火曜日6月2日 イライラの原因(その3)


 一人での登校は女性化してから初めての経験だった。修一が一緒ではない為に心細い、という事は別に無かったけれど、凛太郎は違う事で戸惑いを感じていた。力を入れると何かが「出てくる」感じがしてしまう。吸収体がちゃんと仕事をしている、とは解っているけれど、それでも染み出してないか、漏れてないかと気になってしまう。だからついつい腰の辺りを気にしつつ振り返りながら立ち漕ぎになっていた。傍から見ればかえって変な女子高生だ。
 学校に着く頃には既に一時間目が過ぎようとしていた。校門前には誰も居らず、静かな佇まいを見せている。凛太郎は作業棟裏の一年生自転車置き場に自転車を停め、昇降口へと向かっていった。
 もう後何分もしないうちにチャイムが鳴り一時間目は終わってしまう。一年二組を目指そうとしていた凛太郎だったが、思い立ってトイレに向かった。千鶴からは頻繁に取り替えるように言われていたし、自分でも何か心地が悪い気がしている。自転車に乗っている間に染みていたり漏れていたりしたら大事だ。それを確かめたい気もしていた。
(ぅう、何かやだなぁ。漏れてないといいけど……)
 凛太郎第一教室棟のトイレに滑り込むと、便座の上に座った。と、チャイムが鳴り出し一時間目の終了となっていた。
 がやがやと辺りが騒がしくなり始めると、凛太郎も意を決してショーツを下げた。
「うあっ」
 見た瞬間、見るんじゃなかったと後悔してしまう位の量。じっと見ていたら気を失ってしまうかもしれなかった。なるべく見ないようにしながらショーツから外しくるくるとロールペーパーで巻いた。それを汚物入れにぽいと入れる。自分の股間からむっとするような、生理特有の血の匂いが漂って来る。
(う〜、早く早くっ換えないと)
 隣のトイレにも生徒が入って来ている。かばんの中に入れていた、千鶴から貰ったピンク地のポーチ。換えのナプキンやタンポン、アトマイザーまで入っている。何故か震えてしまっている手で、ポーチを開いたけれど、恥かしいと言う気持ちと凛太郎が生理だという事がばれないかと、焦るほどに手も震えてしまい、新しいナプキンが手につかない。やっと取り出してショーツに付け、いざ穿こうと思った時、まだ股間を奇麗にしていない事に気づいた。
(おおぼけするとこだったじゃんかっ。外して、奇麗にして、取り替えるって順序忘れちゃってるよ。もう、焦るな凛太郎)
 なんだか軽いパニックになっている凛太郎だったが、取り敢えずソコを奇麗にしてショーツを上げてトイレから出て行った。
 たったこれだけの事に随分と時間が掛かったのか、廊下を歩いている間に二時間目の予鈴が鳴り始める。こそこそと下を向きながら歩いていた凛太郎だったが、ふっと目を上げると三組の前に修一が立っていた。
(あ、修ちゃん……)
 修一は何か言いた気に近寄って来ようとしている。しかし凛太郎の方はちょっと気恥ずかしく、視線を外してそのまま教室へ入ってしまった。
 授業中も凛太郎はなにか集中力を欠いていた。座っているだけなのに、ソコが気になって仕方が無い。気にしなければ一番いいと思ってみても、授業ではない所に集中してしまう。教室に入って椅子に座る時も、腰をかがめた瞬間出てきたような感じがしていた。
(もう、早く終わって欲しいよぉ。こんなの毎月あるなんて、冗談じゃないよ)
 鎮痛剤が効いている為か、お腹が痛いのは無くなったけれど、それでも引きつるような感触がある。それに眠気でボーっとしていれば、益々集中するのは困難だった。
 結局、訳のわからないまま授業が終わってしまった。
 凜太郎はさっと周りを見渡した。誰も注目している訳ではないのは解っていたけれど、何となく気になってしまう。千鶴に貰ったポーチを手早くかばんから取り出すと、それを隠すように抱え込み一目散に教室の扉を目指した。手をかけガラッと開ける。と目の前に見知った生徒が立っていた。
「あ? 修ちゃん? なんで?」
 修一のちょっと心配そうな、半分怒ったような顔をよそに、凜太郎は驚きの声を上げてしまった。抱えていたポーチを修一に見られないように、後ろ手に隠す。しかし他の生徒には存在がバレバレなのだが。
 実は修一は朝凜太郎の具合が良くないと千鶴から聞かされかなり心配していた。勿論千鶴の結構冷たい態度も悪い想像を掻き立ててしまっていた。
 修一の知っている凛太郎は、アトピー以外別に身体が弱い訳ではない。小さな頃は小児喘息もあったために運動はあまりしなかったけれど、小学校からは特に悪いところも無い。中学でもあまり風邪を引いた記憶も無かった。だから具合が悪いなどと言われると、変な病気になったのかと心配してしまったのだ。休み時間になり教室を覗いて見れば凛太郎の姿がない。暫くして凛太郎が廊下を歩いているのを見つけ安心して声をかけようとした所で、凛太郎が教室へ入ってしまった。
 今の凜太郎の状況では有難迷惑な話しだったが、修一は一時間目の授業内容を殆ど聞いていなかった。尤もいつも余り聞いていないが。
「リンタ、体調大丈夫なのか? あんまり顔色よくねーな」
 凜太郎の額に手をあてながら早口で問う。敢えて無視したろう? とは聞かなかった。
「あ、うん、もう平気。大丈夫だから。あの、僕ちょっと……」
 早いとこトイレに行って取り替えたい。凜太郎の意識はその一点に集中していた。多い日用だから吸収はしてくれるけれど、据わりが悪い感じがする。だからわざわざ来た修一との会話もそこそこに、先を急ごうとしていたのだ。教室からは二組の生徒が出たり入ったりしている。時々凛太郎のポーチを見ていたが、凛太郎本人は気づかなかった。
 凛太郎の無碍な態度に少しムッとした修一は、立ち去ろうとする凜太郎の腕を掴み凜太郎の軽い身体を引き寄せた。
「なんだよ、結構心配したんだぞ。さっきだって顔見てたろ? 一応の話位は言ってくれよな。風邪か? 具合昨日から悪いんだったら俺にちゃんと言っとけって」
「えと、ごめん、具合よくなったから。薬飲んだし。直ぐ戻るから、ちょっと手離してよ」
 少し焦り加減であたふたしだした凜太郎は、目立ちたくない事もあって強い抵抗が出来なかった。
(あ〜、早く行きたいのにっ。修ちゃんちょっとしつこいよ)
「トイレだろ? 俺も一緒に行くわ。久々に連れションだな」
 全くデリカシー無くそんな事を言う修一に、凛太郎は眩暈にも似たものを感じてしまう。
「やっ、ちょっと、そんなに大きな声でいう事無いじゃんか。ほんと、もう勘弁してよ」
 凛太郎がぶんぶんと腕を振り回して離れようとするけれど、中々離れない。ポーチを持った方の腕で修一の腕を掴もうとした。
「? リンタ、何持ってんだ?」
 不思議な物を見るように修一が尋ねる。
「あっ?! な、なんでもないっ! 修ちゃんに関係ないってばっ」
 凛太郎はさっとポーチを背後に隠し、恥かしさのあまり火が点いたように思わず大きな声を出してしまっていた。目立たなくしたかったのに、その声で周囲の生徒が振り返っている。ちらちらとポーチを見ている気がしてしまう。女子だったら自分の身体の状況が解ってしまうと思っていた。突き刺さるようなその視線に顔が真っ赤になると同時に涙が出そうになる。
(何でこうなっちゃうんだよぉ、アレになったってみんなにバレちゃうよお……)
 涙で潤む目で、下から修一を睨み加減で、凛太郎は小声で言った。
「…………お願いだから、手、離してよ……」
「………………。あ、悪い……」
 修一は凛太郎の焦り具合と、ちょっと見たポーチの存在を自分の知識に照らし合わせていた。そしてもしかして、という疑念が一つの結論へと達していた。そして言うが早いか、掴んでいた手をパッと離した。
 漸く開放された凛太郎は、無言のまま廊下を小走りに去っていった。
(ばれた? ……修ちゃんに……絶対ばれた!)
 凛太郎は直前に起こった事実を思い起こしていた。正面から凛太郎を見ていた修一の目が動いていた。すっと視線がずらされ、ポーチの存在を認識していた。直後の修一の表情はある筈のないものを見てしまった顔だった。
(絶対僕が生理になったってばれた! いくら修ちゃんが鈍くても、笑ちゃんだっているんだから……。どうしよう……。それに……)
 それに、クラスメイトにもばれたに違いなかった。少なくとも女子には確実に。凛太郎が修一と揉み合っていた時何人かの生徒がポーチを見ていた。女子の中には「あっ」という顔を見せたコがいたのだ。今頃は教室内にいた生徒の間で広まっていることだろう。男子にしても勘のいい奴なら思い付く筈だ。もしかしたら今頃クラス全員に知れ渡っているかも知れない。そう思うと凛太郎はそのままずっとトイレに隠れていようか、等と考えてしまった。
 それにしても、生理が来たと知った修一とどんな顔で会えばいいというのだろう。にっこり微笑んで? それとも黙っている? 何でも言えと言ってはくれた。もしかしたら今回も伝えなかったら後から言えと言われるかも知れない。しかし普通、男には教えない事柄を簡単に伝えて良いのだろうか。凛太郎はそんな取り留めのない事を想い巡らせていた。
 二回目ともなれば大分慣れてくる。凛太郎は手早く取り替えるとトイレを後にし、教室へ戻って行った。教室の前には、やはり修一が腕組みをしながら廊下の壁に背を付けて待っている。
(……修ちゃん、待ってなくていいって……)
 いつも一緒にいたられてらいいなとは思っても、こんな時は少しぐらい一人でいたい、等と勝手な事を考えていた。後ろの入り口から教室に入ってしまってもいいのだろうけれど、それは余りにも露骨な態度だ。凛太郎は前の、三組に隣接している修一が待っている入り口まで歩いて行った。
「……」
「……」
 凛太郎も修一も所在無げに顔を赤らめながら佇んでいる。時折修一が口を開きかけるが、直ぐに閉じてしまう。凛太郎にはその様子から修一にバレた事が明確に解ってしまった。
「「あの……」」
 二人同時に口を開くけれど、互いに次の言葉を捜してしまう。
「……修ちゃん、先どうぞ」
 一言、逃げるように凛太郎が修一を促す。「お前から言えよ」なんて言われるかも、と思っていたけれど、意外にも修一が続けた。
「あっとな。昼、食べような。……うん、また後でな」
 一人で言って一人で納得しているようなそんな言い方。修一にしても何をどう切り出していいかなんて解らないのかも知れなかった。取り敢えず、きっかけだけ作った感じになっていた。
「あ、うん。お昼に。またね」
 ポーチを後ろ手にしながら、返事を返す凛太郎に、修一はそのまま後ずさりするように教室へ消えて行った。凛太郎もそれを見ながら教室に入って行った。
 席に戻ると隣の席の菊池が、凛太郎が戻るのを待ちかねたように話始めた。
「山口君、今日ってもしかしてアレ、来た?」
 アレの意味するところというと、この場合一つしかないだろう。凛太郎が俯き加減に顔を赤くしながら言いあぐねていると、わらわらと女子生徒達が集まってきた。もう授業も始まろうと言うのに。
「菊リン、そんな普通に聞いちゃダメだって。もっと柔らかく聞かないと」
「そう、生理来た? って普通に聞かなきゃダメよ」
「きゃー、そんなの言う? 優雅に月のものとかって方が山口君には合ってるじゃん」
「で? 来た?」
 凛太郎は恥ずかしげもなく尋ねてくる女子にウンザリしながら、今の自分の状況がなんだか公開処刑場来てしまったように感じていた。
(そ、そんな事普通言わなきゃいけない事?)
 いくら女子の情報網が綿密に出来ているとは言っても、個人の情報をあからさまに明かす事はしないだろうと思っている。しかし一応女子生徒として認められている(と思っている)のだから、そういうしきたりがあるのなら従わざるを得ないのだろうか、と普通では考えないような事を真剣に思っていた。
「女子って、その、そう言うこと、全部教えあってるの?」
 例えばその質問が違う事であっても、凛太郎の表情と態度は、その場にいた者全てを魅了してしまっていただろう。大きく可愛らしい瞳。それがちょっと潤んでいる。上目遣いに探るように真っ直ぐ見つめてくる。「ぎゅーっとしたいぃっ」というのが正直な所だったけれど、流石にそういう行動を取る事は無かった。女子故にしそうな気もするけれど。その代わり、ちょっと意地悪く、というより可愛い過ぎていじめたくなる心境がムラムラと女子の心に芽生えてくる。一人を除いて。
 凛太郎の周囲に集まっていた女子が全員お互いの顔を見合わせる。軽く頷くとその中の一人が凛太郎の机を両腕で抱えるように、そして凛太郎の顔を覗き込むように身を乗り出した。その生徒の顔が急接近した事で凛太郎はちょっと仰け反ってしまう。
「な、何? 佐伯さん?」
 女子の中ではリーダー格の佐伯と呼ばれた女生徒が、真剣な面もちで凛太郎を見た。
「山口君。女の子って、みんないつくるかって知ってるんだよ。ほら、突然来たときって用意して無いじゃない? だから、あ、そろそろあのコのだって解ってるとケアしやすいのよ。使ってるのとかメーカーの好みもあるじゃない。だからその辺もみんなで情報共有してんのよ(大嘘)」
 最後にニヤリと笑ったのが気にはなったが、それが本当なのか嘘なのか、これまで男として生きてきた凛太郎には分かろう筈もなかった。おまけに大体において凛太郎は人との付き合いが少なかったのだ。そうだと言い切られてしまうと、結構簡単に信じてしまう。
「う、嘘っ? ほんとに? え、でも、それって絶対言わないといけないの?」
 女子のコミュニティ自体、色々な情報が錯綜しているけれど、そんなのはこの一ヶ月の間でも初耳だった。しかし生理自体が自分に来ると思っていなかった凛太郎だったから、それを聞き逃していたのかとも考えてしまう。周りを取り囲む女子達をぐるりと見渡すと、うんうんとみんなが頷いていた。
(そんなぁ……。ただでさえ恥ずかしいのに……)
 ただ一人、隣の席の菊池だけが何か言いたげに少しうろたえていたけれど、人垣の向こうの表情までは凛太郎には把握出来なかった。
「そうよ。みんなそうしてるんだから(真っ赤な嘘)。ほら、早く言って。先生来ちゃうじゃない。小声でいいから」
 佐伯は身を乗り出して髪に隠れた耳を出しながら凛太郎に耳打ちを促す。興味津々な面持ちの面々で女子が詰め寄ってくる。周りの男子も興味深げに聞き耳を立てていた。凛太郎はその圧倒的な迫力に圧されしまった。
「あ、あの、昨日って言うか、今日起きたら……、」
 その言葉で教室内に黄色い歓声が上がる。キーンとするような高い声に、凛太郎は耳を押さえそうになった。凛太郎自身の声も高い可愛い声だけれど、女子のそれはやかましいと言われても仕方が無いような音だ。
 輪の中心の佐伯がその声を押さえる。そして。
「で、で? 他も教えてくれないと、協力できないよ(真っ赤な大嘘)?」
 凛太郎がもじもじしながら、佐伯の耳に顔を近づけた時、ガラっと扉を開けやっと教師が入ってきた。
「おら、そこ何してるんだ。早く席つけ。授業始めるぞ」
 三々五々、女子生徒が席につく。何となく心残りな風で。佐伯が小声で「あとでね」と言うと、凛太郎は大きな溜息を吐いていた。
「……あの、山口君?」
 既に授業が始まっているにもかかわらず、菊池が凛太郎を呼んだ。その顔はすまなそうな、複雑な感じだった。凛太郎は菊地の方をちょっと見る。
「佐伯さんの、あれ、嘘だから。あんなの普通言わないのよ」
「……? ……! えええええっ!?」
 思わず大声を上げてしまう凛太郎に、教師からの小言が振ってきていた。周りでは女子がくすくすと笑っていた。

 * * * * * * * * *

 午前中の授業は、生理を気にし過ぎしていた事もあったが、それよりもクラスの女子のおもちゃにされた思いで腹立たしさと、自分の馬鹿さ加減に腹が立ってしまい全く集中力を欠いてしまった。ちょっと考えれば在りえない話なのに、騙されてしまう自分が嫌になってしまう。
 修一に一連の出来事を言おうかとも思ったけれど、それを言うには先ず自分に生理が来ました、と宣言しなくてはならない。そんな恥かしい事を言うのも気が引けた。修一が気づいている、いないにせよ、自分から言う事だけは止めておく方が得策とばかり、この件については自分だけに留めておく事にした。
 いつも凛太郎が修一を誘い、剣道部室までお弁当を食べに行くのだけれど、今日に限っては修一が二組まで出向いてきていた。ひょっこり入り口から修一が顔を出し、きょろきょろと一通り見回すのが凛太郎の席から見える。
(あれ? 修ちゃん。いつも遅いのに)
 修一のいつもと違う行動に、凛太郎は何となく、アレの事が気になっているんだろうな、と思ってしまう。多分それは間違いではないのだろうけれど、それを修一に言う必要もない。
「リンタ。飯」
 修一はそれだけ言うと廊下に引っ込んでしまった。いそいそとお弁当箱を出し、修一の待つ廊下へと出て行く。いつものように壁に寄りかかっている修一がいた。
「何が楽しみって、昼飯喰うのが学校で一番楽しみだよな」
 いつもと変わらない修一のお馬鹿話。凛太郎はそういうちょっとした気遣いをする修一の事を改めていいなと感じてしまった。驚いたり、怖かったり、戸惑ったり、泣いたり、憤慨したり、そんな数日だったけれど、凛太郎は心からの笑みをその可愛らしい顔に湛えて修一に言った。
「うん。そうだね。一番楽しみ」
(修ちゃんと食べるからね)
 もう、半日過ぎてしまったけれど、(今日はいい日になるな)と一人でにまにましてしまう。
(修ちゃんもそう思っているといいなっ)
 その明るい表情に修一も釣られて微笑む。
「リンタって食いしん坊だもんな」
「なんだよ、それ。修ちゃん程じゃないよ」
 周りが「ご馳走様」と言いたくなるような掛け合いを提供しながら、二人は部室棟へ向かって歩いていった。

 * * * * * * * * *

 部活も終わり二人で帰る道すがら、修一は、頬を赤らめてちょっとぎこちなく自転車に乗る凛太郎の、その腰・お尻の部分に目が行ってしまう。
(……あいつ、ほんとに女なんだな……)
 昼間、ポーチを持ってトイレに駆け込もうとしていた凛太郎の姿を思い出していた。修一の奥手で少ない知識を総動員しても、凛太郎はアレだ。修一が中学に上がった頃に笑に来た。その時の笑の態度と比べてもそうだとしか言いようが無かった。
 ただその事実自体は修一にとって意味は無かったのだ。問題は、凛太郎に来るという認識が修一の頭に無かった事だった。それは凛太郎を女の子としてしか見ていないと思っていた彼にとっては、自分の心理に盲点があった事を知らしめていた。尤も、普通の男だったら、生理に疎いのは仕方ない事だけれど、凛太郎が子どもを産める身体になった、という事にショックを禁じ得なかった。
(俺ってリンタの事、セックスの対象としてしか見てなかったって事なんだろうか……。女ならあるのが普通なのに。アレが来たって思ったらびびるってのはおかしいよな)
 手近にいた都合の良さそうな可愛いコ。エッチな事もさせてくれるかも知れない。セックスも。そんな風に凛太郎を見ていたかも知れないと思う自分が嫌になってしまう。俺はあいつの親友だ、今はカレシだと言うのもおこがましく感じる。
 将来の事など修一はそれまで考えた事も無かった。お気楽な性格故にその内何とかなるだろう、が座右の銘な位だ。しかしこれからは違う。目の前を走る凛太郎の事を真面目に考える必要もある。最後までいくなら特に。
 じっと、腰を軽く上げ、左右に踊る凛太郎の腰を見ながら、漠然とではあるが修一の胸にそんな思いが去来していた。

 * * * * * * * * *

「今日もありがと。気をつけて帰ってね」
 どんな良い事があったんだ? と思わず聞きたくなる程ニコニコと微笑む凛太郎を前に、修一は一つ深呼吸した。
「な、リンタ。俺に言いにくかったり、聞きにくかったりする事あったら、笑に頼むな。あれで意外と役に立つから」
 男の自分が触れてはいけないだろう、ソコにはなるべく触れずに、しかし何とか自分も気にしてる事を伝えたかった。遠まわし過ぎて意味が解らないかも知れないと、修一自身も思ったけれど出来れば解って欲しかった。
(俺ってやっぱ我侭だな)
 多少自嘲気味な思いを胸に、凛太郎の表情を見ていた。凛太郎は、多分修一の言った意味を汲み取ったのだろう、笑顔から一転、頬を染めながらも戸惑いの表情を浮かべ、少し苦笑いっぽくその表情を変化させていた。
「……うん、ありがと。笑ちゃんに言うよ」
「昼間、悪かったな。じゃ、また明日」
 凛太郎の返答を待たず自転車に跨ると、一気に加速させようとした。その時凛太郎が声をかけた。
「あ、ちょっと、修ちゃん!」
 凛太郎がゆっくり近づく修一に近づく。修一は振り向いた姿勢で待った。
「ちょっと耳貸して」
「なんだよ?」
 少し回りを気にしながら、凛太郎が耳打ちをした。
「しばらくはダメだからね。わかってると思うけど。終わってから」
 凛太郎のはにかんだような、恥かしそうな表情に修一はドキっとしてしまった。勿論、耳打ちされた内容にも。思わずグビっと咽喉が鳴ってしまう。
「……お、あ、うん。じゃ、帰るな。俺」
「うん、気をつけてね……」
 目を白黒させながら、掠れた声を出して修一は帰宅の途に着いていた。
 凛太郎にしてみると、修一の言葉で自分の生理がやはりばれていた事に気づいた。修一の気遣いもちゃんと理解していた。
 しかしそのままにしておいたらこれまでの修一の事だから、それでもいいからエッチな事したいと言いかねないと思っていたのだ。けして「終わった」後で「しよう」と言う意味ではなかった。敢えて言うなら生理の最中にちょっかいを出されたく無かった為に釘を刺して置きたかったのだけれど、かえって逆効果になってしまった。ただそれを凛太郎は気づいていない。
 どうしてもエッチな事に関しては、凛太郎と修一の気持ちは近づいて行けなかった。それ以外ではかなり近づいていると言うのに。
 遠ざかる修一の背中を見つめながら、凛太郎は久しぶりの心の平穏を味わっていた。


(金曜日6月5日 母親と娘?へ)


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