乗り移り短編集
幽・拐・犯
作:トゥルー


「可奈ちゃん!」

友人の章江と一緒に下校しようとしていた羽山可奈は、自分を呼ぶ声に後ろを振り返った。
担任の小松先生が、息せき切ってこちらに駆けてくる。
この小学校に赴任してきたばかりの新人教師で、普段は明るさと元気さに溢れる人柄なのだが、今は青い顔に悲痛な表情を浮かべていて、明らかに様子がおかしかった。

「せんせー、どうしたの?」

隣りにいた章江が、自分の代わりに質問する。
先生は膝に手をついて呼吸を整えた後、真剣な顔で可奈を見た。

「ご両親から連絡が入ったの。先生の車で送るから、一緒に来てくれる?」

「パパとママに、何かあったんですか!?」

予想外の言葉に、可奈はびっくりして先生に詰め寄った。

「詳しい話は車の中でします。さあ、急いで」

「わ、分かりました……!」

心配そうな章江をその場に残し、可奈は先生に手を引かれながら早足で駆け出す。
今日のホームルームで、家に帰る時は必ず友達と一緒に行動し、無闇に外を出歩かないよう注意されたばかりだ。
車で送ってもらう可奈はともかく、一人で帰ることになる章江をそのままほったらかしにするなど、いつもの小松先生らしくないのだが――
両親の安否で頭がいっぱいな可奈に、そこまで考える余裕はなかった。

駐車場に停められていた小松先生の軽自動車に乗り込む。
可奈が助手席に座りドアを閉めた途端、シートベルトをする余裕もなく車が急発進した。

「そ、それで、どうしたんです、先生?」

ガクガクと振動に揺さぶられながらもどうにかシートベルトで体を固定し、可奈は運転する小松先生を見上げた。

「――学活で話したでしょう?隣町に、連続誘拐事件の犯人が現れたこと」

「ハ、ハイ」

「あなたの家に差出人不明の手紙が届いたそうなの。「おたくの娘さんをいただきます」――中にはそんな一文が書かれていたらしいわ」

「わ、わたしの家に、ですか……!?」

前を睨んだまま説明する先生の言葉に、可奈は耳を疑った。
連続誘拐事件――
それは最近世間を賑わせている犯罪だった。
小学生の女子ばかりを狙い、日本のあちこちで同様の犯行を重ねている。
警察の必死の捜査にもかかわらず足取りはまったくつかめず、犯人が単独犯なのか複数犯なのかも分かっていなかった。

「警察に相談し、取りあえず自宅は危険だと言う事で、ご両親はすでに警察が用意した別宅へ匿われているの。だから、私たちもそこへ向かいます」

先生の言葉が、じわじわと恐怖となって可奈を襲った。
震えだした体を自分で抱き締める。

「なんで……?なんで、わたしを……」

「可奈ちゃん可愛いからね。犯人の好みにピッタリはまったのかも」

「そんな!冗談でもやめてください!」

「ごめん、ごめん」

涙目で怒る可奈に対し、小松先生は半笑いで適当な謝罪をした。
生徒が怯えているのに、それを茶化すなんて――
鼻をすすりながら、恨みがましく運転する先生に非難の目を向ける。

しばらくすると、道路が渋滞してきた。
目の前をゆっくりと走る車を睨みつけながら小松先生は舌打ちし、クラクションを鳴らす。

「ったく、チンタラ走ってんじゃねーよ……!」

口汚く罵り、ハンドルを乱暴に殴りつける。
普段とはあまりにも違うその態度に、可奈は唖然となった。
ハンドルを握ると人格が変わる運転手がいると言う話を聞いたことがあるが、先生もそんな性格だったのだろうか?

そのまま先生は苦虫をかみつぶしたような顔で、スーツのポケットに手を入れ、中から煙草の箱を取り出した。
一本取り出して口にくわえ、慣れた動作でライターで火をつける。
吐き出された紫煙に耐えられず、可奈はけほけほと咳き込んでしまう。

「あら……可奈ちゃんのパパって煙草吸わない人なの?」

苦しそうにする可奈を横目で眺め、小松先生は意地の悪そうな笑みを浮かべた。
とても教師とは思えない態度である。

「そうだ、可奈ちゃん。時間つぶしに、課外授業を聞かせてあげようか?」

「え……?」

「誘拐犯のことよ」

急いで窓を開けて新鮮な空気を吸おうとする可奈の背中に向かって、小松先生が煙草をくわえたまま聞いてきた。

「今まで何度も誘拐事件は繰り返されてきた……なのに、なんでまだ犯人は捕まっていないんだと思う?」

「わ、分かりません……」

「それはね、誘拐された女の子の身近な人間が手を貸していたからよ」

「身近な、人……?」

「家族や友人――被害者となった子供がよく知る人たち。そんな人間が犯人の計画に加担していたの。さて、何故でしょう?」

「協力するように犯人におどされた、とか……?」

「ハ・ズ・レ。その人たちは自らの意思で行ったのよ……『見た目』には、ね」

そう言って小松先生は唇を歪ませた。
しかし当然、彼女の含んだ言葉の意味は可奈には分からない。

「昔々――お金持ちの子供を狙って身代金誘拐を企んだ男がいました」

突然、先生が話の筋を変えた。

「でも、その男はとことん運が悪くてね……逃走中に事故を起こし、乗っていた車ごと橋から転落、亡くなってしまったのよ」

まるで見てきたように、先生は苦い表情でかつて起きた事件を物語る。

「折角手に入れたお金も車と一緒に炎上。よほど悔やしかったんでしょうね……死んだ後も消えない強く黒い感情は、男の魂を地獄ではなくこの世につなぎとめた。以来――男は幽霊として永遠の時を過ごす羽目になったってわけ」

淡々とした口調で、怪談じみた話をする先生を見上げ、可奈の中で言い知れない怖さが沸き上がってきた。

「つまり、今世間を騒がせている連続誘拐犯は、その幽霊なのよ」

「そんな……!」

「信じられない?まあ、無理もないわ……先生も『正気』だったら絶対に信じなかっただろうしね……んふふ」

青ざめる可奈を見つめ、小松先生は思わせぶりなつぶやきを漏らした。
ようやく渋滞を抜け、車が本来のスピードを取り戻しはじめる。

「強い『想い』を持って死んだ霊は、その欲望に取り憑かれたままこの世をさ迷い続けるの……だから誘拐を目論んだ男の幽霊は、何度も何度も誘拐と言う名の犯罪行為を繰り返す――喉の渇きを癒そうとして、水を求めるようにね。」

周りを走る車の数がどんどん減っていく。

「犯人が幽霊なら、絶対に警察に捕まることはないでしょう……?だって、実体なんてないんだから」

「で、でも……どうやってお化けが誘拐なんて……」

「そう、そこがポイント。幽霊は――生きている人間の体に乗り移ることができるのよ」

「のり、うつる……?」

「幽霊が肉体を奪っちゃうの。そうすれば、見た目はその人でも中身は幽霊そのもの……実体のない彼らにとって生きている人間は一時的な入れ物ってわけ。私たちがお洋服をお着替えするような感じかな?」

先生は可奈のスカートの裾を摘まんで、ヒラヒラと揺すって見せた。

「そ、それじゃあ……まさか……」

「分かった?誘拐犯は獲物に選んだ女の子の周りの人間の姿を借りて、犯行に及んだの……一時的に体を乗っ取られた相手は、その間の記憶が一切ない。見た目が「不審人物」でない上に、当人たちに実行の記憶がないんじゃ犯罪がみつかる心配はないってわけ……アッタマ良〜い♪」

口の端を吊り上げて、優しげな顔に不釣り合いな不気味な笑みを浮かべる小松先生。
魔女のようなその笑い方に、可奈の中で恐怖心がどんどん膨らんでいく。
途端に自分の担任が、見知らぬ人間に思えてきた。

――車はいつの間にか町を抜け出していたらしく、周囲には寂れた郊外の景色が広がっている。
道路も舗装されたアスファルトから砂利道へと変化し、走行に合わせてガタガタとシートが揺れだしていた。

「せ、先生……本当に、警察のところへ向かってるんですか……?」

可奈の質問に、小松先生は何も答えない。
能面のような顔で、じっと前だけを見ている。

「も、もしも犯人が本当にお化けなら……もう、わたしの知っている誰かに化けている、ってことですか……?」

「そうね〜、可奈ちゃんが狙われているんだから、可奈ちゃんの周りの人に乗り移ってるかもしれないわねぇ……例えば、可奈ちゃんのお父さんとか……お母さんとか……」

坂を上る振動で、車が一際激しく揺れた。
じっと正面を見ていた小松先生が、ゆっくりと可奈の方を振り向く。

「それとも――わ・た・し・か・な?」

「――!?」

にいーっと、先生の笑いが先程よりもさらに醜悪なものに変わる。
あまりの恐ろしさに、可奈は悲鳴を上げることさえできなくなった。

慌ててシートベルトを外して、ドアを開けようとする。
しかし小松先生はその動きを見逃さず、グッとアクセルを強く踏み込んだ。

「あうっ!」

車が加速して、シートに体を押し付けられる。
暴れ馬のように車体が大きく揺さぶられ、口を開けるだけで舌を噛んでしまいそうだ。

「馬鹿な真似はしない方がいいわよ〜?この速度で外に飛び出したら、体がグシャグシャに潰れちゃうんだから」

昼休みにはしゃぐ生徒たちを注意するような口調で、小松先生は可奈の逃亡を躊躇させた。
その表情は、飛び出して死んだところで別にかまわないという、教師にあるまじき無関心さが滲み出ている。
逃げ道を塞がれ、可奈にできるのはガタガタと震えることだけだった。

――山道に入り、しばらく走り続けたところで、ようやく車が停車する。
すぐ側に、潰れかけたあばら家があった。
当然のことながら、周囲には警察どころかまったく人の気配がない。

小松先生はエンジンを切り、窓から吸い終えた煙草を投げ捨てると、新しい一本を取り出してくわえながら、大きく伸びをした。

「ああ〜、やっぱ女の身体は窮屈だぜ……」

「助けて……助けて……パパ……ママ……!」

仮面を剥がして粗野な口調でぼやく小松先生の横で、可奈は涙を浮かべながら両手をギュッと握りしめ、一心にお祈りをしている。
震える少女を励まそうともせず、担任であるはずの女教師は縮こまった教え子の姿を見て、蔑むように鼻を鳴らした。

「フン、残念だけどお嬢ちゃん……こんな山奥に、都合よく誰かが助けになんて現れねえんだよ」

「ひ……っ!」

あごをつかんで自分に振り向かせ、無情な現実を突きつける。
すでに本性を隠そうともせず、男としか思えない喋り方だ。

「さ〜て、と……」

小松先生は吸いさしの煙草を一度灰皿に置いて、逃げないように可奈の小さな顔を両手でつかんだ。
感情を失くしたガラス玉のような目で、じっと睨みつけてくる。
すると――先生の顔がぐにゃりと溶けたのだ。

「いやあああっ!?」

信じられない光景に、可奈は喉が張り裂けんばかりに泣き叫んだ。
溶けたと思った小松先生の顔が、彼女とは別の相貌に変わっていく。

それは――男の顔だった。

女教師の顔から、禿頭の男の顔がメリメリと生まれてきたのだ。
頭が、胴体が、腕が、腰が、小松先生の身体から徐々に這い出てくる。
全身を白塗りにした、暗黒舞踏家のような裸の男だ。

現れた男は蛇のように全身をくねらせて小松先生から抜け出すと、可奈を見てニヤリと笑った。
先程まで先生が浮かべていたあの笑いだ。
宙を踊るようにして男の裸体が伸び上がり、今度は可奈目掛けて降りてくる。

「ひいいいいいっ!?」

顔を背けて逃れようとするが、男は頭突きをする勢いでぶつかってきた。
白い禿頭が触れた途端、少女の顔の中に男の顔がずぶずぶと埋まっていく。

「げっ――!」

可奈はくぐもった悲鳴を上げ、ビクンと四肢を痙攣させた。
男の体がめり込んでいく度に、シートベルトに固定された体が跳ね上がる。

あっという間に、男は可奈の中へと入り込んで消えてしまった。
小松先生もシートに体を預けたまま意識を失い、動く者がいなくなった車内に静寂が訪れる。


「――う……くふっ」

しばらくして、可奈が息を吹き返した。
目を瞬かせて自分の体を見下ろし、視線を横の小松先生に向ける。
先生の方は、いまだに目覚める様子はない。
少女は女教師と自分を、交互に何度も見比べた。

「ひひ……っ、何度やっても、ガキの視界は低くて慣れねえよなぁ……」

にいーっと、可奈が不気味な笑みを浮かべる。
先程までの小松先生や禿頭の白い男とそっくりの笑い方だ。

シートベルトを外して、灰皿に置いた吸いさしの煙草を手に取って一服する。
とても小学生とは思えない、堂に入った仕草だ。
しかし煙を吸い込んだ途端、すぐにむせて吐き出してしまう。

「ゲホッ!ゴヘッ!クソ……ッ、この体じゃさすがに無理か……」

忌々しそうに口元を歪め、可奈は煙草を灰皿に擦り付けてもみ消した。
口内に広がるニコチンの味も我慢できなくなったようで、中年親父のように喉を下品に鳴らして唾をその場に吐き捨てる。

「仕方ねえ。とっとと仕事を終えて、またあっちの身体に移動するとしよう……」

白目をむいたまま動かない小松先生の体を見上げる。
可奈は彼女のスーツのポケットに手を突っ込んで、携帯電話を取り出した。

「え〜っと?羽山、羽山……お、これか」

シートの上ではしたなく胡坐をかきながら、短い指で持ちづらそうに携帯電話を操作する。
登録してある生徒の連絡先から自分の家の番号を見つけ、すぐにダイヤルした。

鼻歌を歌いながら待っていると、通話が繋がり「はい、羽山です」と言う母親らしい大人の女性の声がスピーカーから聞こえてきた。
幽霊に取り憑かれた少女はニヤリと醜悪な笑みを浮かべてから、演技派子役のように表情を怯えたものにパッと切り替え、か細い声で話し始めたのだ。

「もしもし、ママ……?わたし、可奈だよ……あのね、わたし……誘拐されちゃったの……」


<おわり>


・本作品はフィクションであり、実際の人物、団体とは一切関係ありません。
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