新妻の秘密

作:夏目彩香(2003年7月1日初公開)

「愛してるよ」
「うん、私は100倍愛してるからね」
「今日もそれかよ」
「私だけの口癖だからね。覚えておいて」
玄関の前で見られる微笑ましい朝の風景。夫を会社へ送るときは必ずこうしている新婚夫婦の姿。
「早く帰って来てね」
「うん」
そう言うと夫はいつものように会社へと向かっていった。ここに残されるのはいつも妻一人。夫がいなくなるとちょっと気落ちしてしまうようだ。

彼女は居間に置いてある大きなソファーに腰をかけると、大きなため息をついた。テレビを見ながら、ゆっくりとソファーの上で軽く休むのが毎日の日課になっている。朝ご飯の片づけもしなくてはならないし、洗濯もあれば部屋の掃除もある。新婚生活を初めて主婦も大変だと思うようになった。

彼女は、テレビを見てから朝ご飯の残骸が散らかる台所へと向かう。テーブルの上を片づけながら、彼女は思わず思ってしまうのだ。毎日同じことの繰り返し、夫の帰りを待つ毎日を続けていくしかないのかと思うと、片づけをする手もゆっくりになってしまう。

シンクの中にたまった食器に目をやるが、ちょっとやる気が無い。気分転換をしてみようと、パソコンの前に座ってインターネットを初めて見る。まずはメールチェック、いつものように夫の携帯電話からメールが入っている。夫はいつも出勤するとパソコン用のメールアドレスにメールを送るのだ。彼女はそのメールが届いた時間を毎日記録して、家計簿と一緒にパソコンで管理をしている。

いつもやっていることを終えようとすると、彼女は新しいメールが入っているのに気づいた。メールアドレスを見てもタイトルを見ても怪しいメールに違いない、彼女は見ることも無くゴミ箱へと捨てていた。

気分転換ができたのか、彼女は台所に戻り食器洗いを始めた。みるみるうちにきれいになっていく食器たち、パソコンをやっている間に浸けて置いたので汚れが落ちやすくなっているのだ。食器洗いが終わると、シンクもきれいにして、洗濯をはじめる。

洗濯が終わるのを待つ間、掃除機を使って部屋をきれいにしはじめた。結婚する前までは家事をやることがほとんど無いのに、今ではすっかりと手慣れてしまった。毎日同じことの繰り返しに思えても、何をやるにも上手になっているので、つまらなくなることは無かった。そして、暇があるとパソコンの前に座り、インターネットをする。そんな繰り返しだった。

午後になると、買い物をするために外出をするのが彼女の日課だった。いつものように自転車に乗ってスーパーへ向かうと、夕食の献立を考えながら食材を購入する。なるべくお金がかからないように気をつけてはいる。お金に細かくなったのは結婚前には考えていなかった。

買い物を終えると、スーパーからマンションへと帰ることになる。自転車かごに買い物袋を入れるとゆっくりとペダルを漕ぎながらマンションへと向かうのだ。荷物があると自転車は前の方が当然重たくなるので、気をつけなくてはならない、特にカーブでは操縦を誤ると倒れてしまうので注意が必要だ。

マンションへ向かうまでの最後のカーブがやってくる、彼女は軽快に自転車を走らせていたが、突然向かいから車がやって来て、よけなくてはならなくなった。この時、彼女はハンドルを切りすぎて自転車を壁にぶつけてしまったのだ。彼女もその場に倒れてしまったが、誰も助ける人はいなかった。

ピンポーン、ピンポーン。玄関のチャイムを鳴らすと中からドアが開いた。玄関の前に立っていたのいつも見ている夫の姿だった。妻の顔を見てほっとした彼は我が家へ入ると、鍵をしっかりと閉め、靴を脱いだ。妻は台所へ向かったようだった。

家の中に入ると彼は心配そうに彼女の方を見ている。
「大丈夫?」
「ん?何が大丈夫?」
「だから、自転車乗ってて倒れたってメールくれただろう」
「あっ。それ。それだったら、もう大丈夫よ」
彼女はぶつけた頭を夫に見せながら安心してもらう。
「怪我は無かった?」
彼はまだ安心していないようだった。
「じゃあ、確認してみる?」
口調が突然変わり、彼女は身につけている青のワンピースを脱ぎはじめ、あっと言う間に下着姿になった。ここは台所、下着姿の彼女が夕食の準備をしてる何て考えるとちょっといやらしい。新婚だからと言ってもこんなことは今まで一度もなかった。

「突然、裸になってどうしたんだよ」
妻はちょっとセクシーなポーズをとりながら、夫に自分の体を見せつける。
「だから〜。怪我してないって証明したいのよ」
「わかったよ」
仕方なく、彼は観念したよう。
「私の体を見てよ。怪我なんてないでしょ」
妻の下着姿を見るのはもちろん初めてのことでは無いが、なんとなく気恥ずかしい。寝室だと良くて、台所だと駄目だという訳ではないが、今までの妻はこんな風に自分の方から見せるような方ではなかったからだ。
「怪我なんてないでしょ。自転車から倒れた時はびっくりしちゃったけど、傷一つないんだからよかったわ」
「なら、もういいだろ。これ」
そう言うと夫は妻が着ていた青のワンピースを差し出した。
「ん?何それ」
「だから。。。これ着ろって」
すると妻の口からは思いがけない言葉が出てくる。
「このままでもいいでしょ」
「おい、その格好で家の中をウロウロする気かよ」
「いいじゃない。たまには違ったことやらないとね。本当はして欲しいのに恥ずかしがらなくてもいいのよ。私たち夫婦じゃない」
寝室でもなかなか脱いでくれない妻の態度に夫は、恥ずかしさを隠せない様子だった。
「だからって。まだ夕食すら食べていないじゃないか」
「この格好で食べさせてあ・げ・る」
「今日の知美(ともみ)はなんか変だなぁ」
夫は妻に聞こえないように独り言を言った。

とりあえず観念して妻の言うとおり、妻は下着姿のまま夕食の準備を続ける。夫は台所の椅子に座りながら、準備が終わるのを待っているのだ。
「知美。自転車で倒れてちょっと頭変になったのか?」
知美は夫の方に体をひねらせながら、
「そんなこと無いって。しいて言えば性格が少し明るくなったのかもね」
そう言うとニコッと笑顔を振りまいて夕食の準備を続けていた。

しばらくするとテーブルの上は準備が完了した。夫が食べるのを見てから、妻は自分のものに手をつけ始めた。
「知美。寒くないか?」
「ん?全然。ちょうどいいわよ」
ご飯を食べる間はいつも話を欠かさない二人だが、今日はどうも話が弾まない。

ご飯を食べ終わると今日は疲れたことにして、夫は寝室に向かった。こうなると、いつも妻はインターネットにはまっているはずなのに、珍しく夫のそばに向かう。彼の隣に妻が寝ると、妻の方から夜のお勤めをしたいと言って来た。

そんな夜を過ごしながら、新しい朝がやって来た。カーテンの隙間から光が入って来ても妻は起きてくれない。いつもなら夫よりも早く起きているのにだ。夫はしょうがなく妻を寝かせたままで朝の準備を始める。いつもと違って朝ご飯の用意もできていないから、今日は早めに出かけることにした。

準備ができた夫はベッドの上で寝ている妻を起こした。妻は家の中で着ている青のワンピースを着ると一緒に玄関へと向かった。靴を履き、玄関を開けると、夫はいつもの一言を妻に浴びせた。

「愛してるよ」
いつもだと、すぐに答えてくるはずだが、今日の妻は反応が鈍かった。
「うん、私も」
夫は思った。いつもの答えと違うと。
「知美。今日はいつもと違う答えなんだな」
「えっ?」
夫の問いに妻は答えなくなってしまった。
「やっぱ。自転車で倒れておかしくなったんだな」
「ん?そうじゃないわよ」
「絶対そうだって」
「そうじゃないって、言ってるだろう」
突然起こったような口調。妻が出した声は廊下に響き渡った。夫は玄関に戻り扉を閉めて話を続けた。
「知美。怒ったのか?」
そう言うと、妻は首を横に振った。
「そうじゃないって」
「じゃ、何なんだよ」
夫は妻の顔をじっと見つめている。
「実は……」
「実はの後が何だよ〜」
夫はすっかりきれてしまったようだ。
「実はあなたがつきあっていたのは私じゃなかったの。」
「何言ってるんだよ?」
「つまり、自転車が倒れてからが本当の私で、それより前。つまりあなたとつきあっている間の私は誰かに乗っ取られていたみたいなの」
「そんなことがあるかよ」
「信じてよ」
妻は夫の目を見ながら真剣に話す。
「そんなの信じることができるかよ」
「私は本当の知美で、元に戻ったらあなたと結婚してることになっていて、私の意思では無かったから、早くあなたのことをわかりたくて、大胆になってみたの」
「じゃあ、俺がつきあっていた知美は誰だったんだよ」
「それは……」
「知ってるんだろ」
すると、妻はパソコンの前に座り、ファイルを検索し始めた。
「こいつよ」
夫に1枚の写真を見せる。
「そんな……」
「本当よ。私のこと信じてくれる?」
妻は夫の目を真剣な眼差しで見ている。夫はゆっくりと首を立てに振った。
「よかった。私がようやく戻れたんだから、これから一緒に助けて下さいね」
「わかったよ。これから本当の知美を愛せるんだから、俺ができることは手伝うよ」
そう言うと、夫はいつものように会社へと向かっていった。

家の中で一人になった妻は、パソコンの画面にある写真を見ながら密かな笑みをこぼしていた。
「これは俺の写真だよ。昨日の朝までは本当の知美と結婚していたって。ものわかりのいい夫ができて俺も運がよかったぜ。知美として新しく人生を楽しもうか」
パソコンの中には学生服を着た男子学生の姿が笑っていた。パソコンの前には同じように知美が笑っていた。



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