもと本気で考えていた。

 だが全裸スーツを着て首から下だけ女の体になって踊る己の姿を想像してすぐに失笑してしまっていた。

「……変態だな。男の俺が着ても気持ち悪いだけだよなあ」

 そう思ってすぐに思いとどまったのだった。

 だが、今彼の目の前にある全裸スーツは、体全体を覆い隠してしまう。

「これだったら……」

 頭のてっぺんからつま先まで全身をすっぽり覆うことのできる女性の体を形取った全裸スーツだ。きっと首から下だけの全裸スーツと違って体型以外は全部女の子に見えるんだろうな。

 そう思った途端、スーツから伝わる生暖かい手触りが彼にむらっとした衝動を湧き上がらせた。

「このつるっとした肌触り……俺がこれを着たら、俺がこの裸の女の姿になるんだよな。どんな感じなんだか……ふふふ、なんだか面白いものを拾ったぜ」

 3階の落とし主に届けようという考えは、その時彼の頭の中からすっかり消えていた。

「たす……けて……」

「え? だれ?」

 再びさっきの声がした。

 靖志は、辺りをキョロキョロ見回したが、やはり彼の周囲には誰もいない。マンションの窓からも誰も顔を出さない。

「気のせいか!?」

 彼は手に持った全裸スーツをくるくると丸めるとカバンの中に押し込み、そそくさと自宅に戻った。

 胸の鼓動をどきどきと鳴らしながら。





 さて、自宅に戻って手早くシャワーを浴びると、靖志はトランクス一枚のまま缶ビールを冷蔵庫から取り出しプルタブを開けるや、ぐいっと一気に飲み干した。

「ぷはぁ〜、旨い……そうそう、アレアレ」

 拾った全裸スーツのことを思い出すと、靖志は丸めたスーツをカバンから取り出して絨毯の上に広げた。

「ふーん、見れば見るほどよく出来てるな」

 月明かりでは、はっきりわからなかったディテールが、部屋の灯りの下でくっきりとわかる。

 中身が無いのでぺらっと薄いものの、胸には大きな膨らみがあり、また股間には陰毛こそ無かったものの本物の女性器そっくりの切れ込みが作られていた。

 その顔立ちも容姿も20代前半の女性、それもグラビアアイドルのような美女をかたどっているように見える。絨毯の上に広げたそれは、全裸スーツと言うよりも、まるで生きている女性から剥ぎ取ったばかりの皮のようだった。

(着てみたい。これを被ったらどんな感じになるんだ)

 ビールのアルコールが回ってきたことも手伝って、それを見ている靖志の頭の中にむらむらとした衝動が湧き上がってくる。

「よ〜し!」

 缶ビールをテーブルに置いて全裸スーツを拾い上げた靖志は、背中のファスナーを下ろして中に手を差し入れてみた。

 内側をまさぐると、すべすべして、適度な伸縮性を感じる。

(これなら俺でも着られそうだな)

 そう感じた靖志は、開いたファスナーを両手でぐっと広げると、その中に片足を突っ込もうとした。

「……う〜ん、ここ……どこ……?」

「え? だれだ」

「……おかしい……体が……動かない」

「え? え?」

 それはさっき道路で頭上から聞こえた女性の声だった。
 慌てて靖が全裸スーツをひっくり返すと、さっきまで目を閉じていた筈のスーツのぺらっとした女の顔が、ぱちっと見開いて靖志をじっと見ていた。

 仰天する靖志。

「げげげ!」

「誰……? どういうこと……? ここはどこ……? ううっ……体に力が入らない」

 途切れがちに呟きながら靖を見詰めていた女の表情が不安そうに歪む。

「お、お前生きているのか?」

「生きている? 当たり前……。でもさっきから体が動かない……どうして?」

「そんなこと知らないよ。お前のほうが突然落ちてきたんじゃないか」

「落ちてきた? そ、そう言えばここは?」

「ここは俺の家だ」

「俺の家?」

「そうだよ。それにしても喋る全裸スーツとはびっくりしたぜ。面白い。うん、面白いぞ」

 靖志は皮状の女の顔を見ながら、にやりと笑った。

「喋る全裸スーツ? 面白い? ちょ、ちょっと」

 生きて喋る女の皮。それを気味悪いと思うよりも、靖志の中にはむらむらした衝動が、ますます高まっていた。

 彼のトランクスの股間は彼の気持ちを表すように、こんもりと膨らんでいた。

「少し黙ってなよ。えーっと、それじゃあ」

 女の皮を再びひっくり返すと、靖志は無言でトランクスを脱ぎ捨てて裸になった。そしてファスナーを両手でぐいっと広げ、強引に足を突っ込んだ。

「……ひあっ!」

 その瞬間、女の皮が小さな叫び声を上げる。

「な、何? 何か背中から何かを押し込まれたような……あぐぅ、入ってくる」

「ちょっと着させてくれ」

「着させて? 言ってる意味がわからない……ぎひぃ」

「ほら」

 両脚を女の皮の足の奥までしっかりと潜り込ませた靖志は、立ったまま足先から下半身までをしっかり引き上げて体にフィットさせると鏡の前に立った。

「へぇ〜、何か変な感じだな」

「ち、違う!」

 靖志は鏡に向かって女のぺらぺらの顔と上半身を胸にあてがいながら持ち上げ、映っている姿を見せつけた。動けないという彼女は、目尻を小さく歪ませる。

 鏡に映っているのは、下半身は一つしかないのに、美女とその後ろから抱きついてる靖志という二つの上半身を持った奇妙な人間の姿だった。

 靖志がフィットさせた下半身は、女性らしいふくよかさは無いものの、無駄毛のないすね、きめ細かな肌、そして股間にあるのは男のシンボルではなく女性のシンボルになっていた。

 靖志は鏡を見ながら片手で己の股間についた女性のモノを、くにっと無造作にまさぐった。

「はうっ」

 困惑の表情を浮かべていた女の顔が苦痛に歪んだ。

「へえ〜、女のこれが俺の股間についているなんて、何かおかしな感じだな。しかもこの柔らかさ、本物そっくりだぜ」

「ちょ……ちょっと待って……そうだ、思い出した。違う、これは違う……あひぃ!」

 何かを言おうとする皮の美女の言葉を全く無視して、靖志は自分の上半身まで皮を勢い良く引き上げると、上半身にもフィットさせようとした。

「さてと、それじゃ全部着てみるか。ふーん、よく伸びるな。これならちゃんと着られそうだ」 

「着る? バカ……や、やめろ、気持ち悪い……出て行け、早く出て行って……あ、あ、あひゃっ」

 女の叫びを無視して両手を皮の中に突っ込んだ靖志は、女の腕の皮に腕を差し込むと、指先まで自分の腕にフィットさせていく。

 最早彼は首から上だけを残して、すっかり女の皮を着込んでいた。

「入ってる……体の中に……嫌だ、気持ち悪い……う、うげえ……」

「へええ、よく伸びるもんだな。面白い、面白いぞ」

 両手で垂れ下がった女の頭を持ち上げると、鏡に映ったその顔は涙を目に溜めて何か言いたそうに口をぱくぱくさせるばかりだった。

「じゃあ頭も被ってみるぞ」

「……や、やめろ、ボクは……ぎひぃ」 

 靖志は、何かを訴えようとする女の頭の皮の中に強引に持ち上げ、己の頭を突っ込んだ。

 最初は抵抗感があったものの、女の頭の皮はずるずると靖志の頭を受け入れ、彼の頭は少しずつその中に入り込んでいく。そして急にすぽっとはまり込んだ。

 靖志の頭が、いや彼の体が完全に女の皮の中に納まった瞬間だった。

「くふう、入った入った」

 女の頭の皮を自分の頭にフィットさせようと両手で位置を調節すると、視界がぱっと開ける。

「へぇ、なかなかいいじゃないか」

 そう言いながら下腹をさする靖志。

 彼の指がさすっているのっぺりした下腹には、皮を持ち上げるソーセージ状の盛り上がりができていた。

 その盛り上がりを手の平で隠して鏡に己の姿を映す靖志。

 その姿は、体型こそ元の彼と同じながら、大きく盛り上がった胸、縦に刻まれたスジ以外何もない股間、つるりとした肌、そして20代の女の顔に変わっていた。

 興味深げに鏡を見詰めるその表情は、靖志の言葉とは裏腹に涙目のままだった。

(や、やめろ……気持ち悪い……出て行って)

「あれ? 声がまだ聞こえる? ……まあいいじゃないか。へえすごいな、体型はともかく、俺ってちゃんと女に見えるじゃないか」

 頭の中に響く女の声に耳を貸さずに鏡の前でくっと腰を捻った靖志は、その背中が開いたままだということに気付いた。

(やめろ、もうやめて!!)

「ぎゃんぎゃんとうるさいなあ。おっと、これを閉じないと」

 靖志は後ろ手に背中のファスナーを一気に引き上げた。

(あぎゃあっ!)

「よ……っと、こんな感じかな、おっ!」

 普段は体が硬くて背中に腕を回せない筈だが、不思議に背中に腕が回る。そしてきついものの、ファスナーは徐々に引き上げられる。そしてうなじの上まで引き上げた瞬間、異変が起こった。

「よしこれで全部……あれ? 声が」

 靖志が呟いた声は女の声に、それもさっきの女の声に変わっていた。

「へぇ〜不思議だ、俺の声が女の声になってる」

 靖は腰に手を当てて鏡の前でポーズを取った。

(バカ、やめろ、早くボクの中から出て行け、気持ち悪い)

 靖志に着られてしまった女は靖志の頭の中で弱々しく叫んでいた。だが自分では体を動かせない彼女の叫びは靖の頭の中で空しく響くばかりだった。

「気持ち悪い? いいじゃないか、それより少し黙っててくれよ。へぇ〜この美人が俺か……あれ?」

 その時靖志は奇妙なことに気が付いた。

 少しづつ背が低くなっている。それどころか体全体が細くなり、柔らかい線を描き始めていた。
 体型が女性のような華奢なものに変化していたのだ。

 空ろにたるんでいた胸が、風船が膨らむように大きく盛り上がっていく、お尻がもりもりと張り出していく、腰の線がさらに細く絞り込まれていく。そして下腹を盛りあげてたソーセージ状の盛り上がりもすっかり膨らみを無くして平べったいものになっている。

 数分後、靖志の姿は20代前半のむっちりした体型の美女そのものに変わっていた。

「うわぁ〜面白れえ、これじゃ誰がどう見ても俺って女じゃないか」

 鏡に映る女の表情も、何時の間にか靖の意志そのままに、好色そうな笑いを湛えていた。

 大きく膨らんだ胸をそっと触る。 

「あ……う……」

 胸のぽっちをゆっくり撫でてみると、ざわざわとした快感が湧き上がった

「これ、感じるんだ」

 手の平で乳房を撫でる。

「ふひゃあ」

 き、気持ちいい。

 何度も胸をこねくり回す靖志。

「あ……くぅ……いい……気持ちいい、た、たまらん」

 立っていられなくなり、胸を揉んだままその場に座り込む靖志。

 その股間にじゅんとした快感が走る。

「こ、ここも」

 股間に指を這わせる。

 だが乱暴な指使いに痛みが走る。

「いたっ!」

 指をソコから離すと、今度はゆっくりと触れた。

「いかんいかん、そっと、やさしく……だな」

 なるほど、女が「やさしくしてね」って言う筈だ。

 妙に納得しながら、靖志は指でゆっくりとその回りをさす。

「う、い……いい」

 快感とともに段々と奥のほうからじくじくとした液が染み出してくる。

「おれのココ、濡れてるんだ、あ、あふぅ」

 指を這わせ、そしてゆっくりと奥に侵入させると、さっきまで痛みを感じていたソコは快感と供に指を銜え込んでくる。

「い、いくぅ」

 その瞬間靖志は、女の快感を感じる一方で男の放出感も感じていた。
彼の中から何かがほとばしり出る。

 外見は何も変化はない。いやその股間からは女の愛液がしたたり溢れ出していた。

 はぁはぁ はぁはぁ

 全身を覆う虚脱感に息を荒くして全裸の美女、いや靖志は床に横たわるばかりだった。

 だが……。






 ふと気が付くと、靖志は体に力が入らなくなっているのを感じていた。

 イった瞬間に感じた虚脱感がなかなか元に戻らないのだ。

 体の異変に気が付いた靖志はだるさを感じながらも起き上がろうとした。だが、最早彼の身体は彼の思い通りに動こうとしなかった。

「な、何だ? どういうことだ」

 慌てた靖志は、自由に動かない手で何とか背中のファスナーを下ろすと、女の皮から抜け出ようとした。

 ぺろりと皮をめくって、女の皮の中から靖志が顔を出す。

「ぷは〜!」

 途端に中に入っていた靖志は元気よく女の皮を脱ぎ捨てた。

「あ〜あ、ようやく解放された。全くどうなることかと思ったぜ」

 脱ぎ捨てた女の皮を見下ろしながら、靖志はにっと笑う。

 だが、何処となくその様子がおかしい。

 一方床に脱ぎ捨てられてた女の皮は、何が起きたのかわからないといった表情で靖志を見詰めていた。

「お、俺がいる……どういうことだ」

「君は生皮【いきがわ】になったんだよ」

 靖志はしゃがみこんで女の皮に話しかける。

「え?」

「今度は君の番だ、気の毒だけど次に着てくれる人間が現れるまで大人しく待っているんだな」

「どういうことだ?」

「その女の皮を被って女の絶頂感を感じると、皮と入れ替わってしまうのさ。ボクもそうだった」

「そ、それじゃあ」

「ああ、ボクはさっきまでその生皮【いきがわ】に捕らわれてたんだ。でもボクを被った君が絶頂感を感じてくれたおかげで人間に戻れたよ」

「そ、そんな、返せ、俺の体!」

「いやだね、ようやく人間に戻れたんだ。この体って元のボクより年は上だけど、まあそんな体でいるよりましってもんだよ。全くの話、自分が女の皮になってしまっただけでも信じられなかったのに、他人に体の中に潜り込まれるんだから。もう気持ち悪くて仕方なかったけれど、これでやっと解放されたよ。君も次に誰かがその女体を着て絶頂を感じてくれるまでじっと待ってるんだね。じゃあバイバイ」

 そう言うと、靖志は、いや靖志の体になった男は女の皮をくるくると丸めると、窓からポイっと放り投げてしまった。

「いやだ、どうしてこんなことに……俺が女の皮に……やめろ、俺は、俺は……」

 放り捨てられた靖志、いや、ぺらぺらの美女の皮は、折からの風に吹き上げられて空高く舞い上がっていった。






(了)


                                  2007年6月3日 脱稿



後書き
 この作品はHIROさんへの贈り物として書いた作品ですが、丁度2006年の紅白歌合戦で騒動になった某グループが使った某全裸スーツを題材に書いてみたものです。今読み返してみると、そんなこともあったのかという感じで、もうすっかり忘れてました。ほんと月日の経つのは早いですね。
 さて、彼はこの後どんな人間に拾われるのでしょうか。男なのか、もしかしてブスに拾われてしまうとか、或いは老人や子供が拾ったら? いろいろ想像してみるのも楽しいですね。
 それではお読みいただきました皆様、どうもありがとうございました。
                                   2009年8月8日 toshi9


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