いきなり歯科衛生士

作:夏目彩香(2000年9月8日初公開)


 


子供が歯医者を怖がるのは世の常である。しかし、大人がまたそれを恐れるのもまたしかりである。俺、飯山誠はそんなことから生まれて20年、歯医者に行ったことのない奴だった。

だからこそ、未だに歯医者のイメージは悪いままだ。最近は、レーザー治療だとか最新の診療技術が発達しているみたいで、昔ほど痛くないようだが、噂によく聞くキィーキィーといった音から想像しても、あんなところへ行くもんじゃないと未だに思っている。ところが、そんな俺が歯医者に行く気になったんだから、人生そのものが変わってしまったようだ。

先週末の土曜の夜、俺は眠ろうにも眠れなかった。そう、奥歯がとっても痛くて眠れなかったんだ。痛みを抑えるために薬も飲んだし、歯磨きもしっかりとしている。それでもなお痛かった。

このままだと一睡もできなくなってしまうのではないかと思ったので。ついには正露丸を歯に詰めてみた。するとなんとか眠れる程度にはなったので、そのまま布団で横になった。そのあとはすっと眠りにつくことができた。

次の日の朝目覚めると、みょうな違和感を歯に感じた。やっぱりあんなことで治ってるわけがない。どうしようもないくらいの痛みなので、俺は仕方なく保険証を探し始めた。ところが、病院にすらめったに行かないので、なかなか見つからない。

あそこの棚だったっけな?あっちの方かな?それとも……居間で保険証を探してるうちに日が上ってきた。まだ、朝なんだよな。みんな寝静まってる時間だって言うのに〜〜一体、どこにあるんだ!俺のフラストレーションはますますたまり、歯の痛みも増してくる。

そんな時、妹の美沙が起きてきた。

「今日は早いのね。お兄ちゃんったら。何してるの?」

必死になって探し物をしているときに、そんな厭味をいわれるとは、なんたる侮辱かと思ったが、俺がとっさに言った言葉は、

「保険証どこにあるか知ってるか?」

の一言だった。おはようすらでてこないほどに俺は余裕を失っていた。

「保険証って。もしかして、お兄ちゃん病院行くの?」

「病院じゃない。歯医者だ!」

「えええええええ!!!!」

「えええええええ!!!!じゃない。そんなこと言ってないで一緒に探せよ!」

突き放すような感じで美沙に言ってしまった。明かにいつもの俺とは違った様子を美沙は察知したのか。

「はい、お兄ちゃん。保険証よ!」

にこやかに美沙は保険証を出してきた。

「それって?そんなに簡単に見つかるのか?・・・・・・」

「保険証なんていつもの場所においてあるもの、簡単よ。お兄ちゃんはまだ歯医者行ったことなかったよね。覚悟してるよね。きっと」

「今日の痛みは半端じゃない。もうこれ以上我慢したら死んでしまうよ。だいたい俺は成人式を終えたんだ。子供の嫌がるところだって行けるよ」

「ふ〜ん。ところでさぁ。どこの歯医者さん行くの?美沙の行きつけ所なら今日は休みなんだけど」

「年中無休じゃないのか?」

「当たり前じゃないの。そんな所、このあたりにあるわけないよ」

「それじゃ、どこか探そう。今すぐにやってくれるところを」

「何で探そうっか?」

「インターネットつなげてみよう」

「この辺の検索できるかなぁ?」

「できるはずだって」

そうやって俺は朝も早くから歯医者にいる。歯医者なんてはじめてだから。思わず土足で上がりこんでしまった。よく見るとスリッパに履き替えるようになっているらしい。それにしても、こんな近くに最近できたばかりの歯医者があるとは思わなかった。

車で10分くらいで着くんだからたいした距離ではない。待合室の雰囲気はおちついた感じなんだが、戸の向こう側が診療室だと思うと思わず緊張してしまう。ここが、噂でしか聞いてこなかった歯医者なんだなって、実感しながら名前を呼ばれるのを待っていた。

受付に人だっていないというのは気になるものの、どうやらここは最新の設備を導入しているらしいことはサイトに載っていた。まぁ、今の俺はこの歯が痛いのをなんとかしてくれたらいいだけで、またここに来るかどうかはわからないのだが、歯医者に行ったという経験はそのうち生きてくるだろう?

なんてことを考えているうちに、受付に女性が現れた。俺好みのきれいなお姉さん風だ。たしか、歯科衛生士とか言うのが歯医者にいて、今はほとんど女性が占めている職業だそうだ。男女雇用均等法の改正に合わせて、男性もなれるみたいだが、就職の問題があって、今は現実的ではないらしい。

「飯山さ〜ん」

お姉さんの声で呼ばれる。

「は〜い」

と言いながら俺は受付に足を運ぶ。お姉さんの胸にはネームタグついていて高橋と書いてあった。

「初診ですね。まずは、レントゲンとらせてもらいますので、中にお入りください」

ということで、俺は診療室へと入っていった。

そこには、2つの椅子が置いてあって、なんだかすごい機械みたいにみえる。1台高いんだろうな〜。なんてことを思索していると、さっきのお姉さんが奥にあるレントゲン室に入れられた。レントゲンをとり終わると、さっきのヘンテコな椅子に座って待っていて欲しいと言われた。

この椅子に座った限りでは安心感があるが、目の前にある工具箱のようなものを見ていると、頭が痛くなってきた。これから、俺の今まで避けてきた治療が始まるらしい、歯を削られて、神経を抜いて、痛みをとってしまう。気楽に考えればいいのだが、俺にとって歯医者は鬼門中の鬼門だったからもう冷や汗をかいている。しばらく待っているとおそらく先生らしき男がやってきた。

「飯山さんですね。それでは、診療をはじめる前にさきほどのレントゲンをお見せします」

ここの歯医者の先生がレントゲンを取り出すと、見事なくらいにボロボロな口の中と判定された。それでも、よくもここまで我慢できたものだと感心もされた。まぁ、とりあえずは治してみるだけ、治してみようということになった。ずいぶんと適当だが、手のつけられるところから徐々にやるしかないとのことだ。

「それじゃあ、診療を始めるんですが、飯山さんが歯医者に行くのは初めてだと聞きました。それは本当ですか?」

「本当です。とにかく、痛くてどうしようもなくて、それで今日は意を決して来ました」

「それは、ありがとうございます。私も独立して初めての患者さんなのですが、よかったら痛みが無い方がいいですよね」

「はい、それならその方がいいです。ってことは麻酔でも打つって事なんですか?」

俺はビクビクしながら聞いている、もうここに座っているのが恐ろしくなってきた。

「いいえ、違います。当歯科では最新の診療法を導入いたしました。例えば、たぶん飯山さんは初めてなので痛みを感じやすいでしょう。そういう場合は誰かに換わりをやってもらいます」

「先生、痛みなんて代われるものじゃないですよ?」

「そうですよね。人の痛みなんてわかりません。でも、誰かに自分の換わりをやってもらえば、痛みもとって換わるわけです。本来は診察料の他に別料金を取ることになってるのですが、今日は私の初診と言うこともあって無料のサービスとさせていただきます。よろしいですよね」

「先生の言う通りにお願いします。痛くないならそれでいいです」

「じゃあ、この椅子に座ったまま待っていてください」

そういい残すと先生は高橋さんのいるはずの奥の部屋に入っていった。

奥の部屋では、先生と高橋さんが話している。

「ということで、よろしく頼むよ。手当はしっかりとだすから」

「はい、いいですよ。特別手当ねだっちゃいますからね!」

先生の声に続いて高橋さんの声。2人は何を話してるのかな?そんなことは気にならないはずはなく、俺の耳に入ってくる。そして、先生と高橋さんが奥の部屋から出てきた。

「ここに座って」

先生は高橋さんに俺の隣の椅子に座るように命じた。

「それじゃ、飯山さん。椅子の上でじっとしてください。じゃあ行きますよ。せい、の、さん、はい」

そう先生が言うと俺の見ていた天井がずれたように見えた。それに、歯の痛みはなくなっている。これが最新式の治療法なのか?あっという間に痛みがなくなってしまった。

でも、なんとなく体に違和感があるのに気がついた。胸のあたりが少し重たいような、それに髪が急に伸びてしまったような。体のいたるところに違和感を感じていた。

「先生、これは一体?」

あれっ?俺が出した声は俺のものではなく、さっき受付で聞いた高橋さんの声だった。もしかして、むくっと起き上がって鏡を見てみると、そこには、薄いピンクの白衣を着た高橋さんがいた。そして、隣の椅子には俺が座っている。


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(絵:あさぎりさん 2003/06/26)


「先生、何で俺が・・・」

と俺が可愛い声を出すと先生は、

「だから、高橋さんと君を交換してあげたんだよ。これなら痛みを感じるのは高橋さんだろ?もともと子供用に造られた技術もこうして大人用に改良を加えてあるんだ。君はそこで待っていなさい。それとも、自分の歯の治療をみてみるかい?」

俺はとりあえず、さっきの椅子の上に座って治療を見ていることにした。




(終わり)





 

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