大学の夏休み、図書館の中では外の暑さから逃れ、涼みながら勉強をする学生の姿があった。木下洋介(きのしたようすけ)と阿部幹弘(あべみきひろ)もそんな理由で図書館へ来ていた。

だが二人にはそれだけでは無い別の理由もあった。

洋介と幹弘の座っている場所から1つ前の机に座っている女子学生、その姿を見る為こそが二人にとっての第一の目的と言っても過言ではない。

二人は勉強をしているふりをしながらある女子学生のことを眺めていた。

その女子学生は長い黒髪をなびかせ、白のノースリーブから伸びている細く白い手にシャープを持って熱心に机に向かっていた。

そんな中、洋介が幹弘に話しかけた。

「やっぱいいよなぁ。三沢美咲(みさわみさき)を見ているとなんか心が落ち着くよなぁ」

「そういうもんか、お前ってあんな娘が理想のタイプだもんなぁ。高校の時からあんまり変わってないよな」

図書館の静寂さの中で二人のコソコソ話は周りの学生たちを少しだけ刺激するらしい。それに気づいたのか顔を近づけてもっと配慮することにした。

「なぁ、洋介。三沢美咲のことそんなに好きか?」

「まぁな。幹弘だってわかると思うけど、長い髪をなびかせながら熱心に勉強する姿っていいじゃないか」

「俺たちにとっては勉強なんて二の次だけど、三沢美咲にとっては普通のことなんだろ」

「だから、そんなところが好きなんだよなぁ。俺の足りない部分を持っているっていうか」

「じゃあ、一度思い切って話しかけてみたら、どうだ?」

「それができればこうやって悩みもしないって。夏休みの図書館で三沢美咲の姿を見て涼むのが精一杯だって」

「それもそうだよな。いつか近いうちに普通に話ができるようになるさ」

そんな二人のことを気にすることも無く、美咲は勉強が終わったのか後片付けを始めていた。机の上に置いてあった勉強道具を白い鞄の中へ納めていく。

「あっ、帰るみたいだぞ。俺たちもそろそろ出るか」

そう二人が言っている内に、美咲は整理したバッグを机に置いて、小さなポシェットを手にどこかへ向かったようだ。

白のワンピースに身をまとったまま向かう先はと言えば、どうやらトイレのようだ。美咲が帰る前にトイレに立ち寄るのはいつもの習慣だということを二人は知っていた。そんな美咲の歩く姿に見とれてしまう洋介、美咲の歩く姿は華麗そのものだったからだ。

「あっ、わりい洋介、俺もトイレ行かないと、マジやばいわ。もう我慢できないっ。お前も一緒にいくか?」

「いいって。さっさと行って来いよ。俺はここで待ってるから」

幹弘は美咲が向かった先と同じ方向へ歩いて行った。図書館のトイレはちょっと奥にあるため、図書館の中からは見えにくくなっている。洋介は二人の姿を見えなくなるまで追っていた。


夏休みの図書館より

作:夏目彩香(2005年9月3日初公開)



 


一人残された洋介はその場でぼぉっとしながらある想像をしていた。

美咲と一緒にデートをしている様子、それがまるで夢のような世界だが頭の中ではリアルに広がっていった。

トイレのある方角をちらっと見ると美咲が戻って来た。幹弘の奴は結構時間がかかっているらしい、お腹が痛くなるまで我慢していたのが想像できた。

美咲は薄いピンクのバッグを手に取って図書館の玄関へと向かって行くはずだった。

しかし、今日はいつもとは違って美咲の姿が逆に大きく見えて来る、洋介の緊張感が高鳴った。

もしかして美咲は俺たちのことに気づいているのかも知れない。そんな不安もだんだん膨れあがりながら、美咲は近づいて来た。

「あの」

美咲のソプラノが洋介の耳に響く。

「木下くん。だよね。ちょっと一緒に来てくれない?」

あどけない表情を洋介に見せながら洋介を誘って来たのだ。思ってもいない展開、しかも美咲は強制的にどこかへ連れて行くつもりらしい。俺に声をかけるや否やさっさと玄関へと向かって行く。

「あぁ。はい、ついて行きます」

洋介にはこれが精一杯だった。ちょっと戸惑いながらも美咲と一緒に図書館の玄関を出て校門へと向かって行った。

緊張感と不安感が持続する中、美咲の後をついて行く洋介。後ろ姿を眺めていると少しだけ心が落ち着いて来た。すると美咲の歩く姿がどことなくいつもと違って見えた。そんな彼女のヒールの高さは7センチぐらいだろうか、美咲のスリムなスタイルを引き立たせているようだった。

そうしているうちに美咲は校門前にあるコーヒーショップに入って行った。適当に奥のテーブル席に腰を降ろすと、二人の会話が始まった。

「ごめんね。ここまで連れて来ちゃって、木下くんを見かけたから直接聞いてみたいことがあって」

美咲が話している途中に、洋介はさりげなくウエイトレスにアイスコーヒーを2つ頼んでいた。

「直接聞いてみたいこと?」


「うん。そうなんだけど。思い切って聞いてみようと思って」

「で、その聞いてみたいことって何?」

「えっと、それは木下くんが私のことをどう思ってるのかなぁって、はっきりと言って欲しいの」

美咲は両腕の肘をテーブルにのせながら話かけてきた。洋介がこの姿を見ると図書館で見る時よりもさらにきれいに見える。そんな美咲の顔を間近に見ていると洋介に思わぬ勇気が出てきたようだ。洋介は自分の力を振り絞るようにして声を出す。

「実は」

わずか数十秒の出来事だったが沈黙の時間が二人を包む。

「三沢さんのこと好きなんです」

美咲には驚く様子も無かった。余裕の表情で洋介に次の質問をして来た。

「ふ〜ん。それってどのくらいなの?」

「ものすっごく」

「えぇ?ものすごくって?」

洋介の顔がだんだんと赤くなって来ていた。

「だから、非常に好きなんです」

「じゃあ。今までのことをまとめると私の事が非常にものすっごく好きってことでしょ」

美咲はものすごく冷静な口調で言って来た。

「そう、そうです。まさか、それって俺のことからかってる?」

洋介は美咲に疑念を持ったが美咲は自然と微笑ましい表情に変えていた。

「ううん。そんなこと無い。私も同じ気持ちだったから、今とっ〜てもシ・ア・ワ・セだよ」

美咲は細くて白い指を使いながら洋介に言葉をかけた。その仕草に思わずどきりとする洋介、洋介にとってはまだ半信半疑なことだった。

「もしかして、このあと大嫌いとか言われるんじゃないの?マジだよね?」

「そんなわけないでしょ。真剣にそう思ってるんだから」

「そっか。よかった〜」

美咲の方からしっかり言われたことで普段は冷静な洋介も、自然にガッツポーズを決めていた。

「実はさっき、図書館のトイレの前で阿部くんに会って、木下くんが私のことを好きかどうか聞いてみたの、私の方から話しかけてみてよかった〜」

美咲は白く細い手を天井に伸ばしながら、何かをたまっていたものをはき出してすっきりした表情を見せる。

「あっ、そうだったんだ。俺もよかった」

この時になって幹弘のことが気になった。

「それで、幹弘、いや阿部の奴は?」

「阿部くんは私たちのことを気にして先に帰っちゃったみたい。絶対にうまく行くから告白されるように勇気を出してって」

「幹弘の奴がそんなこと考えてたなんて知らなかった」

「阿部くんっていい人だよねぇ。私たちのことをよく考えてくれてるっていうか」

「そんなにいい奴だっけ?」

「阿部くんの悪口言うんだったら、私帰るわよ!」

幹弘のことをちょっと悪く言うだけで美咲は少し機嫌が悪くなったようだ。

「冗談だって、俺だって阿部の奴のことはよく知ってるから、女に好かれるタイプだってのも知ってるし」

「な〜んてね。私も木下くんと阿部くんは親友だと思ってるから、大丈夫よ」

コーヒーショップで洋介と美咲は軽く話を始めると意外と共通の話題が多く盛り上がっていた。洋介にとってはまるで幹弘といるみたいなそんな感覚だった。1時間もしないうちに美咲が一緒に行きたい場所があると言い出した。洋介は一緒に行くことを承知した。



コーヒーショップを出た二人は、近くの駅へと足を向けていた。洋介にとっては願ってもいなかった展開。ヒールのコツコツとした硬い音が聞こえている。しかもそれは憧れの美咲が出している音だった。幹弘の奴が言っていた「いつか近いうちに普通に話ができるようになるさ」という言葉がすぐに現実となったのだ。しかし、二人の間には微妙な距離感が残っていた。歩道を横に並んで歩きながらも、つきあい始めたばかりのカップルらしくまだ初々しく見える。

「木下くんって、こうやって女の子と歩いたこと無いでしょ」

歩きながら美咲は訪ねてきた。

「そうでも無いよ。これでも高校の時はよくクラスメートと一緒に歩いて帰ってたから」

本当はそんなことが無かったのに思わず強がりを言ってみせた。

「フフフ、やっぱり木下くんらしいよね」

「何が?」

「それって、強がりなんじゃないかなって思って。高校の時はやっぱり幹弘くんと一緒だったでしょ」

「まぁ、お見通しって奴か、わかりやすいよなぁ俺って」

「ううん。わかりやすいところがいいの」

そうこうしているうちにヒールの音が止まった。交差点の赤信号がこっちを睨んでいたからだった。洋介にとっては駅まで美咲のペースでゆっくりと歩くことが苦痛に感じていなかった。幹弘と一緒に歩くときはとても苦痛になってしまうのに、何故か不思議だった。ふと横を見ると、美咲の横顔が見えた。美咲は顔をこっちに向けていた。

「ねぇ。チューして」

洋介のことを見た美咲は軽く微笑みながら、甘酸っぱい声たっぷりに言った。それを聞いた洋介はどきりとする。

「交差点の前、人が見てるよ」

「だから、チューしようよ」

美咲が思った以上に大胆だったのが洋介にとっては意外だった。目をつむって準備をする美咲の唇、ゆっくりと自分の唇を近づけて行く、50センチ、40センチ、30センチ、20センチ、10センチ、5センチ、美咲の息づかいを感じるまで近づいた瞬間、またヒールの音が鳴り始めた。

「木下く〜ん。青になったんだから、さっさと渡っちゃおうよ」

振り向きざまに洋介の方に向かって軽く叫んでいた。美咲のワンピース姿が太陽の光に照らし出されて眩しく見える。洋介はがっかりする暇も無く、美咲のあとをすぐに追いかけて横断歩道を渡った。

「木下くんって、やっぱり純粋なんだね。もっと勇気を出してくれたらいいのに」

交差点を渡りきったところで、美咲は洋介の目を見ながら言った。そして、そのまま踵を地面から上げて、背を伸ばしながら洋介の唇に軽くキスをした。美咲と洋介のファーストキス、洋介にとっては思いもかけない展開に、頭がぼぉーっとしてしまった。

「ねぇ。木下くん。行こうってばぁ」

美咲のこの声で洋介はようやく我に返った。わずかな時間ではあるが何が起こったのか記憶が鮮明ではなかった。ただ、自分の唇に残った美咲の感覚は未だに覚えていた。



駅に着いた二人は、切符売り場の大きな路線図を見上げていた。これからの行き先を考えているらしく、美咲は細く白い手を伸ばしある駅を指でさした。

「ねぇ。あの駅に行きたい。近くの河原で散歩したいなぁ」

美咲が指をさしたのはここから3駅先の駅、すぐそばには大きな川があるが、実は洋介の家の近くだった。洋介にとっては見慣れた場所、でも、美咲がそこに行きたいと言うのだから行かないわけにはいかない。

「わかったよ。俺は定期で行けるけど、三沢さんは?」

「三沢さんだなんて、他人行儀だなぁ。美咲でいいわよ」

それを聞いた洋介は軽く照れ笑いをしながら今まで口に出せなかった言葉をかけてきた。

「美咲。それでいい?」

美咲は嬉しそうな表情で洋介の腕に自分の腕を絡ませて来た。

「うん、それそれ。私もカードがあるから大丈夫」

美咲はバッグの中から財布を取り出すと洋介にカードを見せた。

「電車代くらい出してやるって」

洋介がそう言っても美咲は首を横に振った。

「いいえ。洋介にはもっと高いものをプレゼントして欲しいから、これくらいは私が払うよ」
そんなことを言いながら美咲は先に改札を通って行った。



ホームで電車を待つ二人。横に並んではいても、まだしっくりと来ないカップルだった。突然始まったばかりのデートで、細かいことは何も決まっていない。とにかく、美咲が行きたいと口にした河原に向かうまでは、二人にとって気楽に過ごせる時間は無かった。

電車が到着するや洋介が空いてる席を見つけて、美咲に座るように促す。それに素直に従って座る美咲。ワンピースの裾を軽く手で直す仕草にはちょっとどきっとした。膝の上にバッグを載せると、気品のいいお嬢様そのものだった。

「洋介って優しいんだね、フフ」

「そうでも無いって。それにしても、美咲から洋介って呼ばれるのまだ慣れてないなぁ」

洋介はそう言いながら首の当たりを手でひっかきながら照れ隠しをしていた。

「フフフ、可愛いね。木下くんって呼ぶのもおかしいから、洋介って呼び捨てしちゃっていいよね」

「まぁ、いいよ。でも、木下くんって呼ばれるのもまだドキドキ」

「そっかぁ。洋介のこと少しはわかったような気がする」

電車の中で洋介は美咲の姿をゆっくりと眺めていた。足下の空色のミュールに始まって、白のワンピース、胸元に光るネックレス、耳元には小さく光る十字架のピアス、自然な輝きをしているロングストレートの黒髪。つり革につかまりながら全てをゆっくりと見ていた。

思えば、こんな間近で美咲を見るのは初めてのこと、首筋に薄い黒子があるなんてことはこの時になって初めて気づいたのだ。



電車は次の駅に停車した。急行の停まる少し大きな駅のため人の入れ替わりが激しかった。再び電車が動き始めると、美咲は洋介に細く白い手を洋介に差し出して言った。

「洋介。手をつないでくれる?」

洋介にとっては、美咲と手をつなぐという動作、とっても単純な動作ではあるが悩ましかった。今まで女性の手を触れたことなんて滅多に無いからである。美咲の手を握った瞬間に力が入りすぎて、握りつぶしてしまうのでは無いかと不安がよぎる。しかし、そんな不安は思いがけなく消し去られた。電車が突然ちょっとだけ大きく揺れたからだ。

「きゃぁ」

美咲の軽い悲鳴に思わず、洋介は手を取った。初めて触る美咲の手、白くて冷たくてすべすべしている。思った以上にキモチがおかしくなって、なんとも言えない快感だった。

「このまま駅に到着するまで握っていてもいいかな?」

洋介のこの質問に美咲は素直に首を縦に降ろしてくれた。



日が沈むにはまだ時間があったが、西日がだんだんと大きく見えていた。

改札口を出てきた洋介と美咲は約束の河原へとゆっくりと歩き始めた。河原まではあと5分ほどで到着する。美咲のミュールはさっきよりも音が響いているように洋介は感じていた。二人の心に余裕ができて来たのか、自然に手をつなぎながら河原までの道を歩いていた。電車に乗る前のおどおどカップルとは大差があった。ゆっくりと土手を上がって行くと、洋介には見慣れた川が流れていた。そして、見慣れた河原がそこにはあった。

「到着しました」

洋介が落ち着いた声で美咲を招待する。美咲は背伸びをしながらゆっくりと空気を吸い込んでいた。

「あぁ〜、気持ちいいなぁ。ここに来ると昔を思い出しちゃいそう」

「ん?昔って?」

「ここって昔からよく来てるところだから」

「そうなんだ。美咲もここによく来てたんだね」

「まぁね。ここに来ると色んな想い出がよみがえるって言うか」

洋介は土手の草むらに腰を落ち着けた。すかさずハンカチを取り出して、美咲が座る場所をつくってくれた。二人は草の上に座りながら川を眺めていた。ゆっくりと美咲は洋介の体に寄りついて来た。

「こうやっていると、初めてデートしてるって気がしないね」

そう言いながら美咲は洋介に抱きついて来た。

「そうだなぁ。ずっと一緒にいたみたい」

「フフフ」

二人は微笑みながら、唇を重ねて行く。そうやって気がついた時には、夕日が川に映るほど低い位置までせまっていた。

「そう言えば、洋介の家ってここから近いよね」

「うん。ここからすぐだよ。どうして知ってるの?

「さっき幹弘くんから聞いたの〜」

そう言いつつも美咲は軽く舌をペコリと出した。洋介は思いきって言ってみた。

「じゃあ、家に来る?」

そういう洋介に美咲は指で×をつくりながら言った。

「私たちって、まだ始まったばかりでしょ。なんだか早い気がするわ」

「そうっか。それならまた今度にしよっか」

すると今度は美咲が喧噪を変えて言ってくる。

「意気地無しなんだから、こういう時は強引に連れて行くものじゃない?」

「えっ?」それもそうだよな。美咲の家に行くんじゃなくて俺の家だもんな、そこまで気兼ねする必要も無いか」

そう言うと二人は一緒に立ち上がった。お尻に残っていた草を払うと、二人の足は洋介の家へと向かっていた。



「ただいまぁ」

いつもの調子で洋介が家に帰って来ると、奥の部屋から洋介の母親が出迎えた。

「あら、お帰り」

洋介の母親は見慣れない女性を見ると、すぐにピーンと来たようだった。

「もしかして洋介の彼女?」

洋介は母親に目配せしながら合図を送った。

「あらそうなの。どうぞ、ゆっくりしていって下さい」

「お邪魔します」

ミュールを脱ぐと玄関にきれいに並べ直した。今時あまり見ない光景に洋介の母親は更に好感を持ったようだ。

「洋介の部屋は2階なんだけど、何か飲みたいものあるかしら?」

「母さん、すぐに帰るから気をつかわなくてもいいよ」

「そんな、遠慮しないでいいのよ。後で持って行くから」

「いらないって言ってるだろ。母さんはおとなしく下にいてよ」

洋介の剣幕に母親はおとなしくするしか無かった。



2階の洋介の部屋の前まで来ると、美咲は中に入る前に待たされた。
洋介は部屋の中を少しでもきれいに見せようと必死だ。

さっきまでの状態だと足の踏み場も無かったが、なんとか座る場所だけは確保できた。準備が出来たところで、美咲を中に迎え入れた。美咲は自分のベッドの上に座らせて、洋介は勉強用の椅子に腰をかけた。ドアを閉めると2人きりの空間に包まれた。ベッドの上に座った美咲が、足を軽くぶらぶらさせながら口を開いた。

「洋介の部屋って、思ってた通りだね」

「まぁ、そうだと思うよ。汚くてごめんね」

洋介が照れながらそう言った。

「洋介の部屋って、初めてだけど初めてじゃないから予想はしてたよ」

「まぁ、男の部屋ってこんなもんだよね。ここに母さん以外の女性が入ったのは初めてだったし」

「ふ〜ん。洋介の部屋の本棚って大きいね。それに、洋介の匂いがする。今まで感じたことなかったのに」

「ここが俺の住み家だからね」

「あぁ〜、私疲れちゃった。そうだ。ここで寝て行ってもいいかなぁ

「いいって言いたいところだけど、今日は帰さないとまずいから」

洋介がそう言うと美咲は、不適な笑みで笑い始めた。

「ハッハッハッハ。ワーッハッハッハ」

美咲は、突然お腹を抱えながらベッドの上でのたうち回っていた。

「ハッーハッハ。ワッハッハ」

「美咲?どうしたの?」

「ずっと我慢してたんだけど、そろそろ我慢も限界を通り過ぎちゃって」

そう言いながら美咲は自分のバッグの中を探し始めた。

「何探してるの?」

「洋介に見せたら、絶対驚くと思うよ」

そして、美咲がバッグの中にあるファスナーを開くと探していたものが見つかった。

「あった。じゃじゃ〜ん」

目の前で見せられたのは化粧品の試供品が入っているような小さな小瓶だった。洋介がよく見てみるとあることに気づいた。

「美咲?」

そう、この小瓶の中には裸体の美咲が入っていた。透明な小瓶に入っている美咲は白雪姫が眠るかのように眠りについているように見える。洋介には一体何が起こっているのかさっぱり理解ができていなかった。

「ねぇ。この中に入っているのって誰だかわかる?」

美咲は小瓶を洋介の目の前に差し出しながら聞いて来た。

「美咲だよな」

「そう。この中に入っているのが正真正銘の三沢美咲」

「正真正銘?」

「だからぁ、洋介って鈍い奴だよなぁ。この中に入ってるのが本当の美咲で、ここにいるのは…」

美咲がそこまで言うと小瓶のキャップを軽く緩めた。洋介の目の前には美咲の服を着ている幹弘が現れた。

「俺なんだよなぁ」

そこにはきつきつの白いワンピースを着た幹弘の姿が突然現れた。それを見た洋介はすっかり言葉を失ってしまった。幹弘は小瓶のキャップを閉めると白いワンピースを着た美咲の姿に戻っていた。

「せっかくだから、美咲の姿になって説明してやるよ。そもそもこの小瓶が存在することが理解できる奴は何人もいるとは思わないけど、洋介のためには教えてやろうと思って」

洋介は目の前で起こっていることをようやく少し理解したところだった。

「この小瓶は魔法の小瓶で、この小瓶の中に人間を閉じこめることが出来て、小瓶のキャップをしっかり閉めるとキャップを閉めた人間が中の人間に変身できるってわけ。この小瓶の中に閉じこめられると白雪姫のように仮死状態になるから、この中にいたってことは覚えているはずが無いんだ。変身している状態で記憶の同期が取れたりする機能もある」

ここまでの説明を聞いて洋介は完全に理解できたようだ。

「ということは、目の前にいる美咲は本当は幹弘で、小瓶の中にいるのが本当の美咲ってことか?」

「フフフ、その通り。姿だけじゃなく美咲の能力も記憶も全て持っているので、美咲と全く同じをすることだって出来る。俺はまだ慣れていないから完璧な美咲にはなれないけど、他人に気づかれることは無いだろう」

洋介は我に返ったように思いついた。

「えっ!じゃあ、今まで俺と一緒にいた美咲はずっと幹弘だったってことか?」

「ようやく理解できたようだな」

「で、幹弘だよな。美咲の姿でそのしゃべり方やめてくれないか。なんか、美咲のイメージが崩れるからさぁ」

「そうか?あっ、わかったよ。お前の大事な美咲だもんな。お前の言う通り美咲としてお前に接してやるよ」

そう言うと幹弘が変身した美咲は正真正銘の美咲が入った小瓶を机の上に置いた。幹弘が変身した美咲はバッグの中から更に半透明の白色小瓶を取り出した。

「ねぇ、洋介。こんな小瓶もあるのよ」

幹弘が美咲そっくりに言動するので、洋介の中では目の前にいるのが幹弘だとは信じられない、まるで美咲と自然に話しているようだった。

「半透明の小瓶? この中に入ってるのって、幹弘の服や靴、それに鞄じゃないか」

「そう、この中には服や靴と言った身の回りの小物を入れておけるの、容量に限界があるのであまりたくさんは入らないけど、一通りのものは大体入るわ、だから今は阿部くんの着ていたものが入ってるわ」

ここで洋介は疑問が出て来たので聞いてみた。

「なんでそんなものが必要なの?」

「だって、透明な小瓶は生身の体しか入れられないのよ。着ていたものとかはそのままになっちゃうから、手軽に持ち運べるようにしないといけないじゃない」

「ふ〜ん。そういうもんなんだ」

「とにかく、さっきは図書館のトイレの前で美咲を待ち伏せて、美咲の体は透明の小瓶に、美咲が着ていたものと手回り品は半透明の小瓶に入れて、誰にも気づかれないうちに女子トイレで美咲に着替えをしたって訳」

「よ〜く、わかったよ。俺がいっぱい食わされたってわけか」

「そうじゃない、そうじゃないわよ」

「美咲って、いいえ私って本当に洋介のことが好きなの、最初は洋介のために美咲として告白しようと思ったんだけど、美咲が本当に洋介のことを好きだとわかったから、できるだけ二人の手助けがしたいなって」

「幹弘、お前って奴は…」

洋介は思わず美咲の唇を奪っていた。







 

本作品の著作権等について

・本作品はフィクションであり、登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
・本作品についてのあらゆる著作権は、全て作者の夏目彩香が有するものとします。
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