乳汁(みるく)ハ、母ノ味?

作・よしおか



我輩は、許せなかった。あの若輩者が、我輩よりも先に、この栄光の大日本帝國における、いや、亜細亜の中でも最高學府であり、西洋諸国の名のある大學にさえも肩を並べる我が帝國大學の講師の職に就くなどとは、許されぬことだった。

あの不敬の輩には、天罰を与えねばならない。そう、學問で名を成す事が、叶わぬ様に。いや、この世より、存在を無くしてしまう。

そう、お前の存在を消し去るのだ。我輩は、その最良の案に満足した。そして、その準備に取り掛かることにした。

 

「先輩。わたくしのような者の為に、このような会を催してくださり、感無量であります」

「いやいや、優秀なる後輩の前途を祝するのは、先輩たる我々の務めだよ。ただ、皆都合が悪く、我輩だけとなってしまったが申し訳ない」

「いえ、帝國大學の誇る秀才の威光院先輩に祝福していただけるだけで光栄です」

「そう言ってもらえると、安心するよ。金がなく、この研究室での祝いの席だからな」

我輩は、愛想笑いをしながら、この屈託のない無邪気な笑顔をする後輩を憎らしく思った。帝大の誇る秀才?お前は天才だと言うつもりか。真の天才こそ、我輩、威光院正慶なのだ。だれからも好かれるこの男をますますこの世から抹消すべきだと思った。

「ところで、君の研究は進んでいるかい。たしか、乳汁(みるく)に含まれる養分についてであったな」

「はい、そうです。ミルクの中に驚愕すべき成分がありまして、それを分離するのに苦労しております」

澄ましてそう言う奴に、我輩は、笑いをこらえるのに苦労した。まだ、我輩が知らぬとでも思っておるのだろう。奴の研究の成果は、奴の助手を買収して、すでに我輩の手にあり、あとは、奴を葬るだけだ。我輩は、いよいよ計画を実行することにした。こやつが、研究していた方法で、葬るのだ。これほど幸せなことはあるまい。

「さて、寺田君の講師就任を祝って、珍しいものをお出しすることにしよう」

我輩は、研究室に置いてある冷蔵箱の厚い扉を開けると、その中から白い塊の入ったビーカーを取り出し、それを寺田の前に差し出した。寺田の前に置いたビーカーの中の白い塊は、こまかく揺れていた。

「こ、これは・・・・」

「アイスクリンを作ろうとしたのだが、うまく固まらなかったのだ。この霍乱棒で、かき混ぜて飲んでくれたまえ」

「は、はい」

寺田は、我輩が言ったように、ガラスで出来た霍乱棒で、ビーカーの中身をかき回した。やがてそれは、白いとろろ汁のようになった。

「乳汁で出来ておるから、滋養に効くぞ。君のように食事も忘れて、研究を行う者には、ちょうどよい飲み物だろう」

「先輩。ありがとうございます」

寺田は、感極まったのか、涙を流し始めた。

「先輩。本当にありがとうございます」

涙を服の袖で拭き、流れる鼻をすすりながら、寺田は、その白き液体を飲んだ。我輩の行為が、よほどうれしかったのか。何度も感謝の言葉を、我輩に言った。哀れな奴よ。これから自らの存在が抹消されるとも知らずに、我輩に感謝するとはのう。我輩は、思わずこういおうとした。

『安心しろ。お前の研究は、我輩が受け継いでやる。この帝大始まって以来。いや、未来迎合現れることのない天才の威光院正慶の名で、世に出してやる』とな。

「先輩。この飲み物はおいしいです。身体の中ですぐに栄養になるようです。もう、身体中が暖かくなって来て、元気が出てきました」

そんなにすぐに効いてくるはずがなかろう。我輩はこやつのこのように調子よく法螺を吹くところが嫌いだった。

「そうか、そうか」

怪しまれては計画が駄目になるので、我輩は、奴の言うことに合わせて、頷いた。

「ふう、おいしかった」

寺田は、それを飲み干すと、無邪気に幸せそうな顔をした。我輩は、そのような寺田を見つめながら、変化が起こるのを待った。

色白の寺田の肌が、さらに白くなってきた。そして、寺田の身体は、膨らんだ風船がしぼんでいくように縮みだした。

「あ、あれ?先輩、なんだか身体がおかしいです。手が小さくなっていく。こ、声も・・・え、え、ええ!!」

寺田の身体は、縮み続けていった。それは、寺田の研究を裏付けるものだった。奴の研究では、乳汁には、育つための養分ばかりではなく、老化を防ぐ働きをする成分もあるというのだ。そして、奴は、その成分の抽出に成功したのだが、制御することは出来なかった。この成分を一度与えられた生物は、若返りを続け、最後には、生殖細胞まで戻ってしまうのだった。そのため、奴は、この研究成果を発表することもなく闇に葬ろうとしていた。もし、この研究を発表すれば、ノーベル賞さえも間違いないだろう。それに、巨万の富と名声もほしいままだ。寺田の身体は、着ていた服の中へと消えて行き、声も甲高く不明瞭になり、聞こえなくなった。

「これで、あいつも消滅したか。さて、手に入れた奴の研究記録でも読むとするか」

さっきまで、寺田が座っていたイスには、まだ、着ていた者の体形をとどめたままの服が残っていた。それは、まるで、透明人間がそこに座っているようだった。我輩は、それを無視して、研究記録を読み出した。それは驚くべきものだった。この成分を使えば、高齢の者を、生まれたての赤ん坊に戻すことも可能なのだ。あとは、その調整法さえわかればよいのだ。我輩は、さらに読み続けた。と、あと数枚というところで、我輩の記録をめくる手が止まった。そして、前の部分を見直したり、残りの数枚を見たりもしていたが、探している部分は何処にもなかった。我輩は、立ち上がると、手に持っていた研究記録を丸め、力任せに床にたたきつけた。

「寺田のやつめ。肝心な部分を何処に隠した」

この研究記録には、肝心の成分抽出法が書かれていなかった。我輩は、この研究記録によって、いくらでも抽出可能と思っていたので、手に入れた成分を、すべて寺田抹消に使ってしまったのだ。この研究記録だけでは、絵に描いた餅でしかなかった。

「このようなことを学会で発表してもただの空想小説の案だと笑われるだけだ。寺田。お前はなんてことを・・・」

我輩が、あまりの怒りから寺田の抜け殻を掴んで、床に叩きつけようとしたその時、抜け殻のはずの服がずしりと重く、中で蠢くものを感じた。そして、赤ん坊の泣き声のようなものがした。我輩は、おそるおそる服の中を見た。そこには、生まれたばかりであろう赤ん坊がいた。その股間には、裂け目があった。女の赤ん坊だ。我輩は、その意外な展開に驚いた。この服の中に消えていったのは寺田のはずだ。奴は男。だが、この赤子は、おんなだった。なぜこのようなことが起こったのだ。戻るはずのない若返りから戻り、さらに婦女子になるとはいったいどういうことだ。

だが、この赤子は、寺田のはずだ。もし、記憶がそのままで、大きくなられては、我輩のことを離されてしまう恐れがある。それと、あの成分の分離方法だ。我輩は、生まれたての赤子を寺田の服で包むと、研究室を出て行った。その時、我輩は、将来の危惧と栄光をその手に抱いていた。

 

 

tiraさん。また来ましたよ。よしおかって人からの投稿」

「今度のはどうだい?」

「それが・・・TSのつもりなのですかねぇ?これ」

「どれどれ?う〜〜ん、なんとも言いがたいなぁ。でも、赤ん坊になるのではねぇ」

「萌えませんよねぇ」

「どうしよう?toshi9さん」

「どうしましょう?」

ふたりは、顔を見合わせながら、ふたりの間のテーブルの上にのせられた原稿を見つめながら唸るだけだった。

「でも、このよしおかという人は、設定を読んでいないのかなぁ。白は、造形変化のゼリージュースなのに・・・」

そのtoshi9のつぶやきに、4階のTSマガジン編集部の窓から差し込む夕日は何も答えてはくれなかった。

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