teruさん総合






               『皮剥丸異譚』


               4.罪と罰


一ヶ月ぶりにお山での修行を終えて帰って来た私は父に本殿まで来るようにと呼ばれた。

「俊香、お山での修行は無事に終わったようだな」
「はい、巫女としての務めですから」

広い神社の本殿に二人きりで正座で向かい合う父と私。

「ご苦労だった」
父の言葉になにか躊躇いの色が見られる。

「父上、なにか私に問題がありましたか?」
「いや、お前はよく出来た娘で何も問題はない。 問題は俊秋だ」
そう言って苦虫を噛みつぶしたような顔になる。

俊秋というのは今年大学を卒業して都会から帰ってきたばかりの私の弟でこの神社の跡継ぎだ。
「俊秋? そう言えば、俊秋の姿が見えませんが?」
「半月ほど前に神社の金を持ち出して出奔した」

「出奔? どういう事です?」
「どうも向こうにいる間におかしな女に引っ掛かっていたようだ。 どうしても金が要ると言われて私達の説得も聞かずに金を持って女の元に行ってしまった」

「行方不明ですか?」
「いや、ウチの一族の経営するマンションに転がり込んだ。 そこがあいつの甘い所だ」

「それでは誰かをやって連れ戻せば?」
「今まで何人かの人間をやったのだが、恋は盲目というかこちらの話をまったく聞こうとせん。 強引に連れ戻してもまた家を出てしまっては同じだしな」

「それではどうするのですか?」
「跡継ぎが色狂いなのは問題だと言う事になって、一族の会議で最終通告を出す事になった」

「最終通告?」
「帰ってくるなら女を妻として娶る事も吝かではない。 しかし、戻ってくる意志がないのなら一族から放逐する」

「放逐ですか?」
「ただし、ただウチの一族から放逐するだけではすまされない。 ウチの宮司は男だけしか継げない事は承知しているな?」

「はい。 ……今は俊秋だけが跡継ぎの資格がありますが」
我が家の子供は私と俊秋だけの姉弟で、他の血筋も今は姉妹しかいない。

「そこで俊秋が帰らないとあれば、罰を受けてもらう事になる」
「罰?」

「これだ……」
そう言って父が私の前に置いたのは一振りの短刀だった。

「これは確か宝物庫に収められている皮剥丸……」
私はその短刀を見つめてつぶやく。

「そうだ。 これを使って俊秋には龍神神社の跡継ぎの座を他の者に譲ってもらう。 俊秋には代わりに譲った側の人間になってもらう」
過去にもそういう事があったという話を聞いた事はあるが……

「一体誰が俊秋の代わりを……」
言いかけて父が私を真っ直ぐに見据えている事に気づく。

「……私、ですか?」
「お前しかいない。 残念ながら今では皮剥丸を使うことができるのは私とお前しかいない。他の者では少し刺されただけで身体が動かなくなってしまうからな」
昔なら一族の者の中でも呪具を使える者は多数いたが、近年はその数が減っていき、ついに現代においては父と弟の俊秋、後は私くらいしかいない。

「私が俊秋に成り代われ、と?」
「俊秋が帰らない場合は、だ。 私としてもそれは望む所ではないが、何もしないでは他の一族に対して示しが付かない。 ここは泣いて馬謖を斬る例えもあるからな」
そう言ってため息を付く父。

一族の法の番人たる龍神神社が法を破るわけにはいかないと言う事か……
龍神神社の巫女として生まれ、神社に一生を捧げるように躾けられた身で、赤ちゃんを授かるどころか、結婚すら夢見る事は許されないと覚悟はしていたが、場合によっては女の身体を捨てねばならない、か。

「わかりました。 俊秋の元に説得に参ります」
そう言って父に頭を下げた。 まぁ、それは俊秋が説得に応じなかった時の話だし……

翌日には私は俊秋の住む街へと向かった。

               *

「ちょっと、俊秋!どうしたの!?」
俊秋のマンションで待ち構えていた私が見たのはボロボロになって帰ってきた俊秋の姿だった。

「……姉さん?」
俊秋は私の姿を見ると泣き崩れた。

やはり俊秋は女に騙されていて、女の兄だと騙っていた男と共に有り金を全て巻き上げられていたのだ。
それに気づいた俊秋が金の返還を求めたが、逆ギレされて二人にボコボコにされたというのだ。

「悔しいよ、姉さん。 僕は本気でユカリさんの事を愛していたのに……」
「わかったわ。 それで俊秋はどうしたいの?それでもあきらめられない?それとも仕返しをしたい?」

「いや、もういいよ。 ユカリさんのあの憎々しげなあの顔を見てしまったら…… ウチに帰るよ」
寂しげに口を開く俊秋。さぞや悔しかったのだろう、俊秋の目に涙がにじんでいた。


私達は次の日の朝に故郷に帰る事にして、その日は俊秋のマンションに泊まった。

しかし、俊秋の様子が変わったのはその夜だった。

俊秋がおかしなイビキを掻いて寝ている事に気づき起こそうとしたが目を覚まさず、救急車を呼んで病院に着いた頃には俊秋は亡くなってしまった。

医師が言うには頭に何らかのショックを受けて脳内の血管が破裂したらしいと言う事だった。
昼間に男女から受けた暴行が原因である事は明らかだった。

弟の死はショックだった。 しかし、私には他にやる事が残されていた。 跡継ぎ資格の移譲……
俊秋は脳死ではあるが、まだ心臓は動いている。 完全に遺体になってしまっては移譲が出来なくなる。
皮剥丸は生きている皮にしか効果がないからだ……

しかし、いくら掟とはいえ、死んだ弟の皮を剥いで着るという行為には躊躇が残るし、私としても女を捨てねばならない事に躊躇いはある。

一族の息が掛かった病院で弟の身体に無駄な延命治療を施してもらい、私はマンションに戻ってきた。 
考えが纏まらず、食事に出た私は近くの居酒屋に入って気を静めるために慣れないお酒を飲みながら考えをまとめる事にした。


ウチの一族は遙か祖先を辿れば色々な事情で都を覆われた陰陽師や呪術師達だ。 山奥の隠れ里で都からの目を逃れ、術や技術を磨いた陰の存在だ。

絶えず目立たない陰の存在として生きてきた。 それがある時、ある親娘が一族に日の当たる居場所を求め、実際にその手に入れかけた。 しかし、それを良しとしない一族はその野望を阻んだ。

陰陽師が日の当たる場所に出れば厄災が降りかかるのは必定として、それ以来、一族の技術や人々を管理する役割を我が龍神神社が担ってきた。

近年になって一族の者達も外に出るようになり、秘められた技術を使い、少なからず成功を収めてきている。 この街にも一族の者達が人知れず紛れ込んでいる。 不動産業者、病院、法律事務所…… 

これからは村の中ばかりではなく外の世界にも目を向けていなくてはならないと父も俊秋の見聞を広めるために街の大学に進学させた事が裏目に出ようとは……

「それにしても私が俊秋か…… 正直、気が進まないなぁ……、24年間、男も知らずに純潔を守ってきた私自身が男にならなくてはならないとは…… ………… 逃げちゃおうかなぁ……」

どうせ、我が一族もそう長くは持たないだろうし。 技術も失われ、呪具を扱うことができる者に至っては昔は村人の誰もが使えたのに今では神社の者だけになってしまっている。
 
私はいつしか酒に酔い、テーブルに突っ伏してしまっていた。


そして、次に目覚めた時、私は居酒屋のオヤジに犯されていた……

「え!?ちょっと何をやってるのよ!やめて!やめてってば!」
痛みを感じて目を開けると男のアレが私の股間に挿入されようとしていた。

「痛い、痛い、やめてよ。お願い、いやぁ!」
私が必死に男を押しのけようとするが男はぎらついた目でペニスを挿入し続けた。 私の股間からは激痛が走る。

「すいません。でも身体が止められなくって。すいません、一回だけでいいですから」

巫山戯た事を言う男に私は叫ぶ。
「なにが一回だけよ、巫山戯ないで!すぐにその身体を退けないと大声を上げるわよ!」

私の抗議も虚しく男の精が私の中で爆発する。
「イヤ!ちょっと!だめぇ!あ、あぁぁ……」

その瞬間、私が24年間守ってきた全てが心の中で崩れた。


その後、事の重大性に気づいた男が私の前で土下座して謝ったが、もう遅い。
必死になって謝る男を前に私の頭は醒めていた。

神社の巫女としての資格(処女)を失ってしまった…… 
これで私に残された道は俊秋を継ぐしかなくなった。 

目の前で謝る貧相なオヤジを見ていて思った。と言うか開き直った。 

このオヤジには罪を償ってもらおう。 幸い(?)にも皮剥丸を使ってみた事はない。 
是非ともこのオヤジには実験台になってもらい、成功したら俊秋の敵討ちにも使わせてもらう。

私はのろのろと立ち上がると男に尋ねる。
「私のバッグはどこ?」

               *

「ただいま」
マンションに戻った私は管理人に挨拶をする。

「え?誰?」
「私よ、俊香」
そう言って皮剥丸を振ってみせる。

「え?俊香さん? どうしたんですか、その姿は?」
「ちょっとした気分転換。 それより調べて欲しい事があるの。 俊秋が騙されていた二人の情報を調べてもらえる?」

「それなら弁護士の長井さんの所でやってくれますが、なにを?」
「ウチに帰る前に俊秋の落とし前をつけておかなくっちゃね。 次の宮司としての初仕事よ」

「俊秋さんを継がれる決心がついたんですか。 俊秋さんにはお気の毒でしたが、おめでとうございます」
そう言って管理人が私に頭を下げる。

「それと、ひょっとして私の姿をしたマヌケが私の事を探しに来るかも知れないから適当に誤魔化しておいて」

その深夜、私は病院に行き、一族の担当医に命じて俊秋の遺体から皮を受け継いだ。

               *

翌日にはあのオヤジの免許証を使って俊秋の遺体を故郷に返し、父に状況を簡単に説明するとマンションへと帰った。

そして私は部屋を移し、そこで俊秋の仇の情報を待った。
その間、私の皮を着てしまったあの男が何度も私の情報を得るために管理人を訪れていた。

一度などはエントランスにいた私に向かって俊秋の情報を求めてきた。 考えてみればこの男は俊秋の顔を知らないのだった。 目の前にいるのが本人と気づかないとは哀れなものだ。

私は笑顔で自室に招いて話を聞いてやろうとしたのだが、逃げてしまった。 ノコノコと部屋に付いてくれば私と同じ目に合わせてやったのに残念な事だ。 その後もマンションの窓から聞き込み歩く私(男)の姿を何度か見かけたが、あまり興味は無かった。

やがて、俊秋の仇の情報が手に入り、オヤジの皮をユカリに着せ、ユカリの身体の皮をヒロシに着せる事で私の復讐は完了した。

後は二人がどうなろうと知った事ではない。 

私は復讐が終わるとさっさとあまり良い想い出がないこの街を後にし、地元に戻った私は俊秋として神社を継ぐ事が決定し、俊秋の遺体を私として葬った。

自分の葬式に参列するというのも不思議な気分だったが、俊秋として生きるケジメにはなった。


               *


それから半年……
私は順調に宮司としての役目と各地に散った一族のとりまとめをこなしていた。

「まぁ、一族の事業にも問題はないようですね」
「はい、特に問題を抱えているものもないようです」
月の報告を聞いて私は微笑む。

元々、問題が起きて私達が乗り出すような事はそうは起きないものなのだ。 たまに経営が悪くなったりした者に経営が順調な所から運転資金を回すといったくらいの事はするが。

私はふと気づいて、報告を終えて立ち去ろうとするあのマンションの管理人をやっていた一族の男性に声を掛ける。
「そう言えば、あの二人はどうなりました?」

「あの二人?」
「ユカリとヒロシでしたか。 俊秋を死に追いやった二人ですよ」

「あぁ、あの二人ですか。 知らなかったんですか、俊秋様。 ユカリは翌日、遺体となって発見されました。 どうも慣れない身体で非常階段から逃げようとして足を滑らしたようです」
「逃げようと?」

「ホテルの宿泊費を持ってなかったんですよ。 警察はユカリが昏睡強盗をやらかして逃げたからだとみて行方を追っているようですが、後から色々な余罪が浮かび上がってきているようです」
「そうですか。 ヒロシの方は?」

「アキラという似たような男の元でペットのように扱われていましたが、すっかり飼い慣らされた今ではソープ譲として働かされています。 ヒロコちゃんはかなり人気が出ているようですよ。 裏の情報では積極的にホンバンを行うとか…… 実は私も一度様子を見に行ったのですが、かなりのテクニシャンというか……」
そう言って苦笑する管理人。

「困りますね。 警察の手入れに合わないようにしてくださいよ?」
「様子を探りに行っただけですから。 本人が言うには誰かに飲まされた媚薬の効果で淫乱な女になってしまったようですよ?」

「へぇ?媚薬なんて飲まされたのか。 気の毒に」
そう言って私は笑う。
「飲ませたのは俊秋さんですよ?」
そう言って管理人も笑う。

「おや?あなたの持って来たのは媚薬だったんですか?」
「いえ、ただのラムネ菓子ですが?」

「ふふふ、思い込みって怖いねぇ」
「プラシーボ(偽薬)効果ってヤツですかね。 媚薬を飲まされたと思い込んでるから、身体が本能に正直に反応してしまったんでしょうね」
そう言って二人でクスクスと笑い合う。

そうか、ユカリは転落死。 ヒロシはヒモ付きのソープ嬢に身を落としたか。 
でも、私は彼らを哀れだとは思わなかった。 彼らが俊秋やその他の人達にしたことを思えば当然の結果だと思う。

「あ、そう言えば。 私の皮を着たあの男はどうなりました?」
「あぁ。 あの男ですか? 気になりますか?」
そう言ってニヤニヤとイタズラっぽく笑う管理人。

「なんだ?その顔は? まぁ、自分の皮がどうなったかは気になるじゃないか?」
「一応、幸せに暮らしてますよ?」

「幸せに?」
それは私にとって意外な答えだった。 マンションのエントランスで見かけた必死に私を探す私の姿が思い出される。

「ユカリの…… 自分の皮が遺体で見つかったことでもうその姿で生きていかなくてはならないと腹が据わったんでしょうなぁ。 自分の葬式を出した数日後に私の所に手土産を持って挨拶に来ましたよ。 今まで迷惑を掛けてすみませんでした、って」
「手土産!? なんでアナタの所に?」

「そりゃ、かなりしつこく私の所に通ってましたからね。 俊秋さんの事についてなにか手がかりはありませんでしたか、って」
「それにしても…… あんなヤツからの手土産なんて受け取ってないでしょうね?」

「えぇ?受け取りましたよ。 相手の謝罪の気持ちですし?」
「突っ返しなさい!」

「もうお腹の中ですよ。 俊秋さんの」
笑って私を指さす。

「…… え?私の?」
「前に持ってきたロールケーキ、美味しかったですか?」

「あぁ、あれね。絶品だった。 どこで買って…… って。 え?まさか……」
「謝罪。 受け入れてしまいましたね、俊秋さん」
そう言ってにこにこと笑う管理人。

「ち、ちょっと待って! 私はお菓子一つであいつのした事を赦す気は無いぞ!」
「当然ですよ? あれは私のマンションの周りを騒がせた事への謝罪であって、俊香さんをレイプした事への謝罪じゃありませんから」

「と、当然よ。 それで、あいつは今どこで何をしてるの?」
管理人の言葉にうなずきながら、気を落ち着ける為にそばの湯飲みに手をかける。

「自分の家で居酒屋をやってますよ」
「自分の家で!? 姿形が変わってしまったから自分の家には居られなくなったと思っていたのに!?」

「確かに自分があの居酒屋のオヤジだと主張しても息子さんには信じてもらえなかったようですね」
「だったらどうして家に居られるの?」

「息子さんのお嫁さんになったようです」

ぶっ!!
管理人の言葉に思わず飲みかけたお茶を吹き出す。 

「はぁぁぁ!? 嫁にぃ? 父親のくせに自分の息子の嫁になったですってぇ?」
管理人の言葉に思わず耳を疑う。 

「まぁ、血縁的には問題はありませんよ。 俊香さんの皮を着てしまったので彼の身体は俊香さんの身体へと浸食、変化しているはずですから」
「いやいやいや、男よ、男。 身体は私に変化したとは言っても元は男なのよ? あいつはそこまで節操無しなの?」

「そこまで言ってやるのは可哀想ですよ。 彼だって生きていくためには仕方がなかったのでしょうし、脳の方も女性ホルモンの影響を受けているはずですから、守って貰える存在を無意識に求めるのは当然の帰結かと?」
「う〜ん…… でも、あの男の奥さんは? 奥さんを差し置いて息子の嫁になったっていうの!?」

「彼の奥さんは15年前に鬼籍に入っています。 それ以降は一人で息子さんを育てたそうですよ? ちなみにご近所での評判は決して悪くはなかったようです」
そう言って私に微笑みかける。

「…… 何が言いたいの? ひょっとしてあいつの事を弁護してる?」
「まさか? 俊秋さんが下した罰なんですから私を始め、一族全員が支持してますよ?」
にこにこと笑う管理人……

「建前はいいから言いたいことがあれば言いなさいよ? 内輪の話として聞いてあげるから」
私は管理人を軽く睨む。

「えぇ? 俊秋さんに意見を言うのは恐れ多いですねぇ」
「よくいうわね」

「私は別に言うつもりはなかったのですが、彼女の話が出たのでついでに言って見ただけなんですが。
皮剥丸が最後に処罰の道具として使われたのは江戸時代ですよね?」
「記録によればね。 仕事もロクにしないで嫁に暴力を加え続けた男を罰するために皮を剥ぎ取って嫁と立場を入れ替えたって言うのが最後かな?」

「呪具を使った罰は一族の中でだけ使われるのが通例ですよね?」
「うっ」
痛い所を突かれたな。

「それに宮司が俊香さんに皮剥丸を渡した本来の目的は、俊秋さんの説得が叶わなかった場合に俊秋さんと入れ替わる為ですよね?」
「ううっ!」

「外の人間に皮剥丸を使う為ではありませんよね? 呪具の存在を外に漏らさないのは鉄則ですから?」
その辺りを責められるのは私にとって分が悪い。 確かに隠れ里のように存在する我が村の極秘事項が外の人間に知られるのは非常にマズイ事だ。 今回、私はその禁を犯している。

「うううっ、私が禁を犯したと?」
「別に俊秋さんの仇を討ったことは村人全員が認めてますから問題はないでしょ? その流れであの男の皮を剥いで俊香さん自身の皮を残してきたことも黙認されてますから、これも問題はないでしょ?」

「そ、そうよね? 皆が認めてるんだから問題はないわよね」
冷や汗を流しながら笑う。

「でも、私としては私的な恨みで皮剥丸を使ってしまったのはどうなのかなぁ?と」
そう言って私の顔を見てクスリと笑う。

「いいじゃない!皆が認めてるんだから。 アイツのやったことは最低なことよ。 俊秋になった今でも股間にペニスを突っこまれた痛みが忘れられないのよ! 幻肢痛の一種かしらね。 あなた、あの痛さが判る?判らないなら誰か村の娘と身体を入れ替えて体験させてあげましょうか!」
私は文箱からまだ宝物庫に戻していない皮剥丸を取りだして管理人に突きつける。

「いや、それって逆ギレというヤツじゃないんですか?」
指先で皮剥丸の刃の背を摘んで先端を自分から反らせる管理人。

「逆ギレでなにが悪いの? 私はアイツに酷いことをされた。 復讐するための最適な手段がそこにあった。 それでいいじゃない?」
「もう一生赦す気は無いんですか?」

「愚問ね」
「俊秋さんも遠くない将来、お嫁さんをもらいますよね?」

「そりゃ、今の私は男で、龍神神社の跡を継ぐ者としては子孫を残さないといけませんからね」
「その時、"女に対する男の気持ち"を理解してもその考えが揺るがないといいですね」

「………… 妙に絡んでくるわね? 何が言いたいの?」

「いやぁ、なんといいますか。 彼、と言うか彼女のいる居酒屋へは俊秋さんのことが縁で何度か飲みに行くようになったのですが…… 意外にお人好しの善人に見えるんですよね、彼女。 俊秋さんの話に聞いたような鬼畜な見境無しの強姦魔には思えないというか。 近所の生前の居酒屋のオヤジとしての評判も悪くはないですし。 女性の姿に変えられて息子の嫁として店で働いている姿が健気というか……」
そう言って彼女の働いている姿を想像したのか、管理人がクスリと笑う。

「だから、赦してやれと?」
「そこまでは言ってませんよ。 赦すと言っても彼の皮はもう火葬されてしまいましたからね。 ただ、頑張っている彼女を一度見てやってくれませんかね?」
そう言って跡は無言で私の顔を真っ直ぐに見てニコニコと微笑む管理人。


               *


「本当にただ様子を見るだけですからね?」
翌日、私は管理人の西村と居酒屋の前に立っていた。私にはレイプの嫌な思い出しかない場所だ。

「はいはい、わかってますよ。 それじゃ入りますよ」
そう言って微笑んで戸に手を掛けるとガラガラと開ける。

「いらっしゃいませぇ!」
明るい女性の声が私達を出迎える。

「双葉さん、今晩は」
「あら、西村さん。いつものカウンターが空いてますよぉ」
そう言って笑顔で西村に声を掛けてきたのは"私"だった。 正確には俊秋になる前の以前の私……

「いや、今日は連れがいるのでテーブル席がいいんですが。奥のテーブルは空いてますか?」
「あ、はい。空いてますよ。あれ?あなたは確か……」
"私"が私を見て首をちょこんと少しかしげる。 可愛いじゃないか、"私"

「前に一度、マンションでお会いしましたね」
私は笑顔を作って彼女に笑いかける。

「あぁ、そうそう。あの時は変な事を聞いてすいませんでした」
そう言って私に軽く頭を下げる。

「いえ、いいんですよ」
「彼は大学を卒業して故郷に帰ったんですけど、久しぶりにこちらに出て来たので一緒に夕飯でもと思いまして」
西村が適当な話をでっち上げて微笑む。

「そうなんですか。それじゃ奥の席の方が落ち着きますよね、ごゆっくり」
そう言って私達に奥のテーブルを示すと注文を聞いてカウンターの奥の主人に伝え他の客の接客をする。

そうも大きくはない店の中は混雑はしていないが適度に繁盛していた。

「なんであんなに活き活きとしてるんだ?全くの別人になって絶望に包まれてるはずなのに?」
「人間って意外と環境に順応しやすいんじゃないですか? 幸せに暮らしてると言ったでしょ?」」
ヒソヒソと声を潜めて会話をする。

「順応しやすいって……女よ、女。 今まで男として生活してきた基盤が根底から覆されたはずなのに」
なんなんだ、この明るさは? 私がした事は本当に罰として機能しているのか?

ジーパンにTシャツの上からエプロンをして笑顔で軽口を叩きながら客の注文を取っている元オヤジの姿を見つめる。 
私だって納得ずくで弟の皮を着たが、それでも未だに男の身体に戸惑う事があるというのに……

それなのになんだ、あの姿で、あの態度は? 常連客とおぼしき男と笑っている姿が腹立たしい。 

……しかし、その姿は私なのだ。 私が幼い少女の頃に夢見た光景がそこに合った。 
好きな男性と結ばれ幸せな家庭を営むという少女であれば当然の夢。 龍神神社の巫女には叶えられる事のない夢。

「なんだか本当に腹立たしいわね? なんで居酒屋のオヤジが幼い頃の私の夢を叶えてるの!?」
私は西村に向かってつぶやく。

「羨ましいんですね?」
「う、羨ましくなんかありません!」
西村の微笑んだ顔をにらみ返す。

「お待たせしましたぁ。 あれ?どうかしたんですか?」
注文した料理を運んできた元オヤジが私の方を見て声を掛ける。

「いえ、何でもありません。 それにしても楽しそうですね?」
私はとぼけて笑顔で尋ねる。

「まぁ、毎日が充実してますからね」
屈託のない笑顔で微笑む。

「双葉!こっちも出来たから持って行ってくれ!」
「主人の人使いが荒いのがつらいですけどね」
旦那が叫ぶと、そう言って笑って料理を運んでいく。 ツライと言いながら楽しそうじゃないか。

「そう言えば"双葉"って?」
「彼女は我々の情報はおろか、俊香さんの名前も知りませんからね。 自分で名前を考えたんですよ」

「あぁ、なるほど。 それじゃ彼女の世間的な立場はどうなってるの?」
「身元不明ですね。周りからは過去の記憶を喪失してると思われているようです」

「じゃあ、息子の嫁になったというのは?」
「戸籍が無いんですからちゃんとした結婚じゃなくて事実婚ってヤツですか」
そうか。正式に結婚してるわけではないのか……

西村とご飯を食べながら双葉の様子を眺める。
本当に楽しそうに働いてるよね。 

「ねぇ?アイツのこの店での立場ってなに?」
「居酒屋のカミさん……ほど強くはないか。 と、バイトの中間みたいなものですかね?」

それで悩みはないのだろうか?
女性にされて、自分という存在もあやふやで、店の主人から立場も不確かなものになって……

罰としては機能してるけど……、なにか納得がいかない。 
精神的にダメージを受けていない事が引っ掛かる。
……かと言って、今更追加で罰を与えるのはアンフェアな気がする。

「なにか納得がいかない顔をしてますね? 幸せそうなのが嫌ですか?」
「いや、まぁ、一生24時間苦しみ続けていろとは言わないけど、ああまで明るいとねぇ……」
「彼女は彼女なりに葛藤はあったようですよ。 それを越えて今の彼女があるんですよ」
「越えてねぇ……」
半眼で彼女を眺める。 酔った常連客にお尻を撫でられて、笑顔で持っているおぼんで客の頭を叩く彼女からはそんな葛藤が微塵も感じられない。

「じゃ、ちょっと呼んで話を聞いてみますか? 幸いにも今は客も少なくなってるようですから」」
「話を?」

「双葉さぁん、ちょっといいですか?」
「はぁい、追加ですかぁ」
西村が双葉を呼ぶ。

「いや、双葉さん。 今、少し時間はありますか?」
「え? えぇ、まぁお客さんも一段落してますからいいですよ」
そう言って双葉が私達に微笑む。

「双葉さんって記憶喪失になって自分の生まれた所も家族のことも忘れてしまったんですよね?」
西村が双葉から聞かされたらしい"私の身元を探す理由"を口にする。

「えぇ、まぁ。 そうですけど」
歯切れが悪そうに双葉が微笑む。

「あれ?違ってるんですか?」
事情を知っている私は意地悪く尋ねる。

「そいつは俺のオヤジなんだそうですよ」
カウンターの奥で調理をしていた店の主人が笑って声を掛けてくる。

「もう!紀善さんったら!」
双葉が困ったような顔をして主人に文句を言う。

「いいじゃないか、話してやれよ。あの愉快な話を」
なんだか上機嫌な主人が双葉に向かってからかうように話を促す。

「愉快な話? それは興味があるなぁ。 話してくれませんかね?」
私は躊躇する双葉に更に話をねだる。
「あ、私もなんだか今のご主人の話に興味がありますね?」
西村も同じように話を促す。

「どうせ誰も信じてくれない馬鹿馬鹿しい話ですから話しても無駄なんですけどねぇ。 なんでそんな話を聞きたがるんです?」
「彼は小説家志望なんですよ。 変わった話ならどんな話のネタになるかも知れないじゃないですか」
西村が適当に話を作る。

「あぁ、そう言うことですか。 確かにネタにはなるかも知れないな……」
そう言って双葉はクスリと笑う。
意外だった。 自分の身に起きた事をネタに笑い話にする気かと怒り出すかと思ったのだが。

「あぁ、確かに小説のネタにはなるかも知れませんね。 突然押し入ってきた女に皮を剥ぎ取られて、代わりにその女の残した皮を着ただなんて荒唐無稽さは」
そう言って主人が笑う。

「うるさいな。誰も信じてくれないけど本当なんだぞ。……って言っても無駄なんだろうけどな」
急に男言葉に戻って主人に文句を言ったかと思うとため息を付く双葉。

つまり…… いくら真実を語った所で誰にも信じてもらえずに今や諦めの境地に至っていると言う事か。
ふふ、ちょっといい気味。 そりゃそうだ。普通はどうやった所で皮を剥がされたら失血死かショック死してしまうだろう。 誰がそんな話を信じるか。

「面白そうだけど、女が突然押し入ってきて皮を剥いでくって所にリアリティがありませんねぇ?」
そう言って私は双葉に挑発的に笑いかける。

「まぁ、そうなんですけどね」
双葉が困ったような顔をする。

「なにかその辺りを補完する事情が欲しいですねぇ」
意地悪く双葉の急所を突いてみる。

「双葉、ちょっと出て来るから番をしていろ」
そう言って大皿らしきモノを包んだ風呂敷を持ち上げて双葉に話しかけてくる。
「あら?私が配達しますよ?」
店主の方に振り向いた双葉が応える。

「いいんだよ。おまえはそこでお客さんの接待でもしていろ」
笑ってそう言うと店主は出て行ってしまった。

「ばか……」
意味不明の言葉をつぶやくと私達の方に向き直り、周りを伺う様に見ると声を潜めて話を続ける。
「実は…… 女が突然押し入ってきたというのはウソなんです……」

「ウソなんですか?だったら誰にやられたんですか?」
私も声を潜めて尋ね返す。

「その女性はお客さんだったんです。初めてきた一見のお客さんで酔っ払って寝てしまわれて。 それを私が……」
双葉が真実を白状する。

「それをあなたが?」
「奥へ寝かせたんですが、その姿を見ている内についムラムラと……」

「まさか、襲ってしまったとか?それって犯罪じゃないですか?」
「どうイイワケしても無駄ですけど、出来心だったんです。 スカートから覗く足があまりにも色っぽかったもので」
そういってジーパンに包まれた自分の足を上げてみる。

そりゃまぁ、生まれてからずっと修行に明け暮れながら、身体にも磨きを掛けてましたからね、その身体は。 と言うか、あなたちょっと肉が付いてきてるんじゃないの? まぁ、皮をあんたにやってしまったからどう扱おうとあなたの勝手だけど。

「それで相手が怒ってあなたの皮を剥いでしまったと?」
「簡単に言ってしまえばそういうことです。 でも、そんな事を息子には言えませんから。 父親が客を強姦してしまったせいで、女になってしまったなんて……」
そう言って自嘲気味に笑う。

「でも、そんな話を赤の他人の私達に話してしまっていいんですか? どこかで言いふらしてしまうかも知れませんよ?」
「誰も信じませんよ。 私が強姦してしまった女性に皮を剥がされて代わりに自分の皮を私によこしただなんてそれこそ小説の中での話です」
そう言って笑う双葉。

そりゃそうだ、信じるわけがない。こいつだって私達が完全に信じると思って言っているわけではないのだろう。

「その女性に謝らなかったんですか?」
西村が尋ねる。

「謝りましたよ。我に返った時に大変な事をしてしまったと土下座して謝りました。でも、彼女はすごい形相で怒りは収まらなかったようで……」
「謝ったのに赦してもらえなかったんですか?」
そう言って西村が私をチラリと見る。 女が男に無理矢理犯されたんだぞ?赦されるワケが無いでしょ。

「まぁ、私の謝り方も悪かったんだと思います。賠償はいくらでもしますから警察だけは勘弁して下さいとその場に及んでも保身に走った謝り方でしたからね」
そう言って苦笑する双葉。
あぁ?そうだっけ?怒りに我を忘れて謝罪内容なんてロクに聞いていなかったけど。

「それで彼女がバッグから取りだした短刀で私の背中を突くと皮がパックリと割れてまるで全身タイツのように皮が剥がされてしまったんですよ」
そう言ってあの時、こいつと私の間に起きた内容を私達に向かって白状した。

「でも確かにそれだと説得力は出て来るな。でも、それって双葉さんがやったことは完全に犯罪ですよね。 いいんですか、私達に話してしまって? あぁ、誰も信じない話だから話してくれたんでしたね」
ちょっと意地悪い思いで口にする。

「まぁ、それもあるんですけど…… なんだろうな?あなたには全てを話した方がいいような気がするんですよね。 本当になんなんだろ……」
そう言って苦笑する双葉。

あぁ、そうか。多分、本人の意識に寄らずとも、皮が本来の肉体を持つ私にまだ反応するんだろうな。

「ただいまぁ」
戸を開けて店主がご機嫌な顔をして帰ってくる。

「まぁ、私の男としての最後の懺悔だと思って聞いておいて下さい」
帰ってきた店主の方を見て、苦笑する双葉。

「最後?」
「まぁ、いつまでも自分は男だったんだと言ってても仕方がないんだと自覚したんですよ」
そう言って少し寂しそうに笑う。

「仕方がない?もう戻れないからですか?でも、その女性を見つけ出して誠心誠意謝れば赦してもらえるかもしれませんよ?」
西村がそう言って慰めのような言葉を口にする。 ふん、赦すわけが無いじゃないか? それにこいつの皮はすでに失われてしまっている。 今更、謝ったところで私にもどうにもしようがない。

「いえ、その女性は死んでしまっているんですよ。 私の皮を着た状態で転落死したんです。 ですからもう謝りようがないんです。 警察は事故だと言ってましたが彼女は私が殺したようなものかもしれません」

あ、こいつ、こいつの皮を着て死んだユカリを私だと思っているのか…… こいつのやらかした事に対する報復については謝る気はないけど、私の行った行為を肩代わりして罪の責任を持たれるのはちょっと不本意よね。

ちょっと複雑な気分で私は残ったビールを口に運ぶ。

「まだ言ってるのか? オヤジが死んだのはお前のせいじゃない。 警察の人が言ってたろ。 オヤジはTS病に掛かってちょっと精神が混乱してたんだって」
店主が私達の話を耳にして双葉に声を掛けてくる。

「TS病?」
「死んだ私の遺体を司法解剖したら精巣と子宮の二つがあったんだそうです。 警察が言うにはTS病と呼ばれる性転換病を発症してたんじゃないかということで」
店主がそう説明する。

そんな病気があるとは初耳だが、そうか、そういう事になっているのか。 確かに皮を着せたばかりの身体には二つの性器があってもおかしくはない。 つまり何も知らない人間からしてみれば奇病を発症したとうつるわけか。

「だから仕方がないのですか」
西村が同情的に口を開く。

「いえ、まぁ、それだけじゃないというか、男でいることをあきらめる理由は他にあるんですけどね」
「まだなにか?」

「こいつ、赤ちゃんが出来たんですよ。 だからもう世迷い事を言っていても仕方がないんですよ」
「ぶほっ」
店主がそれはもう嬉しそうに衝撃の事実を口にし、私は突然のその言葉に飲みかけたビールを吹き出してしまった。

「え?ご懐妊ですか?それは…… おめでとうございます」
西村も店主の言葉が意外だったのか目を丸くして双葉の腹の辺りを見ながら祝いの言葉を口にする。

いやいや、確かにその身体は私の皮に浸食されてしまって時間も経っているから完璧に女性化してるんだろうから妊娠も可能だけど…… それにしても自分の息子の赤ちゃんを孕むかぁ?

「いやだ。二人してお腹を見ないで下さいよ。 さすがにちょっと恥ずかしいですから」
双葉が顔を少し赤くしてヘソの下辺りに両手の掌をあてがい身をよじる。

「いや、あなた。あなたの言う事が正しいとしたらそのお腹の中に自分の孫がいるってことでしょ? いいんですか?」
「よくは無いんですけど…… でもこの身体の影響か、紀善の事を父親として以外に女としても愛してしまっているんですよね。 困ったことに……」
そう言って笑う双葉の顔はまったく困っているようには見えなかった。

「…………」
つまり、この男は私の皮を着たために精神までも私の皮の影響下に置かれてしまったと言う事なのか?
多分、この男には女性化願望なんてこれっぽっちもなかったはずだ。 それなのに赤ちゃんが出来た事を喜んでいる……

"普通に結婚したい、赤ちゃんが欲しい"
それは私が女だった時に持っていた密かな願望。 それをこの男が私に代わって体現している。

私の皮を着て心身共にその影響下にあるこの女。その腹の中の子供はある意味、私の子供とも言えなくはない。

「……でも、息子の子供を産むというのは普通の結婚とは違うか?」
ポツリとつぶやく。

「え?なにか?」
双葉が私のつぶやきに聞き返してくる。

「いえ、べつに。 ところでご主人は奥さんの話はまったく信じてないんですか?」
私は矛先をかえてみる。

「え?いや、ナイフで人の皮を剥ぐなんて信じる信じないの問題じゃないでしょ? ましてやその皮を服みたいに着込めるなんて?」
顔を上げた店主がそう言って笑う。

「つまり、奥さんの話をまったく信じてないと?」
「まぁ……、まったく信じてないわけでもありませんけど、信じられませんよねぇ?」
そう言って苦笑い。 どっちなんだ?まぁ、わからないでもないけど。

「わかってるよ!散々説明したのにまったく信用しないんだからあきらめたよ!」
双葉が店主を恨めしそうに睨む。

「まぁ、お前をオヤジと認めたら赤ちゃんなんか作れないだろ?」
そう言って笑う店主。
「そんな事を言ったらお前を息子だと認めながら赤ちゃんを孕んでしまった私の立場は!?」
双葉がツッコミを入れる。

「父さん孫の顔が見たいって言ったよね?」
「言ってないよ! お前は病院から帰ってきてから浮かれすぎだろ!」

「俺の子供が産まれるんだぞ。これが嬉しくないわけがないだろ。お前は嬉しくないのか?」
「嬉しいよ!嬉しいけど、私が産むんだぞ! わかってるのか?お前は私を孕ましただけだけど、私にはこれから出産という大仕事がまってるんだからな!」

「がんばってね♪」
店主がその顔に似合わない笑顔を双葉に向ける。

「がんばってね、じゃねぇよ。お前は父親を孕ませて何とも思わないのか?」
「父親?どこにいるんだ? ここに居るのは俺の女だけだぞ?」
そう言って笑って父親の存在を否定する店主。 私はその言葉の端からこの娘が自分の父親である事を認めている気がした。 ただ、それを認めて夫婦関係が保てなくなるのがイヤなのだろう。
「だから、意地でも認められないという事か……」

「なんだか面白い夫婦ですよね」
西村が二人の夫婦漫才のような掛け合いを見て微笑む。
「確かに面白いな」
西村の言葉にうなずきながらなおも幸せそうに口喧嘩をする二人を眺める。

私を犯した居酒屋のオヤジはそこには居なかった。目の前には小さな居酒屋を営む幸せそうな夫婦がいるだけだった。
私が罰を与えたかった男はすでにいなくなって、後にはかつての私が持っていた儚い希望を叶えた過去の私がそこにいた。

姿形が私と言う事もあるのだろう。 
私はいつのまにかかつて私を凌辱したこの元男を憎めなくなっていた。

「双葉さん?今の話が本当だとして。女性になって良かったですか?」
私は双葉に尋ねてみる。

「え?いやぁ、よくはないですよ。 身だしなみに気を使えと命令されるは化粧をしろと迫られるは、服は清潔に、洗濯しろ、掃除しろ、飯を作れ……」
恨めしそうに店主を睨む双葉。

多分、普段から店主に言われ続けているのだろう。 よくよく見てみれば双葉は薄いながらも化粧をしていた。口には淡い色のリップが塗られている。この元男は毎朝どんな気持ちで化粧をしているのだろう。

「店の常連客はすぐに尻を触ってくるし、外に出ればジロジロとスケベな目で見られる。胸は重い、尻はでかい!月一で生理は来る!」
双葉が次第に女の理不尽さに興奮してくる。

「生理は俺が止めてやったじゃないか?」
「うるさい! 赤ちゃんは出来るし、これからオッパイからは乳が出るようになるだろうし、子育てだって私がしなくちゃいけないんだろうし!!」
そう言って店主に怒鳴りつける。

「イヤなのか?」
店主が双葉に問いかける。

「不本意ながらイヤじゃないのが最大の悩みだよ!お前にわかるか? この恐ろしいほどの不安と同時に幸福感が同居してる気持ちが! だから私は男だった事を忘れることにしたのよ!」
そう言って店主を睨みつける双葉。

うん、合格。 女としての理不尽さは痛感しているようだ。 たぶん、あなたはいくら忘れようとしてもこの先もずっと男であった過去を忘れられないでしょう。 
私の与えた罰は機能し続ける。 その中であなたは自分の幸せを見つけていきなさい。それくらいは見逃してあげましょう。

「うん、なかなか面白い話を聞かせて貰いました」
私は双葉に笑いかける。

「あはは。小説のネタになりますか?」
「まぁ、駆け出しの小説志望の書く物ですから世に出るかどうかはわかりませんよ」


「期待してますよ」
店主と双葉の言葉を背に私と西村は支払いを済ませて店を出た。

「で、どうでした?憎いレイプ犯の現状は?」
少し歩いてから西村が尋ねる。

「まぁ、いい気味よね? 女としての不自由さは充分に感じてるようだし? 妊娠、出産の恐怖に怯える姿は小気味よかったわ」
「サドですねぇ、俊秋さんは。 俊香さんの時と変わらないじゃないですか?」
そう言って笑う西村。

「あの男が皮の影響を受けすぎているのよ。 自分というモノをしっかりと持っていればあそこまで精神も女性化したりしません」
「やっぱり赦せませんか?」

「赦せはしないけど、これ以上の罰は必要ないでしょ?」
「だったら、あの男の事はもう放置ですか?」

「あの男は放置でもいいけど……、そうね? 弁護士の長井さんに連絡をして偶然を装って双葉の戸籍を何とかしてあげて下さい」
「おや?」
西村が悪戯っぽく笑う。

「か、勘違いしないで下さいよ。これはあの男の為じゃありませんよ。 あの腹の中にいる赤ん坊の為の処置ですから!」
「赤ん坊?」

「あのお腹の中の命に罪はないでしょ?罰せられるのはあの男であって。 だから、生まれてくる命に罰の影響は与えない為です。 それにその赤ちゃんは私の皮が産むのですから私の子供だとも言えますからね? 私としては私の子供が私のせいで不自由な思いをするのは不本意ですから。というか、それはあの男に復讐され返してるようで不愉快! アイツの腹の中の子供は何不自由ない生活環境を整えます」
「いやに饒舌ですなぁ。 ひょっとして俊秋さんはツンデレ?」

「ツンデレじゃない。 正論を言ってるだけです! 私の言っていることは間違っていますか?」
「いえ、全然。 そうするとあの店舗ももう少し広い良いところへ移った方がいいでしょうね?」

「うん?まぁ、そうですね……」
「丁度よい店舗が一軒表通りの方に空いていますからそれとなく格安で提供するようにしてみましょう」
そういって微笑む西村。

「もう一度、念のために言っておくけど、本当にあの男の為じゃありませんからね」
「はいはい、わかってますよ」
西村が仕方がないという風に笑う。

「本当よ!これはいわば先行投資というか保険なんだから!」
「保険?」

「ウチの中で呪具を使えるのはもう父さんと私だけでしょ? 私に子供が出来なければその力は失われてしまう事になる」
「あぁ、俊秋さん、自分をしっかりと持ちすぎてますから精神の男性化が進んでませんものね」
私のさっきの言葉に対する皮肉を込めて西村が微笑む。

「うるさいな。わかってますよ、性の変更による弊害が残ってることは」
そう私はまだ女性を抱くという行為に抵抗感を持っている。 父達はそのうち馴染むと言っているが。

「それで?」
「え? あぁ、だから私の皮を着た双葉の子供にその才が現れるかもしれないでしょう?」

「えぇ?それはこじつけがすぎませんか?確かに可能性が無いわけではないでしょうけど」
「可能性が無いわけでじゃないんならいいじゃない。ただの保険なんだから」
まぁ、苦しいイイワケだという自覚はある。 
でも、素直に支援なんかできるわけないでしょ、私を犯した男の為なんかに。

私はそうして若い夫婦が営む居酒屋を後にしたのだった。


二十数年後、私の言った苦しいイイワケが現実のものになるとは知らずに……



               E N D










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