チョコレート・トラブル
作:toshi9


「……にぃ〜、雅にぃ〜」
廊下の後ろから呼ぶ声に、雅之は振り返った。
6時限目の授業が終わり、カバンを持って教室を出た矢先だった。
「な〜んだ、理奈か。そんな大きい声を出さなくても聞こえてるぞ。それに学校で『まさにい』はいいかげん止めろよ」
「だってぇ……ねえ、あたしとの約束忘れたの?」
「約束って?」
「ほら、今朝約束したでしょう、今日の放課後に」
そう言われて、雅之はようやく登校時に理奈とした約束の事を思い出した。
「そうか、放課後に演技を見てやる約束だったな」
「そうそう、それからね……とにかく、早くぅ」

理奈に促されて体育館に向かうと、雅之は男子更衣室で白い体操服に着替える。一方の理奈も女子更衣室でピンクのレオタードに着替え、二人は体育館内に入った。
ちなみに二人の通う県立仁志高は県内でも有数の体操王国校であり、体育館内の体操専門施設も充実している。雅之はそんな体操王国の2年生で男子体操部のエース、1年生の理奈は雅之の幼馴染で、入学と同時に彼女も女子体操部に入部しているのだ。

晩秋の放課後の体育館は、ひんやりとした空気に包まれている。今日はどこの部も練習が無いのか、体育館の中には他には誰もいない。シーンとした静寂の中、時折校庭から野球部員たちの掛け声が聞こえてくる。
だが二人きりとは言え、レオタード姿の理奈は恥ずかしがる様子もない。
まあ、幼い頃は取っ組み合いの喧嘩をして互いの母親を困らせていた、二人はそんな兄妹のような間柄だから無理もない。

「あれ? 今日は誰も練習に来てないんだな」
「うん、そうだね。良かった」
「え? 良かったって?」
「え? へへっ、だってじっくり雅にぃに演技を見てもらえるから。それに…」
「それにっ?」
「うん内緒、後でね♪ それじゃお願い」
「ああ、床だったよな」
「うん。来月県大会でしょう。明日が女子部の選手選考会なんだけど、何か自信がなくって…」
「何言ってるんだ、お前なら大丈夫さ。3年の先輩たちはもう出れないし、2年女子でお前より上手いのはキャプテンくらいだろう。自信を持ってやれば必ず選ばれるさ。ほら、見てやるからやってみな」

雅之に促され、美奈子は走り出すと、連続前転、そしてくるくると軽やかに12m四方のマット上を駆け回り、ぽんぽんとゴムマリのように2回3回と飛び跳ねる。
最後に連続後転から大きくジャンプし、伸身での2回宙返り、そして1回捻りで着地。だが足を大きく踏み出し着地が乱れる。

「だめだだめだ、跳ぶタイミングが一呼吸遅れているんだ、だから足がピタッと決まらないんだよ」
「そっか、跳ぶタイミングが自分で思っているより遅れてるんだ」
「そうそう、もう一度」
雅之の指導で徐々に美奈子の着地が決まりだす。
「よし、それで大丈夫。じゃ、最後にもう一度。今度はぴたっと決めて終わるんだぞ」

こくりと頷くと、美奈子は床を駆け出した。くるくると連続の前転、タンブリングの演技を続け、最後に連続後転から大きくジャンプして伸身2回宙返り、そして一回転捻って着地のはずだったが、大きく足を滑らし、転倒してしまう。

「理奈、だ、大丈夫か!」
「いたい、足が」
右足を見ると、足首が赤く膨らんでいる。
「捻挫だ、早く医者に行かないと」
「待って、雅にぃ、お医者さんに行ったら明日の選考会出場を止められてしまう」
「そんな事言ってる場合じゃないだろう。早く処置しないと治るのが遅れて、それこそ取り返しのつかない事になってしまうんだぞ」
「だって、だって……」
うつむく理奈。そのレオタードの胸元に、落ちる涙がポツポツとシミをつけていく。
「ほら、立つんだ。肩を貸すから着替えてこいよ」
「……わかった、でもその前にお願いがあるんだ」
「お願いって?」
「あたしのバッグ持ってきて」

体育館の壁際の椅子に置かれた紺色のスポーツバッグを指さす。
それを雅之が持ってくると、理奈は中から丁寧にかわいい包装紙に包まれた四角の箱を取り出した。

「今日ってバレンタインデーでしょう。ねえ雅にぃ、このチョコ食べて」
「何言って、だからそんな場合じゃ……。早く処置してもらわないと駄目だって」
「いいから。お願い。練習が終わったら、どっちをあげようかなと思っていたんだけど」
「どっちを?」
「あ、こっちのこと。それよりねえ、雅にぃが食べてくれたらすぐに病院に行くから」

不承不承包みを開け、中に入ったチョコレートを取り出してほおばる雅之。ボールの形をしたトリフュタイプの生チョコだが、普通のものより二回りほども大きい。

「大きいな、でもとっても柔らかい。チョコレートというよりムースみたいだ。おいしいよ」
あくまでも優しい雅之である。
「ありがとう。食べてもらえて良かった。これで…」
理奈は嬉しさともちょっと違った微妙な笑いを浮かべている。
「それじゃ、医者に行こう」
「うん、それじゃ着替えなきゃね」
「うっ」
「どうしたの? 雅にぃ」
「体が、何だ? 熱い」

両手で体を押さえてうずくまる雅之。
その顔が徐々に溶けたチョコレートのように変わっていく。ヌメっとした光沢が照明の光を照り返す。その異変は全身に広がっていった。
着ていた服は、するすると下着ごとずり落ちていた。

「えい!」

全身が溶けたチョコレートと化したような、そんな雅之に向かって体を預ける美奈子。その体はチョコレート色の雅之の中にずぶずぶと沈んでいった。



それから数秒。
ひとつになって横たわった二人の体が二つに分かれた。
人型の溶けたチョコレートから抜け出てきたのはピンクのレオタードを着た雅之だった。
同時にチョコレート色の人型も急速に人肌色を取り戻していた。
こちらは裸の理奈だった。
彼女は気を失っているようだ。
ぴちぴちのレオタード姿の雅之は、己の両手と体を見下ろすと、にこっと笑う。
そして股間に手をやり、少し頬を赤らめる。

「うわぁ、ほんとにうまくいっちゃったんだ。あ、服服」
ピンクのレオタードとスポーツ下着を脱ぎ捨てると、脱げ落ちていた服を着込む雅之。
「これでよしっと。今度はこっちか。寝ているあたしもかわいいけど、目が覚める前に早く着せてあげなきゃね」
そうつぶやくと、雅之は眠っている理奈に、たった今自分が脱いだ下着とピンクのレオタードを着せていった。

「う、うーん」
横たわった理奈から声が漏れる。
「あ、気がついたみたいね。さてと」
理奈の傍らから少し離れる雅之。
一方、意識を取り戻した理奈は、ゆっくりと目を開くと体を起こす。そして右手で己の額を押さえた。
「どうしたんだ、チョコレートを食べたら急に眠気が」
「理奈、気がついたか?」
「理奈? 理奈はどこに? そうだ、早く病院に連れていかないと、げっ!」
目の前に立つ雅之に驚く理奈。
「俺がもう一人?」
「何言ってるの、理奈はあなたでしょう」
雅之が理奈に向かって女言葉でそう宣言する。
「はぁ? 何を変なことを、それより理奈は……」
「だから、お前が理奈だって。練習していたら急に倒れてしまったんだぞ。何なら自分の姿を見てみたら?」

そう宣言され、理奈が自分の体を見下ろすと、ピンクのレオタードを着ていることに気がついた。
その胸は形良く盛り上がっている。すっきりとした股間は綺麗な逆Yの字を描いていた。
慌てて立ち上がると体をまさぐる理奈。そして自分の背丈が目の前の雅之の首までしか無いことに気がつく。

「ほんとに俺が理奈になって? おい、どういうことだ」
雅之に詰め寄る理奈。
「ちょっと、落ち着いて、いたっ」
一歩下がろうとして、右足首を押さえてうずくまる雅之。
「足首を捻挫? そんなはず……お前、まさか理奈か?」
床にしゃがみ込んだ雅之(理奈)はバツが悪そうに照れ笑いを浮かべる。
「えへへへ、ご名答♪」
「どうなってるんだ」
「雅にぃ、お願い、明日の選考会あたしの代わりに出て」
「はぁ?」
「この足首じゃとっても出られないから、雅にぃとあたしの姿を入れ替えたの」
「わけがわからん。どうしてそんなことができるんだ」
「由紀ねぇ、あ、お母さんの妹。つまりあたしのおばさんなんだけど、お遊びで姿を入れ替えられるチョコを作ったからってくれたの。好きに使っていいって言うから、だったら一度雅にぃになってみたいなって思ってずっと持っていたんだ。でも雅にぃに食べてって話ができずにカバンに入れたまんまになっちゃって。今日のバレンタインは普通のチョコも用意していたんだけど、この足でしょう、咄嗟に由紀ねぇにもらってたチョコを食べてもらおうと思いついちゃった」
「思いついちゃったって……」
「だから、雅にぃにあたしの代わりに選考会に出てもらうってこと」
「お前なあ、由紀ねぇだかおばさんだか知らないけど、冗談はもういいから、元に戻せ」
「嫌! それに、冗談でこんな事できるわけないでしょう」
「おい、頼むよ、こんな姿で家族や仲間に会えないよ」
「選考会に出てくれたら、選手に選ばれたら戻してあげる。ね、お願い、本大会では絶対絶対がんばるから」

思いつめた表情で拳を握りしめ、理奈(雅之)をじっと見る雅之(理奈)。その迫力に押されて、思わず後ずさる理奈(雅之)だった。

「……仕方ないなぁ、わかったよ、わかりました」
「じゃあ、雅にぃ出てくれるのね」
「ああ、でも女子の演技なんてわからないぞ」
「雅にぃなら大丈夫。平均台と段違い平行棒のプログラムは教えてあげるから。床と跳馬は問題ないよね」
「そんな簡単なものでもないけど。まあやってみるよ」

やれやれと両手を広げる理奈(雅之)。
それを見て、機嫌を直した雅之(理奈)が立ち上がる。

「それにしても…あたしってかわいいなぁ」
突然そんな事を言い出したかと思うと、レオタード姿の理奈(雅之)を抱きしめる雅之(理奈)。抱きしめられて恥ずかしそうに体をすくめる理奈(雅之)。中身は逆なのだが、誰が見ても仲の良い恋人同士の情景にしか見えない。
「やめろって、それより、本当に元に戻れるのか?」
「うふふ、秘密♪ 明日の選考会が終わったら教えてあげる」
「わかったよ、まず着替えなくっちゃ。それから一緒に医者に行こう」
「うん」



女子更衣室に入ると、雅之(理奈)に教わりながら女子の制服に着替える理奈(雅之)。レオタードとスポーツ用アンダー下着を脱ぎ、代わりに白く滑らかな下着に足を通す。ブラを付けられ、そして白いブラウス、ジャンパースカート、赤いリボンタイ、ジャケットと着せられていく。
もちろん、雅之にとって全てが初めて着るものばかりだ。

「ううう、何でこんな恰好」

椅子に座って靴下をはきながら、ふと目をやった鏡に映る自分の姿を見て、どきっとしてしまう。
膝を折っている為に、スカートの奥まで鏡に映し出されているのだ。
(理奈のやつ、こうして見ると、結構かわいいし、胸も大きいんだよな。それに…)
少し両脚を広げて、スカートの上から己の股間にそっと手を伸ばそうとする理奈(雅之)。だがその手はピタッと止まる。
(いかんいかん)
「どうしたの? 雅之にぃったら、あたしになってどきどきしてきた?」
「そんなんじゃない!」
鏡から目を逸らして立ち上がる理奈(雅之)。
「これでいいだろう。早く病院に行って処置しないと。本選までにその足首を直さないといけないんだぞ」
「わかってる。でも治らなくっても…」
「なんだって? 何か言ったか?」
雅之(理奈)に、不機嫌そうにかみつく理奈(雅之)。
「なんでもないよ。それじゃ行こうか、理奈」
「おい、その呼び方」
「だって、あたしの姿に向かって雅にぃは変でしょう。それに誰が聞いているかもわからないし。雅にぃも、あたしに理奈って呼ぶのはやめてね。さて、だったら何と呼ぶのでしょう。はい、答えは?」

理奈(雅之)に向かって指さす雅之(理奈)

「……雅にぃ……」
「ピンポ〜ン、たった今からあたしの事、雅にぃと呼ぶのよ」
「わかった…わよ、雅にぃ。それと、あたしの姿で女言葉はやめてね」
「お、なかなか順応してるじゃない。よしわかった、俺は今から雅にぃだ、あっはっは」
「おい、何か変だぞ、くれぐれも気を付けてくれよ…ね」
「あなたも…な」


理奈(雅之)は杖替わりに雅之(理奈)に肩を貸しながら、体操部かかりつけのスポーツ整形外科医院に向かった。診断の結果、捻挫は全治3週間という事だった。
右足をギブスで固定し、松葉づえをついて歩く雅之(理奈)。その傍らを心配そうに理奈(雅之)が歩く。

「思ったより長引かずに済みそうで、良かった」
「うん。何か迷惑かけてごめん」
動転していた気分も落ち着いたのだろう。慰める理奈(雅之)に雅之(理奈)が謝る。
「何をいまさら。もう覚悟は決めた。明日の選考会まで理奈をやらせてもらいますよ。でもうちに帰ったらバレるんじゃないの?」
「大丈夫、家族にはもう言ってあるから」
「へっ? 言ってあるって……あの、何をでしょうか、理奈さん?」
「えへん、これからあたしの姿をした雅にぃが帰ってくるからよろしくって、お母さんに話しておいたから。玲奈お姉ちゃんもわかったって。お父さんは帰りが遅いみたい」
「はぁ? それって、いや、だめだろう、それじゃお前んちではバレバレ」
「だから、うちのほうは心配しないで。みんなうまくやってくれるから」
「……どんな顔してお前のうちに行けって、それって死ぬほど恥ずかしいぞ」
「あたしもうまくやるから…やってやるからさ、理奈もがんばれよ」

そう言って、笑いかける雅之(理奈)。戸惑いながらもその微笑みに理奈(雅之)の胸がキュンと鳴る。

(なんだこれ、何で俺が俺にキュンと感じるんだよ〜)
「じゃあ、明日ね」

隣同士の家の前で別れる二人。
雅之の苦闘は始まったばかりだ。

(続く)




後書き
 久々の新作です。1年以上完成作品を書けていなかったんですが、今年はバレンタイン作品を1本アップしたいなと思い立ち書き始めたのがこの作品です。久々なので書けるかなと思いながら書き始めてみましたが、初期設定が固まるとキャラが途中から勝手に動いてくれるので、思ったより早く書き上げることができました。この感覚も久しぶりですね。
続きは何とかホワイトデーに公開できるといいですが、さてどこまで書き進められますやら。
 最後まで読んでいただいてありがとうございました。toshi9でした。


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