碧の遊戯(前編)
 作:toshi9


 紅葉深まったある秋の休日、森崎家で三人の兄妹がリビングのソファーに座ってわいわいと喋っていた。
 父親を亡くし、母親の細腕一本で育てられた兄妹、即ち長男で高校3年生の陽介、同じ高校に通う1年生の長女・秋奈、そして小学6年生の次女・春奈の3人はとっても仲が良い。
 陽介は二人の妹をかわいがり、そして秋奈も春奈も陽介のことを無意識ながらも理想の男性として慕っていた。
 さて、その日の話題の中心は芸能界やサッカーのことなど他愛の無い内容だったのだが、突然秋奈が陽介にある相談を切り出した。
「ねえ、おにいちゃん」
「どうしたんだ秋奈、急に改まった声を出して」
「あたし、おにいちゃんに頼みがあるんだけど」
「頼みって?」
「それが、その……最近あたしのことをじっと見ている上級生がいるの」
「じっと見ている上級生?」
「うん。で、それがどうもおにいちゃんのクラスの河村さんって男子らしいんだ」
「河村……ねぇ」
「おねえちゃんったら自意識過剰じゃないの。いくらこれに写真がのったからって」
 左手で頬づえをつきながら、春奈は見ていたハイティーン向け雑誌のページをぱらぱらとめくると、あるページを秋奈に見せつけた。
「春奈ったら、やめてよ、それ恥ずかしいんだから」
 そのページには、メイドに扮した秋奈の写真が掲載されている。学園祭で、秋奈のクラスがメイド喫茶を出店した時のものだ。
「いいじゃない、この写真とってもかわいいんだから。うん、まさに美少女って感じだね」
「それはそうなんだけど……って、そうじゃなくて、えっと、話の続きだけれど、あたし最近まで気が付かなかったんだけど、あたしのことをじっと見ている上級生がいるってクラスの女子が教えてくれたの」
「おねえちゃんらしいわね。全く鈍感なんだから。で、その男子ってイケてるの?」
「なによ春奈ったら、そんなに目を輝かせて」
「だって興味あるじゃない」
「残念ながら、あたしの趣味じゃないわ。おにいちゃんみたいな男子だったらよかったのに……っとと、もお、春奈ったら変なことを言わせないでよ」
「何よ、おねえちゃんが勝手に喋っているんじゃない」
 ぷーっと頬を膨らませる春奈。
「え〜っと、こほん、だからクラスの女子が『秋奈のことを変な目つきで見ている3年生がいるよ』って教えてくれたの。で、誰なのかみんなが調べてくれたんだけれど、それが3年D組の河村先輩、つまりおにいちゃんのクラスの男子だったの」
「ふーん、河村……ねぇ」
 陽介はクラスの男どもの顔を思い浮かべてみた。だが河村と言われてもどうにも顔が思い浮かばない。
「それを聞いてから周りを注意していると、確かに時々上級生らしい男子が遠くからあたしのことをじっと見ているの。でもあたしのほうから近寄ろうとすると、逃げちゃうから結局その人とは何も話してないんだけど」
「なんだ、そりゃあ」
「で、おにいちゃん、その河村先輩にあたしに付きまとわないでって言ってくれない? このままじゃあたし、何だか気味が悪くって」
「お前の趣味じゃないって言ったけれど、付き合う気は全くないんだな」
「うん。見た感じいかにもオタクっぽくって、ちょっとやだな」
「そうか、わかったよ。それじゃ明日俺からバシッと言ってやるさ」
「うん、お願いね、おにいちゃん」
 えへっと笑って両手を合わせる秋奈。そんな妹のことをつくづくかわいいと思う陽介だった。 


 さてその翌日、即ち月曜日の昼休みのことだ。陽介に向かって蒼い顔をした一人の男子が近寄ってきた。
「森崎君」
「え? え〜っと、君は……」
「君は……って、僕は河村、河村おさむじゃないか。クラスメイトだっていうのに森崎君は僕の名前を覚えていてくれないんだ」
「す、すまんすまん」
(こいつが河村おさむか。こっちから探す手間が省けたけど、こんな奴いたっけ。全く影が薄いというか、印象の弱いやつだな)
「で、河村君、俺に何の用だい? それもそんなに思いつめた顔をして」
「森崎君、実は君に頼みがあるんだ」
「俺に頼み?」
「1年B組の森崎秋奈さんのことなんだけど、彼女って君の妹なんだろう」
「秋奈? ああ、そうだけど」
「僕、秋奈さんと友だちになりたいんだ。この間の文化祭のメイド喫茶で彼女のメイド姿を見て、それで……」
「それで?」
「すっかり秋奈さんのことが気に入っちゃってね。だから僕のことを君から秋奈さんに紹介してくれないかな」
「はあ?」
 陽介はまじまじとおさむを見た。
 思いつめた様子ではあるが、その目はどこかどろんと濁っている。
(こ、こいつ)
「断ると言ったら?」
「断る? どうしてだい? 僕たちクラスメイトじゃないか」
「お前なぁ、秋奈に言われたんだよ。『気味の悪い上級生に付きまとわれているから、おにいちゃんからこれ以上付きまとうなって言って頂戴』って。河村、その上級生ってお前のことだよな」
「付きまとっているって? 僕は彼女にまだ何もしてないよ」
「『まだ』だと? お前、それじゃあ秋奈に何かする気でいたのか!」
「い、いや、そんなつもりで言ったんじゃあ……」
「とにかくこれ以上俺の妹に近寄るんじゃない。今後秋奈に付きまとうようなことがあったら、この俺が承知しないぞ」
「森崎……くん。僕の頼みを……」
「俺の話を聞いてないのか。お前を妹に紹介するなんてもってのほかだ!」
「どうしてもかい?」
「どうしてもだ!! この変態野郎」
「変態野郎? この僕が変態だって!?」
「そうだ! 女に付きまとう変態じゃないか、変態に変態と言って何が悪い」
「くっ、僕は変態じゃない」
「とにかくこれ以上妹に付きまとうな、わかったな!」
 陽介は大声でおさむを罵倒した。
 その剣幕に教室がしんと静まり返る。
 そしておさむの蒼い顔は段々真っ赤に染まっていった。
「……そうか、わかったよ。それじゃあ僕の好きなようにやらせてもらうよ」
「好きなように? 秋奈に付きまとうなって言ってるだろう。お前俺の言う事を聞いていないのか?」
 陽介は呆れておさむの顔を見た。どこか話が噛み合わない。
「それでいいんだね、森崎君」
「この変態野郎、もしも秋奈の前に少しでもその姿を見せたら、この俺が承知しないぞ。この拳にかけてもな」
 陽介は、おさむの鼻先に右手をぐっと突き上げた。
「ふっ、ふふふっ、ふふふふふっ、秋奈さんの前に僕の姿を見せちゃいけないんだね。わかった、わかったよ。君の言うとおりにするよ。でも、ぐふふ、変態呼ばわりされたこの屈辱は忘れないよ、森崎君。ぐふふふふ」
 薄ら笑いを浮かべて捨てゼリフを言い残すと、河村おさむは陽介の傍らから離れていった。
「全く薄気味の悪いやつだな。あんなやつが秋奈と付き合う? 考えただけでもぞっとするぜ。尤も秋奈があいつと付き合う訳ないか。あっははは」
 陽介は屈託無く笑った。
 彼にはおさむの言葉の恐ろしい真意を知るべくもなかったのだ。

 さて、その日の午後、河村おさむは学校を抜け出すと、繁華街の裏通りにある、とあるショップに入った。そして十数分後に店から出てきた時、彼の手には1本のペットボトルが握られていた。
 ペットボトルの中では、碧色の液体がぷるぷると不気味に揺らめいていた。 


 一方3年D組では、影の薄い河村おさむが午後の授業を抜け出したことを気にするものは誰もいなかった。もとより陽介もそれが何を意味しているのか特に気に留めるでもなかった。というよりも、授業が始まるとおさむの捨てゼリフのことなどすぐに忘れてしまっていたのだ。
 そして放課後になった。
 帰途についた陽介がクラスメイトと別れて駅に程近いマンションにある自宅に帰り着くと、玄関の鍵が空いたままになっている。
「なんだぁ? 無用心だな。お〜い、春奈ぁ、帰ってるのか、玄関の鍵が開きっぱなしだぞ」
 彼らの母親はこの時間にはまだパートから帰ってきていない。テニス部の秋奈は放課後は部活で毎日陽介よりも帰りが遅い。だが小学生の春奈はとっくに家に帰ってきているはずだ。
 しかし春奈の部屋からは何の返事もない。
 陽介は玄関から上がると、春奈の部屋のドアを叩いた。
「おい春奈、いるんだろう。いるんなら返事くらい……え゜!?」
 鍵のかけられていない春奈の部屋のドアを開けた瞬間彼の目に飛び込んだ光景、それはぐったりとベッドに横たわった春奈と、その上から覆いかぶさろうとしているトランクス1枚の男の姿だった。
 ベッドの回りには男のものと思われる学生服が散乱しており、勉強机の上には飲みかけの碧色のジュースが入ったペットボトルが置かれていた。
 机に置かれて間もないのか、ペットボトルの中の碧色の液体は蛍光灯の光を反射しながらゆらゆら揺らめいている。
 予想だにしなかった目の前の光景に、一瞬何が起きたのか理解できずに呆気にとられた陽介だが、すぐに気を取り直すと、春奈に覆いかぶさって唇を合わせている男の背中に向かって脱兎のごとく飛びかかっていった。
「きさまぁ、春奈に何をする。や、やめろ!」
 背中から男を羽交い絞めにして引き離そうとする陽介。
 だが半裸の男は、蛸のように伸ばした唇を春奈の唇を密着させたまま、じっと動かなかった。いや、ごくっごくっとその喉は何かを飲み込むかのように動いている。
「誰だお前は! やめろ、春奈から離れろ!」
 陽介が思いっきりその腕に力を込めると、トランクスの男はようやく唇を春奈の唇から離した。
 ごくん。
 男の喉仏が大きく揺れる。
「ふぅ〜、まあいいか」
 陽介に組み伏せられた男は満足そうに唇を歪ませると、ゆっくりと顔を上げ、自分の前に立つ陽介に向かって振り向くと、にやりと笑った。
「え? お前は……」
「やあ、森崎くん」
「お前、河村、河村おさむか。なんでお前がここに、いや、それよりもお前気は確かか!? 何故こんなことをする」
 しかし怒りに満ちた陽介の様子に動じるでもなく、河村おさむは眠ったようにベッドに横たわる春奈を見てにやにやしていた。
「森崎くん、思ったより早かったな。いや、もう遅かったと言うべきかなあ、ごふっ」
 口からあふれ出たドロリとしたものを腕で拭いながら、トランクス1枚のおさむはゆっくりと立ち上がった。
「遅かった? どういうことだ」
「こういうことさ。ぐふふふ。よく見てるんだな」
「え?」
 ぼこっ 
 おさむが言い終わると同時に、突然ぽてっと膨らんだおさむのお腹がぺっこりとへこんだ。
 いや、お腹だけではない。そのたるんでいた胴回りがどんどんと締まっていく。やがて突き出ていた腹や腰周りは、逆に細くくびれたものに変わってしまった。
 それと同時に肉厚なおさむの脚や腕がみるみる細くなっていく。
「ぐふふっ、ほら、はじまったよ」
「なんだ? はじまった? 何が起こって……」
 呆然と見ている陽介の目の前で、おさむの体の異変はなおも続いていた。
 胴回りが細くなっていくと共に、身長もどんどんと低くなっていた。そう、おさむの体は小さく縮んでいた。そして短く切られていた髪がさらさらと長く伸びていく。ぶつぶつとニキビだらけのその大きな顔が小さくしぼみ、そして白くつやつやした肌に変わっていった。まつげが伸び、厚ぼったい瞼に覆われていた目がぱっちりと開いていく。だんご鼻はつんと小さなものに変わる。やがて彼がかけていた黒ぶちの眼鏡が外れて床に落ちた。
 そしておさむ顔から眼鏡が外れ落ちた瞬間、陽介はわが目を疑った。
「は、春奈!?」
 そう、そこに立っているのは河村おさむではなく、裸の腰にかろうじて男物のトランクスをひっかけた妹の春奈だった。
「ぐふふ、どうだいこの顔、この体。さて僕は誰でしょう」
「何が、ど、どうなって……。春奈? 河村が春奈になった?」
「そうか、この子は春奈ちゃんって言うのか。それじゃあ今日から僕の名前は春奈、森崎春奈だな」
 かわいらしく変身した姿そのままに、その声さえも声変わり前の少女の声に変わっていた。それはまぎれもなく春奈の声だ。
「バカな、そんなバカなこと……何が起こって、河村、お前いったい何をしたんだ」
 だがすっかり春奈の姿に変身したおさむは、陽介の問いを無視してベッドのほうを振り向いた。
「姿を入れかえ損なったけど、まあこれでも十分だな。さてと」
 不思議なことに、そこに横たわっていた筈の春奈は何時の間にか姿を消していた。いや、ベッドの上には春奈の着ていた服だけが着られていたそのままの形で並んでいた。
 しかもよく見るとセーターやスカートは、しゅ〜っと盛り上がりを無くし続けていた。おさむが唇を離した瞬間から春奈の体は縮み続けていたのだ。
 やがてセーターもスカートも完全に平べったくなってしまった。
「春奈は、春奈はどこだ」
「ぐふふ、もうすぐ会わせてあげるよ」
 そう言いながら、春奈の姿になったおさむは、ベッドの上に並んだ春奈のスカートに手を入れると、中から白い布切れを拾い上げた。
 それは春奈のパンツだった。
 恥ずかし気もなく陽介の目の前でトランクスを脱いですっかり裸になると、おさむはその白いパンツに脚を通してくいっと腰に引き上げた。
「ぐふふふ、まだ暖かいな。それにしても、ここに窓のないパンツ、そして僕のここにぺたりと貼りつく感触、股間に何もないってすっごい変な感じだ」
 そう言いながらおさむはがに股に足を広げると、すっきりした自分の股間を手の平でぺたぺたとまさぐる。そして再びきゅっとパンツを引き上げた。
「うっ、食い込む食い込む、ぐへへ」
 ほんの少し盛り上がった胸を顕わにしたまま両手でパンツを腰まで力いっぱいに引き上げ、その股ぐりを股間にきゅっとハイレッグのように食い込ませると、あさむはだらしのない表情で笑った。
 それは陽介が今まで見たことのない、あられもない春奈の姿だ。
「や、やめろ」
「ぐふふふふ」
 おさむはパンツからぱっと手を離すと、今度は再びベッドから拾い上げたシュミーズを頭からかぶり、黄色いニットのセーターと赤いチェックのスカートを手際よく着込んでいった。
 そしておさむがベッド上の春奈の衣服を全て着終えた時、陽介の目の前に立っているのはいつもの春奈だった。
「ぐっふふふふ、お帰り、おにいちゃん」
 陽介を見上げてにやりと笑う偽春奈。
「お、お、お、お前」
 わなわなと震える陽介。
「河村、お前何をしたんだ。なんでお前が春奈の姿に……いや、そんなことはどうでもいい。春奈はどうしたんだ。早く元に戻れ、この変態野郎!」
「何言ってるの、おにいちゃん。あたしが春奈だよ、けけけけ」
 けたけたと笑いながら、おさむが変じた偽春奈が答える。
「違う、お前は河村だ、偽者だ! 春奈はさっきまでベッドの上に……」
「え? おにいちゃんったら何を変なこと言ってるの、ぐふふふふ。おっとこれこれ」
 不気味に笑い続ける偽春奈は、何時の間にか毛布の上に転がっていたピンポン玉ほどの大きさの碧色の小さな玉を拾い上げた。
「ぐふふっ、ねえおにいちゃん、これって何だと思う?」
「なにって」
「これが今までのあたしだよ。僕が姿をいただいたんで、本物の春奈ちゃんはこんな姿になっちゃったのさ、くっ、くっ、くっ」
「なんだって!!」
「本当は、代わりに僕の姿をあげる筈だったんだけど、君に邪魔されたから彼女はこんな哀れな姿になっちゃったのさ、君のせいだぞ」
「俺のせい? 何を言ってるんだ」
「でもこれはこれで面白いんだ。ほら、こうすれば……」
 偽春奈は碧色の玉を口に放り込んでしゃぶり始めた。
「うん、美味いじゃないか……ふむふむ」
 約10秒後、偽春奈はボールをぺっと吐き出した。
「おにいちゃん、昨日は秋奈おねえちゃんと3人でテレビの前でお話したんだよね。サッカーの話とか、秋奈おねえちゃんにつきまとっている男子がいる話とか」
「な!」
「あたしが『その男子ってイケてるの?』って聞いたら、おねえちゃん『おにいちゃんみたいな人だったらな』って言ったんだよね」
「お前、な、なんでそれを」
「だってあたしたち昨日一緒にいたんだから、知ってて当然でしょう」
「ち、違う、違う……」
「きゃははは、そうさ、違うよ。僕はやっぱり河村おさむさ」
 戸惑う陽介の表情を見て、偽春奈はさも面白そうに笑った。
「この玉を舐めると、僕は君の妹の姿だけじゃない、彼女の記憶も手に入れることができるのさ。今のはひとしゃぶりだけだったから、昨日の彼女の記憶だけが僕のものになったけれど、ふふふ、もしこれを僕が全部しゃぶり尽くしたら」
「しゃぶり尽くしたら」
 蒼ざめた表情で陽介がおうむ返しに問いかける。
「僕は完全に君の妹になってしまうんだよ。姿だけでなく、彼女の記憶も、心も全て僕のものさ。つまり僕が春奈ちゃんそのものになってしまうんだ。面白いだろう。きゃはははは」
 そう言いながら、偽春奈は碧の玉を口に放り込む仕草をした。
「や、やめろ、やめてくれ」
 陽介の叫びに、偽春奈はボールが唇に触れる寸前で動きを止め、にやっと陽介を見返した。
「誰にも気づかれないようにこの子とすり代わってやろうと思ったけれど、これはこれで面白いな。そうだ、もう一つ教えてやろう。こんな小さな玉になっていても、今ならまだ元の春奈ちゃんに戻せるんだ。しゃぶり尽くさなければね」
 偽春奈はそう言いながら、再び口をあーんと開け、玉を口に放り込む仕草をした。
「や、やめろぉ!」
「やめて欲しいかい?」
「あ、当たり前だ。早く春奈を元に戻すんだ」
 蒼ざめた顔でへたへたとその場にへたり込んだ陽介は、偽春奈を力なく睨みつけた。そんな陽介を、偽春奈は両手を腰に当てて、勝ち誇ったように見下ろしていた。
「言っただろう、僕の好きにさせてもらうと。だから僕は手に入れたんだ。他人に成りすませるこのゼリージュースをね」
「ゼリージュース?」
「君が言ったんじゃないか、僕の姿を秋奈さんの前に見せるなって。だから僕は他人の姿になって彼女に会うことにしたんだ。それも彼女が無防備に自分を曝け出してくれるような身近な存在にね。だからゼリージュースを手に入れるとすぐに君の家の前にやって来たんだ。そしたらおあつらえ向きにかわいい小学生の女の子が帰ってきたじゃないか」
 くるりとその場で回転する偽春奈。ひらりとスカートが舞い上がり、白いパンツがさらけ出される。
「そして僕は手に入れた。この姿を、秋奈さんの妹という立場をね」
「お、お前」
「そうさ、今の僕は秋奈さんのかわいい妹なんだ。これからこの姿で思いっきり彼女に甘えさせてもらうよ。ね、おにいちゃん」
「お前は、お前ってやつは」
 陽介は立ち上がると、偽春奈に飛び掛った。そして両手でその細い首を絞める。
「元に戻れ、今すぐ元に戻れ。そして春奈を元に戻すんだ」
「や、やめて、やめてくれ、苦し……ぐう」
 陽介の腕を振り解こうとする偽春奈。だがその力は小学生の姿そのままに弱々しい。
「ぼ、ぼくを殺すと……君の妹が……どうなっても」
 だが、その言葉は頭に血がのぼった陽介には届かない。
 その時、ドアを開けて秋奈が部屋に入ってきた。部活を終えて帰ってきたのだ。

「きゃ〜〜〜! おにいちゃん、なにしてるのよ!!」
 秋奈は、慌てて首を絞めている陽介の手を春奈から引き離した。
「おねえちゃん、おにいちゃんが、おにいちゃんがぁ」
 わっと泣きながら秋奈に抱きつく偽春奈。顔を秋奈の胸の間に埋め両手をぎゅっと秋奈の細い腰に廻している。
「うわっ、貴様、やめ、やめろ」
 秋奈に抱きついた偽春奈を引き離そうとする陽介。
「ちょっとおにいちゃん、どうしたのよ。何があったの?」
「違う、そいつは春奈じゃない。春奈の偽者なんだ」
「はぁ? おにいちゃんったら、なに変なこと言ってるの?」
「今日のおにいちゃん、帰ってきてからずっと変なんだよ。あたしがあたしじゃないって言い出すのぉ、うわ〜ん、おねえちゃ〜ん」
 秋奈に抱きついたまま体を震わせて泣き出す偽春奈。勿論嘘泣きだ。
「学校で何があったか知らないけど、春奈に八つ当たりしたら駄目じゃない。全くおにいちゃんらしくないんだから」
「違うんだよ秋奈、ほんとにこいつは春奈の偽者なんだ」
「はいはい、わかったからおにいちゃんはここから出て行って」
「あ、秋奈……」
「ほら、早く。全くもう、春奈が怯えているじゃない」
 キッと陽介を睨む秋奈。その胸で偽春奈はまだ顔を埋めたままぶるぶると震えている。
「おねえちゃん、怖いよ……」
「今日のおにいちゃんどうかしているのよ。ほらあ、おにいちゃん!」
「わ、わかったよ、出て行くよ。でも変だと思ったら、すぐに逃げるんだぞ」
「はいはい」
 ため息をつきながら秋奈は陽介の背中を押す。陽介は仕方なく部屋を出た。
「くっ! あいつめ、このまま春奈に成りすましてうちに居座るつもりなのか? くそう、秋奈に信じてもらえる方法は何かないのか、何か」
 その場に立ち竦んだ陽介は、拳を震わせ、ぐっと唇をかみ締めるしかなかった。

(続く)












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