『愛妻家の日』、それは数年前に新しく制定された国民の休日だ。昔から『愛妻家の日』という記念日は存在していたが、祝日となった『愛妻家の日』は中身が随分と違う。即ち『愛妻家の日』とは、ゼリージュースを使って夫が1日妻の代わりを務めなければならない日なのだ。夫は赤色のゼリージュースで妻に変身するか、黄色のゼリージュースで妻と入れ替わらなければならない。
 世の妻の苦労を夫が理解する為に必要だという理由で某フェミニストな女性議員から発議された時は、誰もが「そんな馬鹿な祝日があるか」と思ったものだが、国会であれよあれよと言う間に可決制定されてしまったのだ。





愛妻家の日

作:toshi9
原案&挿絵:◎◎◎さん





「……おはよ、あなた朝よ、起きて」

 妻の起こす声に、俺は目を開いた。妻は既に起きて着替えているようだ。

「おはよう、ん? 何だまだこんな時間か。お前いつもより起きるのが早いじゃないか?」
「へへっ、だって今日は『愛妻家の日』でしょう」
「あ、そうだったな」

 そうだ、今日は妻と結婚して初めての『愛妻家の日』だ。

「で、赤と黄、お前どっちに決めたんだ?」
「こっちよ、はいどうぞ」
 妻が俺に差し出したのは、赤い色のゼリージュースだった。
「赤か、それじゃ入れ替わりは無しという訳だな」
「うん、あたしはあたしのままがいいから」

 そう言って妻がにこっと笑う。
 微笑んでいる妻の顔を見ると、俺も何だか幸せな気分になる。

「わかった。それじゃ早速やるか」
「うん♪」

 ぎゅっと拳を握り締めた俺は、妻から受け取った赤色のゼリージュースを一気に飲み干した。

「張り切ってるのね」
「おう! 完璧にお前の代わりをこなしてやるさ。だから今日はゆっくり休んでいるんだな」

 そうさ、この日の為に俺は妻に隠れて特訓したんだ。その成果を妻に見せてびっくりさせてやる。
 そう思う間もなく、身体が熱くなる。気がつくと俺の体はすっかり透明になっていた。

「それじゃあなた、来ていいわよ」
「そ、それじゃ行くぞ」

 俺は透明なゼリー状になった体でふわふわと妻に近づくと、そっと体に触れた。
 途端に俺の体は何の抵抗もなく妻の体に染み入り、あっという間に中に潜り込んでしまった。

 ゼリージュースを使うのは初めてだが、妻の中にいるのはとても心地良い。

(ほらあなた、いつまでもあたしの中でじっとしてないで、数を数えて)

 妻の声が、俺の頭の中に直接響く。

「おっと、そうだったな。いち、に、さん……く、じゅう」

 十数をかぞえた俺は、妻の体から抜け出した。
 徐々に色を取り戻す俺の体、だがそれはもう俺の姿ではなかった。

「うわぁ、あたしだ。初めて見るけどほんとに変わっちゃうのね」
「ああ。しかしこんなことができるなんて全く凄い世の中になったもんだな」

 自分の体を見下ろすと、胸に大きな膨らみができている。頬にふぁさりと垂れる髪が触れる。

「ふーん、それにしても、こうして見るとあたしってかわいいのね♪」

 むにゅ

 妻は手を伸ばすと、手の平で俺の膨らみをきゅっと掴んだ。

「ひえっ、こ、こらっ、やめろよ」

 くすぐったいような、痛いような、生まれて初めて感じる自分の乳房を触られる感触に、俺は慌てて妻の手を払いのけた。

「あら、いいじゃない。あたしの体の気持ちいいところなら全部わかるわよ。
ほら、ココとか」

 妻が俺の体に手を伸ばす。

「ココって……」
「ココよ♪」

 妻は俺の脇腹を人差し指でつつっとなぞった。

 ぞくぞくぞく

 途端に、くすぐったさと一緒に、ぞくぞくとした快感が体を駆け巡る。

「やめろよ、朝から。そんなことしてないで早く着替えを出してくれ」
「うーん、残念。それじゃ、はい、これ着てみて」

 残念そうな表情の妻は小さく笑うと、女物のピンクのショーツとブラジャー、そしてチャコールグレーのパンティストッキングを俺に着せ、そして服をドレッサーから選び出した。勿論妻の姿になった今の俺に合う妻の服だ。だが妻の出した服はどうも彼女がいつも着ているものと違う。 
 
「おい、お前こんなの持ってたのか? 見たことない服だぞ」
「昔作ったパーティドレスよ。友だちの結婚式に呼ばれてるんだけれど、ずっと着てなかったから着れるかどうか心配なの。だからちょっと着てみてくれない?」
「そんなの自分で着りゃあいいじゃないか」
「あら、だって、入らなかったら怖いじゃない? それにこっちのほうが鏡で見るよりよっくわかるもの」

 はぁ〜〜、いきなりこれか

 妻はドレスのファスナーを下ろして俺に着せると、ゆっくりとファスナーを引き上げた。 

「良かった、まだ着られそうね。どお、きつくない?」
「うん、何か胸が少しきついかな、それに腰のあたりとか、お前太った……」
「何か言った!?」

 妻がじろっと俺を睨む。

「いや……何でもない」
「まあ大丈夫そうね、それじゃあ次はこれ着てみて」

 妻は今度は青いワンピース水着を出してきた。
 確か独身時代に一緒に海に行った時、妻が着てたやつだ。



「おい、もうやめようよ、頼むから普通の服を出してくれ」
「あらいいじゃないの、ほらあなた、足入れて」

 ……結局その水着も強引に着せられてしまった。

 体に密着する生地がきつく体を締め付ける。
  
「おい、これはきついよ、ほらこんなに食い込んで」
「え? あらやだ」

 水着の食い込んだ股を広げて見せる俺に、妻の顔が赤くなる。

「わかったから、そんなに見せつけないでよ」
「おい、もうそろそろいいだろう、今度こそ普通の服を出してくれよ」
「うふふ、わかったわ、ありがとうあなた」

 妻はようやく自分がいつも着ているセーターとスカートを出してくれた。

「ふう、ようやくか」
「それにしてもあなた、よく似合ってるわね」
「当たり前だ! 今の俺のサイズはお前と同じなんだから。さてとそれじゃ朝の用意をするか。お前はゆっくり座ってあっちで待ってな」





 妻をリビングに座らせると、俺は朝の支度を始めた。
 さあ、いよいよ特訓の成果を発揮する時だ。
 だがシステムキッチンに向かって包丁を振るい始めた俺を後ろから見ていた妻が、笑い混じりに声をかける。



「ふーん、似合うじゃない。このままあたしの代わりでいない?」

「馬鹿言え!!こんな格好は今日だけだ」

 思わずそう言ったものの、調理を始めた俺は内心不思議な楽しさを感じていた……。





 30分後、テーブルに並べ始めた料理に、妻が箸をつけた。
 達成感漂う俺の顔をちらっと見ながら料理に箸をつけた妻が、ちょっと驚いた表情を見せる。



「あら、美味し」
「そうだろうそうだろう、どうだ、ちっとは見直したか!」
「まあやっと及第点ってところかな」
「ちぇっ」
「でも普段料理なんか全然してないのに、よくこんなに上手に作れたわね」
「そりゃあ、この日が来るまで料理の研究をしたさ。これでもがんばったんだから」
「そっか、ちょっと見直したぞ」

 そう言って妻が微笑む。

「ふふん、こんなのまだ序の口さ。今日の俺をよく見てろよ」

 ほめてもらうと素直に嬉しい。妻と一緒に食べる料理もいつもよりおいしく感じる。
 そして楽しい朝食のひと時が終り、俺は後片付けを済ませた。





「よし、洗い終ったぞ。じゃあ次は掃除だな」
「掃除機はそこよ」
「まかせとけ……って言いたいところだけど、これどうやって使うんだい? 最新型の掃除機って随分変わったんだな」
「サイクロン掃除機よ。ほら、ここを押して、そしたら勝手にゴミを感知して吸い取ってくれるから」
「へぇ〜面白いな」

 俺はうきうきと鼻歌を歌いながら部屋に掃除機をかけていく。
 掃除機の動きが実に面白い。



「あなた、楽しそうね」
「うん、この掃除機がSF映画のロボットに思えてさ」
「ふーん、変なの」
「ほら、そこも掃除するからどいて」
「はいはい」

 俺はてきぱきと各部屋の掃除を済ませていく。勿論妻が掃除しているようにしか見えないのだろうが、そんな俺を座って眺めていた妻がほつりと漏らす。

「ねえ」
「ん? 何か言った?」

 妻は何か言いたそうだったが、結局それ以上何も言わなかった。

「あ、いいの、なんでもない」
「変なの。さてと、掃除も終ったし、後は……っと」
「お洗濯ね」
「よっしゃあ、任せとけ!」





 妻に今度は洗濯機の使い方を教わると、俺は汚れ物をてきぱきと洗濯機にかけ、そしてベランダに洗濯物を干した。
 物干し竿に並んだ真っ白な生地の下着が眩しい。

「さあ、洗濯も終った」
「あなたって、お料理だけじゃなくってお掃除もそしてお洗濯もほんとに上手いのね」
「上手いって言っても こんなの掃除機や洗濯機に任せてるだけだぞ」
「でも干してる時ってほんとに楽しそうだし」
「そうかい? まあ普段やってないから珍しいだけだよ」
「そうなの? でもほんと上手くって……あたしより……」
「え? なんか言った?」
「ううん。じゃあ家事はもう無いから、外に出かけましょうか。あ、お化粧してあげるから、そこに座って」
「ああっと、化粧なら自分でやってみるよ」
「え? でもあなたやったこと無いんでしょう」
「確かに初めてだけど、これでも今日の為に本を読んで研究したんだぞ。まあ見てな」

 俺は化粧台に座ると、今や自分のものになっている妻の顔に化粧を施していった。
 みるみる鏡の中の妻の顔が美しく輝いていく。

「へぇ〜、お化粧するってこんな感じなのか。……よしできた完璧だ!」

 上下の唇をすりすりと合わせて口紅を伸ばすと、俺は妻に向かって振り向いた。



「お化粧、あたしより上手くない?」
「そう? 君と同じだよ。じゃあ行こうか」
「……うん」

 妻は完璧に化粧を決めた俺を見て、少し顔を曇らせていた。





 出かけた俺たちは駅前のデパートに行くと、二人でショッピングをした。
 街を歩く俺たちは、ほとんど双子の姉妹といった感じのようだ。
 そう言えば街中に同じような双子姉妹やおどおどと歩く夫婦連れが多い。みんな変身して繰り出して来ているのだろう。
 デパートの店員も手馴れたもので、余計な詮索をすることなく俺たちに似合いそうな服を出してくる。
 俺と妻は、それぞれこれはと思う服を選ぶと、フィティングルームに入って着替えた。

「まあ、よくお似合いですよ」

 出てきた俺に、店員が賞賛の声を上げる。

「どうだい、俺の選んだもの」
「……うん、とってもいい感じよ」

 遅れて妻もフィッティングルームから出てきたが、何となくやぼったい。
 鏡の中の二人の妻、いや、俺と自分の姿を見比べて、妻の表情はさっきよりさらに曇っていた。 

「おい、どうしたんだい?」
「ううん、何でもないの」

 妻は力なくかぶりを振った。

「そうか……じゃあこれ買っていこうか」
「え?」
「俺からのプレゼントだ。ほら、お前によく似合うだろう」

 俺はくるりと妻の前で回って見せた。

「うん……そうだね」

 妻は力なく笑っていた。



 それから俺たちはカラオケに行った。
 妻の声で歌をうたうのは、何か変な感じだ。でも普段歌えない女性ボーカルの歌を唄うと、とっても気持ちいい。
 曲に合わせて高いソプラノボイスが俺の喉から伸びやかに出てくる。
 俺は次々にリクエストを打ち込むと、歌っていった。

「あなた上手いのね。カラオケそんなに上手だったんだ」
「お前の声で唄うのが楽しくって。ほら、お前も歌ったらどうだい?」
「うん」
「どうしたんだい? 次の曲、始まったよ」
「ノリノリよねぇ、あなた」
「そうかなあ」
「そうよ……なんかつまんない」

 妻が目を伏せる。
 どうもさっきから様子がおかしい。

「そうだ!」
「え!?」

 俺は妻にもう一つのマイクを渡した。

「なあ、一緒に歌おうよ」
「一緒に?」

 イントロが流れ始める。

「ザ・◎ーナツの『恋のバカ◎ス』だ。今なら俺たち完璧にハモれるぜ」
「う……ん……」







 家に戻ると、俺は夕食の支度にとりかかろうとした。
 だが、妻が俺の包丁を取り上げる。

「もういい。あたしがやるから、あなたは座ってて」
「ええ? だって『愛妻家の日』……」
「もういいから座っててよ。あたしが作るから」
「変なの。じゃあ、お言葉に甘えて」

 俺はリビングに座って妻が夕食を作り始めるのを見守っていた。朝食の時と全く逆だ。
 妻が冷蔵庫から魚を取り出す。
 特訓した腕前を妻に見せる為に、今日の夕食用に買った一尾だ。
 でも彼女って魚を捌けたっけ?

「あ、サカナ? だったら俺が捌くよ」
「いいの!! あたしがやるの!」
「いいけど……出刃、使ったほうがいいよ」
「うるさい!」



「どうしたんだい? 急に怒鳴ったりして」
「だって……だって、うぇーん」
「お、おい、どうしたんだ」

 妻はその場に座り込んで泣き出してしまった。

「もういいの、あたしがあなたの奥さんなんだから」
「おい、お前」

 泣き始めた妻を見て、俺はその頭を優しく撫でた。

「何だかよくわからないけど、悪かったよ」
「ひっく、ひっく、もういい、『愛妻家の日』なんて。あなた、ねえもう元に戻って」
「え? でもせっかくお前になったんだからもう少し……」
「お願い、あたしに奥さんをさせて! ひっく、ひっく」
「わ、わかったよ」

 俺はトイレで元の姿に戻ると、リビングで妻の夕食を待った。

「はい、あなた、召し上がれ」

 俺の前に妻の料理が並べられる。

「おう、旨そうだな」
「へへっ、にわか主婦には負けないんだから」

 涙で流れた化粧跡を人差し指で拭いながら、妻がにこっと笑う。
 それは俺の大好きな妻の笑顔だ。

「ありがとう。じゃあ食べようか」
「うん♪」



 愛妻家の日、それは夫が1日妻の代わりを務める日。
 だが国民から沸き上がった廃止運動によって、数年後に廃止されたという。






(了)


                                  2008年4月6日 脱稿



後書き
 ◎◎◎さんからいただいたイラストを元に以前「1月31日 愛妻家の日」を書きましたが、その後◎◎◎さんから追加イラストをいただきました。これは全てのイラストを使って作品としてまとめてみたい。そう思って以前のものとは別の作品として書き直してみたのがこの作品です。設定としては、ゼリージュースが普通の店で当たり前に売られるようになった世界でのお話です。
 楽しんでいただければ幸いです。




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