戦え!スウィートハニィ

第1話「如月光雄の災難」

作:toshi9



 俺の名前は如月光雄。とある高校の教師をしている。
 これまで教師一筋に打ち込んできたんで、未だに独身だ。……と言ってもまだ30前なんだが。
 生徒と一緒に苦労も喜びも分かち合う、そんな教師生活に俺は満足していたし、教師として色々な悩みは持っていても、それなりに平穏な生活だった。……そう、彼女が現れるまでは。

 彼女とは、今年受け持ったクラスの女子生徒の一人、桜井幸(みゆき)のことだ。
 桜井は何かにつけて俺に絡んでくる。はじめは俺の授業の後、やたら質問に来るなと思っていたら、だんだん個人的な悩みや私生活についての相談にも来るようになり、最近では俺のアパートにまで押しかけてくるようになった。

 かわいい子だし、最初のうちは教師冥利に尽きると感じていたのだが、エスカレートしていく彼女の行動に、いささか度が過ぎるかなと思っていた矢先の昨日のこと、俺は彼女にいきなりキスされてしまったのだ。

 その時は全く偶然の事故だと思っていたんだが、どうも桜井のほうは確信犯だったようで、直後、俺は彼女に告白されてしまった。

「先生、ミユキは先生のことが好きです。大好きです。お願い、あたしとお付き合いしてください」
「桜井くん、僕達は教師と生徒だ。君は尊敬と恋を勘違いしているだけだよ」
「いいえ、そんなことありません。この思い、わかってください」

 俺はすっかり困ってしまった。幸は自分の告白を受け入れてくれないと、俺のアパートで無理やりキスされたと校内で言いふらすと息巻いた。そんなことはクラスにとっても、俺自身にとっても望ましいことではない。

「うーん、困ったぞ。どうすれば彼女の心を翻意させられるんだ……ボーイフレンドでもできれば俺から離れていくんだろうが、せめて何か彼女の気持ちを俺から逸らすような方法を考えないとなあ……」



 そして数日が過ぎた。



 今日も校内で桜井に迫られてしまった。
 そして学校の帰り、これからどうしたものかと考え込みながら歩いていると、俺は何時の間にか、いつもと違う路地裏に入ってしまっていた。

「あれ? こんな所にこんな店あったかな?」

 目の前に、こじんまりとした古ぼけた建物があった。よく見ると看板が掛けられている。

骨董品から生活用品まで何でも取り揃えております。きっとお客様がお探しの物が見つかります。お気軽にお訪ねください。 天宝堂

 俺はその看板の文句に何となく惹かれるものを感じ、店の中に足を踏み入れた。
 店の中には雑多な品物が所狭しと置かれている。店内は思ったより広く、その奥は何処まで続いているのかよくわからなかった。

「へええ、間口は狭いのに中はこんなに広いのか。どんな商品が置かれているんだ?」

 俺は時間の経つのも忘れて商品の一つ一つに見入っていた。そして、棚に置かれた小奇麗な指輪に目が止まった。

「きれいな指輪だ。豪華でも何でもないのに、見ていると何だか気持ちが安らいでくる気がする」

 俺は思わずその指輪を手に取ると、じっと見入ってしまった。

「いらっしゃいませ、お好みのものが見つかりましたか?」

 どこから現れたのだろう? いつの間にか俺の後ろに立っていた、色眼鏡をかけた店主と思われる人物が、揉み手をしながら声をかけてきた。

「好みというか、何となくこの指輪に惹かれてね。じっと見ていると、何だか心が和む気がするんだ」

 俺の言葉に、店主はじっと眼鏡の奥から俺を見つめているようだった。だが、眼鏡を外すとにっこりと笑いかけた。
 古道具屋の店主にはいささか似つかわしくない、若く端正な顔立ちの男だ。

「ありがとうございます。その指輪は掘り出し物ですよ。是非お求めになられては如何でございますか?」

 店主は俺に向かって熱心にその指輪を勧めた。

「そうだなぁ、惹かれはしたけれど、プレゼントするような相手もいないしなぁ」
「その指輪は自分で使っても良いようですよ。指輪の説明書によりますと『空中元素固定装置』とやらが仕込まれているらしいですので」
「空中……何だい、それは?」
「その指輪は四半世紀以上も前に作られたものらしいのですが、私は無学なので詳しいことはよくわかりません。ご購入された後で、説明書をよくお読みになればよろしいかと」
「ふーん面白そうだな。で、いくらなんだい?」
「これ位で如何でございましょうか」

 店主が電卓をポンポンと叩いて俺に指し示す。

「や、安いな……本当にそれで良いのか?」
「はい、お客様に満足して頂ければ、それに勝るものはございません」
「そ、そうか、それじゃあ頂こう」

 俺は財布から紙幣を数枚取り出すと、店主に渡した。

「まいどありがとうございます」

 店主は俺から紙幣を受け取ると、指輪を丁寧に包装して俺に手渡した。

「お客様、いい目をしてらっしゃいますね。この指輪、どうぞ大切になさってください」
「え? あ、ああ、そうするよ」





 家に帰ると、俺は早速指輪の包みを開いた。
 その小奇麗で安らぎのあるデザイン、そして熱心に勧める店主の言葉につられてつい買ってしまったものの、俺は箱を開けながら、わけのわからないものを買ってしまったことを少し後悔していた。
 箱の中には指輪と一緒に店主が言っていた使用説明書が入っていた。しかし鑑定書ならわかるが、使用説明書の付いている指輪って何なんだ?
 手入れの方法でも書いてあるのか?

「なになに、使い方? 指輪に使い方なんてあるのか? そう言えばあの店主、空中なんとかって言っていたな。……ええと、指輪を利き手の人差し指にはめ、胸にその手を当てて、自分の名前とともに『フラァッッシュ』と唱えるべしぃ? その際に望みの人の姿を思い浮かべるべしぃ?? 何だぁこりゃ?」

 その陳腐な説明書の文言に、「こりゃ騙されたな」と思いながらも、俺は取り敢えずそれを試してみることにした。

「しかし変なものを買ってしまったなぁ。一体何が起こると言うんだ? 望みの人を思い浮かべるということは、こちらの思いが思った相手に伝わるとでもいうんだろうか」

 いくら考えてもよくわからない。とにかく試してみるしかないな。

「そうだなぁ、よし、桜井幸、彼女が俺を諦めますように」

 そう思いながら、俺は書かれた通りに指輪を右手の人差し指に差し入れると、胸に当てて唱えてみた。

みつお・フラァッッシュ!

 すると、突然指輪が眩く光り、俺の体がその光に包まれた。そして……

「えぇ〜? そ、そんなぁ??」



 指輪の使い方を身を持って理解した俺は、桜井のことを考えていた。

「この指輪を上手く使えば、桜井の気持ちを他に逸らすことができるかもしれないな。あいつの気持ちを俺から逸らすようにするには、新しいボーイフレンドができれば良いんだよな。そのためには……」

 俺は、指輪の力を使ってある作戦を実行してみることにした。



 次の日の放課後、俺はクラス委員長の相沢謙二を理科準備室に呼び出した。

「先生、何の用事ですか? 俺忙しいんですけど」
「うん、実はお前に相談したい事があってな」
「何でしょうか? それに職員室じゃなくて、こんな所に呼び出して相談だなんて」
「実はお前に会わせたい人がいるんだ」
「??? ここには先生しかいないみたいですけど……」

 俺は立ち上がると、桜井のことを思い浮かべながら指輪を嵌めた右手を胸に当てて唱えた。

みつお・フラァッッシュ!

 叫んだ瞬間指輪が眩く光り、俺の服は粉々に破れると塵になって消えてしまった。つまり何も着ていないすっ裸になってしまったというわけだ。
 そして俺の周りの空気がどんどんまとわり付くように濃くなり始める。まるで空気が俺の体に貼りつき溶けていくような感触を覚えると、今度は背が低くなり始め、ぐぐっと肩幅が狭くなって撫で肩になり、体全体の線も丸くなっていく。腰はどんどん絞れて細くなり、上に持ち上がっていく。ガニ股気味だった脚はすらりと伸び、太股はむっちりといかにも肉付きの良いものになっていた。そして手を当てている胸が段々と盛り上がり、それは大きな乳房になった。股間のモノは何時の間にか無くなっていた。
 ふと鏡を見ると、その時の俺は首から下がすっかり女の子の体になっていた。

「どうだ? 相沢」
「何ですか先生、その姿。……マジックにしては趣味悪いですよ」

 ちょっと頬を赤くして目を逸らしながら相沢が答えた。その間も俺の変身は続いているようだった。
 顔はじわじわと小さく、あごが細くなって、小顔の女の子の輪郭になってしまった。
 さらに短かった髪は下に向かってざわざわと伸び始め、腰の高さまで達してしまった。顔の上に新しいきめの細かい肌が少しずつ出来上がっていく。眉毛の形が変わり、目がぱちっと大きくなる。それは今の俺の体に相応しい、かわいい女の子の顔だった。

「ええ?……まさか」

 はじめは目を逸らしていた相沢だが、そんな俺の変身ぶりを呆気に取られながら見入っていた。心なしかその頬が汗ばんでいる。そう、準備室の鏡に映っているのは、全裸の女の子。でもそれも一瞬の事で、シューっと空気が震えたかと思うと、再び俺の周りの空気が俺を包み込み始めた。
 それは徐々に実体化していく。
 股間はぴちっと青いショーツで覆われ、胸の膨らみはきゅっとショーツと同色の青いブラジャーに包み込まれる。

「これならどうだい?」

 自分を指差して相沢に聞いてみる。相沢の顔はさっきからもう真っ赤だ。

「お、お前は……」

 膝から下にはすーっと紺色のハイソックスが現われ、俺のきゅっとしまったふくらはぎを包み込み、さらに女子生徒用の上履きが現れる。ショーツを隠すようにプリーツのミニスカートが実体化する。同時に上半身はセーラー服に包み込まれ始めていた。シュルシュルと赤いリボンが巻かれ、最後にカーディガンが実体化し、変身が終了した。
 今や俺の姿は、セーラー服に身を包んだ桜井幸になっていた。

「せ、せんせい、ほ、本当に先生なのか、それとも……」
「ん? あたしって誰に見える?」

 そのソプラノボイスは、まぎれもなく桜井のものだった。

「みゆき……桜井幸じゃないか?」
「そうなの。相沢くん正解よ。さっきまでの如月先生の姿は仮の姿だったの」

 俺は相沢にVサインをすると、桜井の顔でにこっと微笑んだ。

「ど、どういうことなんだ?」

 俺は準備室の丸椅子に腰掛け、呆然としている相沢に向かって話を続けた。
 ……しかしこのスカート短いな。気をつけないと中身が見えそうだが……まあ良いか、サービスだ。

「あたしは今、悪の秘密結社『虎の爪』と戦っているの」
「何だってぇ!」
「奴らは何処であたしを狙っているかわからない。だからこうして時々先生に変装して目を晦ましているの」
「そんな、アニメじゃあるまいし……信じられない」
「今見たでしょ? あたしは普通の女の子じゃないの。こうして変身できるのが何よりの証拠よ」
「せ、先生はどうしたんだ?」
「先生も協力してくれているの。あたしが先生の姿になる日には姿を隠すようにね」
「先生も協力……それでお前と先生ってよく一緒にいたのか。でもどうしてそれを俺に?」
「相沢くん、あたしを助けて。奴らとの戦いは段々厳しさを増しているわ。一人ではもう勝てないかもしれない。お願い!」

 俺はお尻がむずむずしてくるような気恥ずかしさをこらえながら、桜井になりきって相沢に訴えた。我ながらこんなつくり話を真面目に話すのはちょっと恥ずかしい。

「そうか、よしわかった。俺がお前を守ってあげるよ」
「うれしい! ありがとう、相沢くん」

 俺は目をうるうるとさせて相沢を見詰めた。始めは現実離れした話に半信半疑だったようだけれども、すっかりやる気になっている。
 まあ、実際に俺が桜井に変身するのを目の当たりにして信じてくれたようだ。相沢は俺の思惑通り、すっかり “桜井が変身を解いた” んだと思い込んでいる。
 これで相沢は、ずっと桜井の近くから離れずに彼女を守ろうとしてくれるだろう。

「桜井……お前、知らないところで苦労してたんだなぁ」
「ううん、苦労だなんて。でもそう思ってくれる人がいるだけでもうれしいよ」
「よし、今日からはいつも一緒にいてやるよ。変な奴が現れても君には手出しさせない。取り敢えず、今日は家まで送っていくよ」
「うん、じゃあ校門の前で待ってて。まだちょっとやることがあるから。……それからこの話はここだけの秘密。どこで誰が聞いているかわからないから、たとえ二人だけの時でも、あたしがこの話を切り出さない限り話題にしないでちょうだい」
「そうか、わかったよ。じゃあ先に行って待ってるぜ」

 相沢はちょっとうれしそうな顔で、先に準備室を出ていった。……相沢、すまん。

「よし、今度は桜井だな」

 それを見届けると、俺は再び呪文を唱えた。

みつお・フラァッッシュ!

 次に俺が変身したのは、桜井の親友、栗田宏美だ。
 桜井は、多分俺を教室で待っているはずだ。この姿で、相沢と一緒に帰るように上手く言わなくちゃな。
 俺はミニスカートの制服姿で歩くことに恥ずかしさを感じながらも、準備室の扉をそっと開けて、誰も見ていないことを確かめると、宏美の姿で教室に向かった。

 そう、この時はまだ、桜井の気持ちを自分から逸らすための嘘が、まさか本当のことになるなんて考えてもいなかった……。 



 ……………………………………………………………………………………

 理科準備室での一部始終を、窓の外でじっと見ていたカラスが一羽。

「ぐえっぐえっぐえっ……見つけたぞ、空中元素固定装置。……早速ご報告しなければ」

 ばさっ、ばさっと翼を羽ばたかせながら飛び去っていく。それを奇異に感じる人は誰もいなかった。

 ……………………………………………………………………………………



 理科準備室での出来事から、1時間後……

「はぁぁ……」

 俺は、自分のアパートで何度もため息をついていた。

「はぁぁ……やっぱり駄目だったか……」

 そう、俺の考えた作戦は上手くいかなかった。

「みゆきぃ、相沢くんが校門のところであなたのことを待っているみたいよ」
「えぇ? 委員長が? 何だろう?」
「きっと幸に気があるんじゃないのかな?」
「そんなぁ、そんなこと考えられないよ。それに、彼あたしの趣味じゃないもん」
「あんなにいい人なのに?」
「あたしが好きなのは如月先生だけ! 宏美だって知っているでしょ、あたし宣言したんだから」
「うーん、それはそうだけど、か――彼もいい人よ。……それに、先生はやっぱまずいんじゃない?」
「そんなことないもん。それより宏美、これから一緒に買い物付き合わない?」
「えぇ? でも……」
「何か用事があるの?」
「いっ、いいえ、な……ないけど……」
「じゃあいいじゃない。行こう行こう」

 結局、俺は栗田宏美の姿のまま、何時の間にか桜井の買い物に付き合わされることになった。
 二人で一緒に校門を出ようとすると、相沢が外で待っていた。

「お、おい、桜井」
「……………………」

 呼び止めようとする相沢を見事に無視して、すたすたと歩いていく桜井。
 その後をあわてて付いていく、栗田の姿の俺。
 相沢は何がなんだか理解できず、口をポカーンと開いたまま立ちすくんでいた。

 ……相沢、すまん。(2度目だなぁ……)



 桜井に連れて行かれたのは、何とデパートの水着売り場だった。

「あ、あのう……」
「さあ、宏美選ぼうよ」
「で、でも、どうして?」
「今度先生を誘ってプールに行くんだ。私のこのプロポーションを見せつければ、先生だってきっと私のことを受け入れてくれる。もう子どもじゃないんだって」

 お前のスタイルの良さはよくわかっているよ……そう心の中で呟きながら、俺は桜井が試着室に入って着替えるのを眺めていた。
 いいのか? 教師がこんなことしてて。そう思いながらも、はたから見るビキニ姿の彼女はちょっとまぶしかった。

「宏美ぃ、あなたも試着してみたら?」
「えっ? い、いいよ、プールなんて行かないし……」
「ちょっと着てみるだけよ。ほら、これなんかどお?」

 桜井は手渡したのは、やっとお尻が隠れるようなセクシーなビキニだった。

「ちょ、ちょっとこんなの駄目だよ」
「あら、宏美だってスタイル良いんだから、きっと似合うよ。ほらぁ」

 俺はビキニの水着を強引に押し付けられると、試着室に放り込まれてしまった。

 ひえぇぇ、何でこんなことに?

 仕方なく俺はセーラー服を脱ぐと、下着だけの姿になった。……栗田、すまん。
 じっと鏡に映る自分の姿――栗田の下着姿を見つめながら、これでいいんだろうかと思いながらも、このビキニを着けてみせなければ、桜井は俺のこと解放しないだろうな……ということは何となくわかっていた。

 あの強引な性格だもんなぁ。

 俺は決心してブラのストラップに手をかけた。
 ストラップを肩から外し、背中に手を回してやっとホックを外すと、プルンと栗田の形の良い乳房が顕わになった。水着のブラを胸に当て、背中を首の後ろで結ぶようになっているブラの紐をやっとのことで結び、ショーツに手を掛けたところで外から声を掛けられた。

「宏美ぃ、どお?」
「わっ、あ、も、もうちょっと……」
「あんた、下着脱いだら駄目だよ」

 おっと、良く見ると「水着の試着は下着の上からお付け下さい」って書いてある。ほっとして、ショーツの上からビキニのパンツを穿いてみる。
 うーん、確かに栗田もスタイル良いから似合ってるな。
 俺は鏡に映った自分の姿――真っ赤なビキニを着た栗田の姿に、思わずどきりとしてしまった。

「できたぁ? ……どれどれ……うん、なかなかいいじゃない。宏美もそれ買っちゃったら」
「い、いい……よ。こんなの、は、恥ずかしいよ……そ、それに、プールなんて行かないんだから……」
「今度一緒に行こうよ。また誘うからさぁ」



 結局、俺はそのビキニを買わされる羽目になってしまった。……全く俺って何やってるんだか。

「じゃあ宏美、また明日」
「幸、今日も先生のところに行くの?」
「うん、これを家に置いてきたら行ってみようかな?」  
「そっか。……全く困ったもんだな」
「え? なに?」
「ううん、何でもない。じゃあね」

 俺は桜井と別れると、取り敢えず栗田の格好のままアパートまで走った。
 あたりは既に薄暗くなり始めていて、その時、俺の後を追いかけてくる影があったことを知るよしもなかったが……
 アパートに戻ってドアを閉めようとすると、何かがドン、とドアを叩いたような気がした。

「え!?」

 閉めかけたドアを開いてみるが、そこには誰もいない。ただ、一瞬何かの影がシュっと部屋に入ったように見えた。
 だが、部屋の明かりを点けても、部屋の中のは俺以外には動いているものは何もいなかった。

「一体何だったんだ?」 

 不審には思ったものの、桜井のことが気になっていた俺はそれ以上深く考えず、部屋の中に鞄と買ってきたビキニの入った紙袋を放り投げて、ベッドに大の字に寝転んだ。

「はぁぁ」

 俺は、ベッドの上で何度もため息をついた。

「はぁぁ、やっぱり駄目だっかか……」

 結局、俺の考えた作戦は上手くいかなかった。
 さて、どうする?
 これから幸がここに来る……いっそ今日は逃げるか。いや、今逃げても同じことだ。さて……

 『新しいボーイフレンドを作ってあげよう作戦』が失敗し、あまつさえこんなビキニまで買わされてしまった。今度は失敗は許されない。
 俺はベッドの上にあぐらを掻いて座り込むと、次の作戦を考えた。

 次は…………よし、これでいこう。

 俺はベッドから立ち上がると、指輪を胸にあて、呪文を唱えた。

みつお・フラァッッシュ!

 俺の体が光に包まれる。
 そして光の中から現れたのは栗田宏美ではなく、ピンクのパジャマを着た別な女の子。
 今の俺の姿、それは隣の部屋の女子大生、上村涼子だ。

 あは♪

 俺は女の子っぽく鏡に向かって笑ってみる。
 これでよし。パジャマを着た上村涼子の姿で桜井を迎えれば、「実は隣の女子大生が、先生の恋人だったんだ」と思い込んで諦めてくれるだろう。
 名付けて『実は恋人がいた作戦』だ。
 俺はもう一度ベッドに座ると、自分の姿を確かめようと鏡に向かって振り返った。
 けれども、その時俺の体は突然動かなくなり、その格好のまま固まってしまった。

 え……!?

「ぐえっ、ぐえっ……空中元素固定装置、お前が持っていても宝の持ち腐れだよ。我らの組織に渡してもらおう」

 背中の方から不気味な声が聞こえてきた。
 鏡に映っているのは上村涼子の姿の自分だけ。……おかしい、誰もいないはずなのに。
 だが良く見ると、自分の影が何となくにやーりと笑っているように見えた。

 ……何だ?

 その時、俺の体は俺の意思と関係なく立ち上がると、アパートの扉を開けて裸足のまま外に歩き始めた。

「あ……?」

 ドアの外には、桜井幸が立っていた。

「あ、あなた誰? どうして先生の部屋に? それにその格好!」
「うるさい、そこをどけ」

 俺の口が俺の意思と関係なく、俺が思ってもいないことをしゃべる。
 そして俺の体は左手で桜井を押しのけると、階段を下りていった。

「何なのよ? いったい。……そうだ先生は?」

 幸は部屋の中に入っていった。
 ……駄目だ。体が思い通りに動かせない。
 俺の体は、すっかり暗くなって人通りの少なくなった夜道をふらふらと歩いていく。
 そして近くの公園の中に入ると、その中でぴたりと立ち止まった。
 俺の目の前には、背中の街灯に照らされて長く影が伸びている。
 その俺の影が、再びにやっと笑ったような気がした。

「……え!?」

 俺の影はぐぐーっと俺の目の前で立ち上がると、次第に何かの形を取り始めた。
 それは黒猫のような格好をした怪しげな女性だった。

「あたしはシャドウレディ、『虎の爪』の幹部さ。影の中に入ってこうして人を操ることが出来るんだ」
「な……何なんだお前はっ!? どうしてこんなことをっ!?」
「お前の嵌めているその指輪――空中元素固定装置を我々に渡すんだ。さっきも言ったように、お前には宝の持ち腐れなんだよ」
「いやだと言ったら?」
「力ずくでも……と言いたいところだが、一度はめてしまうと本人の意思でないとそれは外せないらしいな。それを差し出したら何でも望みを聞いてやるぞ」

 ……うさんくさいやつ。こういう場合、差し出したとたんにひどい目に合うのが落ちなんだよな。

 そのうち、俺の周囲に人影が集まってきていた。
 皆女性らしいけれど、何か様子がおかしい。
 烏のような姿をした女性、トカゲのような女性、蜂のような女性。
 まるで特撮ドラマに出てくる女怪人のようないで立ちだ。

「さあ、その指輪を外してこっちに渡すんだ」

 どうする……?

 その時俺の頭の中に、あるアイデアがぱっと浮かんだ。……でも上手くいくのか?
 だが……よし、いちかばちかだ。
 俺は指輪を胸に当てて叫んだ。

みつお・フラァッッシュ!

 俺の体が光に包まれる。
 着ていたピンクのパジャマが粉々に飛び散り、その下のブラジャーもショーツも霧のように消えてしまった。
 そして空気が再び俺の周りにまとわり付き始め、ある形を取り始める。
 上半身は胸の大きく開いた滑らかで真っ赤なノンスリーブシャツ、下半身は黒のタイツに包み込まれ、それは腰のところでジャンプスーツのように一つにくっついていった。踵がくっと持ち上がり、両足は白いブーツに包まれる。同時にショートカットの髪は赤く染まり、跳ね上がっていった。胸もお尻もさっきよりも一層大きく張り出し、細い腰はさらに絞れていく。
 薄い生地のジャンプスーツは、今の俺の日本人離れした見事なボディラインを、くっきりと描き出していた。
 そしてブーツと同じ白い手袋をつけた俺の右手には、細身のサーベルが握られていた。

「あなたたち、あたしからこの指輪を奪おうなんて百年……いや、千年早いわよっ。取れるもんなら取って御覧なさいっ!」
「お前、何者だ!?」
「ある時は高校教師、またある時は女子高生……しかしてその実体は正義と真実の人、多羅尾――おっと違った」

 一瞬俺は考えた。

「愛と正義の戦士(うーん……と)」

 考える俺の頭の中に、ある名前が浮かんできた。

「愛と正義の戦士、スウィートハニィ! (……うわぁ、言っちゃったよ)」
「何をっ! 我らに歯向かうのなら痛い目に合わせるだけだ! それっ、やってしまえ!」

 俺のまわりの妖しげな女性達が、じりじりと間を詰めてくる。

「クロウレディ参る!」

 烏のような格好の女怪人が、翼を広げて飛び掛ってきた。
 俺は体を捻ると、紙一重でそれを避けた。

 体が軽い。
 思ったとおりだ。この指輪って、ただ姿だけが変わるんじゃないらしい。自分で考えた能力をも身に付けられるんだ。
 片手でヒュっとサーベルを振る。俺は迎え撃つ構えを取った。

「来なさい!」
「おのれぇ!」

 再びクロウレディが飛び掛ってくる。その手の爪が鋭く光っている。
 今度はそれをサーベルで受け止めると、お腹の辺りに思いっきり回し蹴りを叩き込んだ。

「ぐえっ!!」

 堪らずクロウレディはもんどりをうって後ろの木に叩きつけられ、ぐったりとしてしまった。

「レディ・ビーだ。いくよ!」

 蜂のような格好をした女性が、フェンシングの剣のような武器で突いてきた。

「ヒュッ、ヒュッ」

 ……見える。
 俺はその突きの一つ一つを見切ることができた。すごい。

「くそー、これならどうだ」

 レディ・ビーが一際気合を入れて突いてくる。その剣を左手で受け止め引っ張り寄せると、右手のサーベルの柄を後頭部に思いっきり叩きつける。

「ぐ、ぐぅ……っ!」

 レディ・ビーがその場に崩れ落ちた。
 よし、いける。
 そう思った瞬間、後から鈍い衝撃が俺を襲った。

 ドガッ!!

「……うっ!?」

 そのまま地面に這いつくばるような形で倒れこむ俺の上に、4人の中で最も大柄な女怪人が圧し掛かってきた。

「あたしはティラノレディだ。お前の好きなようにはさせないよ!」 

 ティラノレディは、両手で俺の首をがちっと掴むと、そのまま俺を軽がると吊り上げた。そして、そのままぎりぎりと首を絞め始めてきた。

 ぐ、ぐぅ……苦しい……

 段々意識が朦朧として、力が抜けていく。俺の右手からガチャリとサーベルが落ちた。

「さあ、一緒に来てもらおうか」

 ティラノレディのそんな声が、段々遠くなってきた。
 だがその時……。

「おまわりさーん、こっちでーす」

 誰かが大声で叫ぶ声が、木立の向こうから聞こえてきた。

「くっ、邪魔が入ったか。今日のところは見逃してやる。だが必ずその指輪は頂くぞ!」

 そう捨て台詞を残し、怪しげな4人の女怪人は姿を消した。
 そして、それと同時に木立の向こうから一人の男性が出てきた。
 しかしそれが誰なのか、暗がりでその姿はよく見えない。

「あれ? おまわりさんって……」
「大丈夫か? 咄嗟に叫んだんだけれど、上手くいったみたいだな」

 この声……相沢……?
 暗がりの中から姿を現したのは、相沢謙二だった。

「お前、桜井だろう?」
「え? ……え、ええ」

 段々意識が戻ってきた俺は、咄嗟に桜井の姿に変身することにした。
 きっとそのほうが上手くいく。
 俺は指輪を胸にあて、小さな声で呪文を唱えた。

みつお・フラァッッシュ!

 シューっとジャンプスーツが消え去り、赤い髪が黒く染まったかと思うと長く伸びていく。少しスリムになった体の周りの空気が体に張り付き、セーラー服が形作られていった。
 俺はセーラー服を着た桜井の姿になった。

「ありがとう相沢くん、助かった」
「きっと先生の所だろうと思って、気になって来てみたんだ。そしたら公園からおかしな声がするんで、もしやと思ったのさ。お前、本当にあんな奴らと戦っていたんだなぁ」
「えっ? あ……そ、そうなのよ。……ほんと大変なんだから」

 俺は相沢に向かって、ちょっと疲れたように微笑んだ。

「でも、何でさっきは俺のことを無視したんだ?」
「あいつらが見張っているのがわかったから、助けて欲しいって言ったものの、そんな状況であなたを巻き込めなかったのよ」
「そんな……水くさいぜ。俺にできることがあったらいつでも言ってくれよ。……さっきみたいなことは無しだぜっ」
「うん」

 俺は勘違いしている相沢に話を合わせて、その場を誤魔化すことにした。
 相沢もすっかり俺の話を信用している。……相沢すまん。(これで3度目だなぁ)
 しかし、あいつら何者なんだ? 「虎の爪」なんて口からでまかせだったのに、何で本当に出てくるんだ?



 ……突然の妖しげな集団の出現に戸惑いを感じながらも、俺はこうして無事でいられた事に、取り敢えず安堵していた。
 けれど、俺の頭の中は疑問符でいっぱいだった。
 これから先、俺ってどうなるんだろう?

(続く)



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