代行屋(前編)

 作:Howling


都会の中心部にそびえる高層ビル。
夜ともなると、暗く人気もない。

しかし、そのある一室。暗がりの中に灯りが見える。

今の時間は午後9時。終業時間はとうに過ぎているにもかかわらず、一人の女性が残っているのだ。

彼女はディスプレイをにらみながらキーボードを黙々と打ち込んでいる。

その目にはうっすらとくまができ、疲れ切った表情は、20代とは思えないほどやつれていた。

彼女の名前は瀬名伊織(せないおり)。

伊織は、ここ数日の連勤につぐ連勤で、肉体、精神ともに疲弊しきっていた。

『ああ〜もう!夕方になって会議に出す資料の変更とかありえない!!
 会議の準備も出来てないのにあの上司め・・・・・!!!』

苛立ちをキーボードにぶつけるかのように打ち込んでいく。
やつれた表情も相まって、それはまさに鬼気迫るものだった。

そこにすっと、彼女の机にコーヒーが置かれた。

こんな時間に?
思わず見上げると、そこには見知った女性がいた。

「伊織ちゃん、大丈夫?」

コーヒーを置いた主は、先輩社員の友村奈美(ともむら なみ)だった。
肩までのストレートヘアに眼鏡をかけた出で立ちは容姿端麗そのもの。
仕事ぶりは優秀ながら、気さくな性格もあって人望の厚い先輩だった。
伊織自身にとっても、奈美は話がしやすく、憧れの存在だった。

「ああ・・・・大丈夫です・・・・あとはここだけ打ち込めば・・・・・
 って奈美さんどうしたんです?こんな時間に・・・・」

「ええ、ちょっと忘れ物があったからね。
 それと、無茶したらダメよ。」

「はぁ・・・・すいません。せっかく奈美さんに会議資料の準備とか手伝ってもらったのに
 夕方になって変更しろって言われて・・・・」

「そうなの?ここのところ連勤続きみたいだけど、本当に大丈夫なの?」

「ええ・・・・大丈夫です・・・・」

無理してでも「大丈夫」と言わなければならない。
悲しいかな、日本社会の常である。

そんな伊織の様子を見て奈美は少し考えるそぶりを見せながら、
一枚の名刺様の紙を手渡した。

「伊織ちゃん、今の仕事切り上げてここに行って。」

「え?でもまだ・・・・」

「大丈夫よ。ちょっと見せて・・・・・」
奈美はディスプレイを確認する。

「うん、これくらいなら何とかなるわ。
 私に任せて」

突然の奈美からの申し出に伊織は目を丸くする。

「いやいや、そんなことできませんよ奈美さん!」

「伊織ちゃん」

戸惑う伊織を諭すように奈美は冷静さを崩さず言った。

「いい?人間、無理しすぎると擦り切れちゃうわ。
 難しいかもしれないけど、時には自分を休ませてあげなさい。」

有無を言わせない決然とした様子の奈美に、伊織は反論できずただただ頷いた。

「でも、これ・・・・何なんです?」

伊織は手渡された紙を見る。

「SUBSTITUTE AGANCY
 あなたに"時間"を提供します。」

と書かれたもので、住所は会社から10分程度の距離だった。

「今の貴女に必要なものが手に入るわ。会員制だけど、
 私からの紹介って言えばすぐ入れてもらえるわよ。さっ、行ってきなさい。」

奈美は優しげな笑みを浮かべて言った。

「は、はぁ・・・・・」

一瞬、伊織はすぐに帰って休もうかとも思ったが、自分の仕事を肩代わりしてくれた奈美の思いを無碍にもできず、
しぶしぶではあったが、その場所へ向かうことにした。

幸い、帰り道の途中に位置していたのも、そう思い立ったきっかけだった。




「ここ・・・・・よね?」

表通りから若干離れた位置にそれはあった。

渡された紙と看板を見比べる。

何度見返しても、ここが奈美が指定した店
"SUBSTITUTE AGANCY"

だった。

目立たないように地味な外装にしているのが余計に伊織の不安を煽った。

「・・・・・でも、せっかく奈美さんが紹介してくれた場所だし・・・
 ちょっとだけ・・・・」

伊織は、意を決して店に入った。

「いらっしゃいませ。」

白の制服を着た受付の女性が挨拶してきた。
一見して美人と分かる端正な顔つきをした女性だった。


「当店は初めてでしょうか?」

「あ、あの・・・・友村奈美さんから紹介を受けたんですが・・・」

伊織がそう言うと、受付の女性は笑みを浮かべた。

「ああ、友村様のご紹介ですね。当店は会員制ですが、それなら大丈夫です。奥へどうぞ。」

外の地味な外見と比べて、中は清潔感あるたたずまいだったことや、受付が女性であったことなどに伊織は安堵した。

奥で伊織は、一枚の問診票のようなチェックリストを手渡され、そこに思ったままチェックを入れていった。


「それでは、こちらでお待ち下さい。」

書き終わったチェックリストを受付の女性に渡した後、案内された待合室のソファに座り込む伊織。

「はぁ〜・・・・・」

ソファの柔らかさに思わずため息をつく伊織。
彼女自身、こうしたソファに座ってくつろぐこと自体が久しぶりだった。
ついついうっとりした表情を浮かべてしまう・・・・・


「瀬名さん、どうぞ。」

「はっ!?はいっ!!」

声を掛けられ、伊織ははっとして飛び上がった。
いけない・・・・あやうく寝てしまうところだった・・・・・



「失礼します。」

中に入ると、病院の診察室みたいな雰囲気の部屋だった。

そこには、白衣姿の女性が椅子に座っている。

ウェーブのかかったロングの茶髪で、細身ながらも、豊満な胸を持ち合わせた女性の魅力に溢れた美人だった。
白衣の下には紺色のカッターシャツにタイトスカートを着こなしており、脚もまたストッキングに包まれふんわりとした印象を与える。
髪をかきわける仕草一つとっても美しいな、と伊織は思い、その白衣姿の女性に圧倒されていた。

「いらっしゃいませ瀬名さん。私はここの代表をしています緑川千春と申します。」

緑川という女性は笑顔を浮かべ挨拶してきた。

美人だったからとっつきにくい印象を感じていた伊織は内心ほっとしていた。


「さ、こちらに掛けて。」

千春に促されるまま椅子に座る伊織。

「あの・・・・・ここってエステか何かですか?」

「エステ?いいえ違うわよ。奈美ちゃんからは何も聞いてないの?」

奈美さんはここの常連なんだろうか?

「ええ。とりあえずここに行きなさいとだけ・・・・」

千春は先ほどのチェックリストを一通り見た後、伊織をじっと見つめた。

「うん・・・・なるほどね。
 奈美ちゃんが貴女にここを紹介したのも分かるわ。」

「はぁ・・・・」


「瀬名さん。最近休めてないでしょ。
 顔色もよくないし、ひどくやつれているわね。」

千春はまじまじと伊織を見つめ、今の伊織の状態を的確に指摘していた。

「うちはね、そうした女性のためにその原因を肩代わりするところなの。」

「か、肩代わり?」

「そう。仕事とかに追われて自分の時間が持てない!って悩んでる人のために
 その人に代わって仕事とかを行うの。
 その間、依頼人には自由な時間を提供するってわけ。」

「え!?で、でも赤の他人が仕事を代わるっていくらなんでも・・・・」

「ええ。当然貴女は自分の自由な時間を愉しめるわ。
 でも"瀬名伊織"は明日も会社で仕事をしてるのよ。」

伊織はいよいよ千春の言っていることが分からなくなった。
「それって、どうゆう・・・・・」

言いかけたところで、着信音が鳴り響いた。
それは、千春のスマホだった。
「ごめんなさいね。」
と謝りながら、千春はスマホを取り出す。

電話してきた相手を見て、千春は少しだけ笑みを浮かべた。

「はい、もしもし・・・・・・
 ・・・・・・ええ・・・・・・
  ・・・・・ちょうどよかったわ。
   ・・・・それじゃ、お願いするわ・・・・・」

電話先の相手と少し話をした後、千春は電話を切った。

「うふふ、伊織ちゃん。
 言葉で説明するより今から実際に見てもらうと分かりやすいわ。」

千春がそう言うと、後ろのドアが開いた。
「ただいま〜。留守の間お疲れ〜。」

快活な声がしたので伊織は振り向いた。

「え!?えええ!?」

伊織はただただ驚くしかできなかった。

突然現れた女性もまた、千春だったのだ。
私服姿で、手には買い物袋だろうか、紙袋を多数持参している。

千春さんが二人!?伊織は混乱していた。
そっくりなんてもんじゃない。完全にうり二つだった。

「いいところに帰ってきてくれたわね。
「うふふ、そうねぇ。口で説明する手間が省けてよかったわ。」

伊織をそっちのけで愉しそうに話を進める二人の千春。

「あ、あの・・・・・・・」

伊織は遠慮深く二人の話に割って入った。

「ああ、ごめんなさいね。
 改めて、初めまして瀬名伊織さん。私が正真正銘の緑川千春よ。よろしく。」

私服姿の千春が再度自己紹介して伊織に握手を求めた。
フランクなところは先ほどまでの千春と同じようだ。

「よ、よろしくお願いします。」

おずおずと握手を交わす伊織。

「じゃ、じゃあこっちの千春さんは・・・・・・」

「順番に説明するわね。こっちは私の代理人よ。
 どう?そっくりでしょ?」

二人の千春は横並びになって微笑む。
見分けなどつけようがなかった。
「こんな風にね、依頼人を正確に模した"皮"を被ってその人として仕事などを代行するの。
 種明かしをするわ。見せてあげて、弓川君。」



か、皮・・・・・?それに弓川・・・・・君????

千春の言葉にますます翻弄される伊織。

そんな彼女をよそに、白衣姿の千春は伊織に笑みを浮かべながら、自らの背中の首筋あたりに手をあてがった。



べりべりべり・・・・・・・・・・・

「・・・・・・・・・・・・!?」


伊織は言葉を失った。
白衣姿の千春の頭が音を立てて剥がれ、中からは若い男の顔が出てきたのだ。

「え!?嘘っ!?男なの!?」
どういう理屈かは全く分からなかったが、千春が言っていたように、
別人が千春の"皮"とやらを被って千春に成りすましていたのだ。

「初めまして、今回社長の代理をしています弓川です。驚かせてごめんなさい。」


適度に豊満な胸、同姓が見ても魅力的にくびれた腰、そしてヒップ。
そんなナイスバディの千春の体の上に若い男の頭が乗っている、異様な光景がそこにはあった。
首元には、しおれた千春の顔の皮がある。

開いた口がふさがらないほどに唖然とする伊織。

「驚いたでしょう。無理もないわね。
 彼にはこうして私の代理人をしてもらってたの。
 中身が男とは思えなかったでしょ。
 じゃ、弓川君。その恰好じゃなんだから私の姿に戻って。」

「はい、社長。」


そう言われると、弓川という男は千春の皮を被り直した。

「ふうっ、これなら違和感はないわね。どうかしら?」

再度皮を被り直した弓川は女性の口調で話した。
仕草一つとっても中身が男性とは思えない。人格が変わったかのようだった。  

「え、ええ・・・・確かにすごいですけど、でも姿だけじゃ・・・・」

戸惑う伊織に対し本物の千春が笑みを浮かべる。

「安心して。この皮を着ている間だけ、その記憶とかも代理人にすべてインプットされるわ。
 記憶だけじゃなくて、仕草とか嗜好とかもね。だから誰にも疑われることなく代理を務められるわよ。」

本物の千春がそう言うと、弓川がなりすました千春が補足する。

「"私"みたいにね。当然、守秘義務はきっちりしてるから安心して。」

二人の千春が笑顔でそう言う。

伊織は少し考えた。

確かに、代わりをしてくれるなら・・・・・

「あ、あの・・・・お金はいくらになりますか?そんなに払えないですけど・・・・」

「大丈夫。今回奈美ちゃんの紹介で来てくれたのもあるし、初回サービス込みでこのくらいになるわ。」

本物の千春が提示した金額は・・・・・なんと3000円だった。
伊織にとっても払えない金額ではなかった。

「うそ!?この金額でできるんですか・・・・!?」

「ええ。ゆとりを失って疲れた人達からそんなにお金は取らないわよ。
 どうする?代理人依頼してみる?」

伊織はしばし考え込む。
その末に、伊織は決心したように頷いた。

「じゃあ・・・・・・お願いします。」

「そう、じゃあ早速明日からしてみる?」

「え?すぐに出来るんですか?」

「ええ。DNAサンプルを少しもらえたらね。髪の毛1本で十分だわ。」

「じゃあ、お願いします。」

「それじゃ、失礼して。」

本物の千春は、伊織から髪の毛1本を失敬し、弓川がなりすました千春に手渡した。

「それじゃ、明日楽しみにしててね。」
弓川がなりすました千春は伊織に向かってウインクして立ち去った。

「じゃ、今日はもう遅いからお帰りなさいな。
 一度荷物を受け取りに明日の朝代理人が来るからよろしくね。」

「は、はい・・・・」

そう言うと千春は伊織の手を取った。

「あなたはもっと自分の時間を楽しむべきだわ。
 余裕が生まれたら、人生がもっと充実したものになるの。
 今の貴女にはそれが必要よ。大丈夫。私達に任せてね。」

そう言う千春の表情は慈しみに満ちており、真に心配してくれてるんだということは
伊織にも理解できた。

現実離れした出来事が立て続けに起き、一瞬呆然としてしまった伊織だったが、
千春の言うことは信じてもいいのかもしれない。
そう思えた。
現に、奈美も彼女を信頼しているし。

こうして伊織は、受付の女性に3000円を支払い、自宅のアパートへの帰路についた。
家に戻ってから、シャワーを浴びてすぐにベッドに寝転んだ。


『さすがに色々ありすぎたー・・・・
 でも、代理人ってどんな人なんだろう・・・・?
 私の顔をして、中身は男って・・・・・・・・・・・・・・
 いやいや、男とは限らないけど・・・・・・・・
 だとしたら、なんだろう・・・・すごいドキドキする・・・・・』

あれこれ考える内に悶々としながら、伊織は眠りに就いた。



翌朝、午前6時。体の癖で思わず目が覚めた伊織。
とりあえず顔を洗って普段着に着替える。

一度、家に代理人が来るらしいので、さすがに寝起きではまずいだろうと思ったためだ。


ピンポーン


ちょうど一息ついたところで、玄関のインターホンが鳴った。

「はい。」

例の代理人だろうか?おそるおそる玄関を開ける伊織。

「・・・・・・!!!!」

伊織は驚きのあまり後ずさった。
事前に千春から言われていたこととはいえ、
実際に目の前の現実として起きるとやはり信じられなかった。
玄関の外に立っていたのは自分自身だったのだ。
それも、にんまりとした笑みを浮かべて・・・・

服装は、紺色のスーツに白色のブラウス。
シナモンベージュのストッキングに黒のヒール。

どう見ても自分にしか見えなかった。


「うわっ!?ほ、本当に・・・・私??」
「ええそうよ。ここじゃ何だから、中でお話ししてもいいかしら?」

笑みを崩さず声を掛けるもう一人の自分に言われるまま、伊織は彼女?を中へ通した。


テーブルを挟んで座る二人の伊織。私服姿の伊織は戸惑い気味、
一方のスーツ姿の伊織は自信たっぷりに笑みを浮かべたままだ。

「今日一日私が貴女の、"瀬名伊織"の代理を務めるからよろしくね。」

代理人が化けた伊織が笑顔で言う。
彼女?が自分の頬を掴んで引っ張ると、あり得ないほど頬が伸びていった。
本当に中身は別人なんだ・・・・・

自分自身を客観的に見るという非現実を目の当たりにして伊織は緊張していた。

「あ・・・・あの・・・・聞いてもいいですか?」

「ええ、いいわよ。何でも答えてあげる。
 あ、敬語は使わなくていいわ。自分自身に敬語ってのもどうかと思うわよ。」

「あの・・・・・中身ってもしかして・・・・?」

「え?私の中身が興味あるの?」

「ちょっと・・・・・好奇心というか・・・・・」

「うふふ、そうよね。私自身、貴女の立場ならそう思うわ。
 じゃ、見せてあげるわ。」

そう言うと、伊織(代理)は昨日弓川が千春の皮を剥ぐときと同じように、自らの後頭部に手をあてがった。

べりべりべり・・・・・
伊織(代理)の顔が剥がれ、しぼみきった伊織のデスマスクが胸元に垂れかかる。

その中から現れたのは、弓川とは違う20代くらいの男の顔だった。

「ふぅ・・・・・改めて、はじめまして瀬名伊織さん。今日貴女の代理をします
 時津川祐介です。よろしくお願いします。」

祐介は、改めて伊織に一礼した。

「本当に・・・中身は男の人なんだ・・・・・」

伊織は、誰に言うでもなく感想をつぶやいた。
伊織は祐介の姿をまじまじと見つめる。

「あー、瀬名さんごめんなさい。もう戻ってもいいですか?
 さすがにこのままなのは恥ずかしいので・・・・」

祐介が遠慮気味に伊織に言った。
どうやら皮を脱ぐと羞恥心が芽生えるらしい。

「えっ!?あ、ああ、いいですよ。」

「じゃあ・・・・」

控えめな表情のまま、祐介は伊織の顔の皮を被り直した。
驚くほどよく伸びるその皮はあっという間に祐介の顔をびっちりと覆い隠した。
「うっ・・・」
伊織は顔をしかめた。
最初は祐介の顔の形にフィットするようで、彼が被った伊織の顔はひどく歪んでいた。
ごつごつとした骨格に歪む自分の顔。

しかし、一瞬のうちにすっと顔の形が整っていく。
あっという間に伊織の顔の形に変化していった。

伊織(祐介)が目を開けると、彼女(彼?)は笑みを浮かべ、

「まあ、こんなものかしらね。」

瞬時に女言葉に変化していた。
本当に中にあの祐介がいるとは思えないほどの変化だった。

「それじゃ、貴女が仕事で使ってる荷物を貸してもらえないかしら?」

「あ、はい。これを・・・・」

伊織は、普段仕事に使っているバッグなどを渡した。
「仕事用にスマホ分けててこちらとしても本当助かるわ。」

伊織(祐介は)感心していた。

「そうなんですk・・・・そうなの?」

「ええ、代理人といっても個人のスマホを借りるのはちょっと気がひけてたからね。」

「で、仕事の件なんですけど・・・・」

「ええ。山原商事との共同プロジェクトの会議準備でしょう。
 大丈夫よ。ちゃんと理解してるわ。」

伊織は驚いていた。
目の前の代理人とは今日初めて会ったばかりで、仕事内容など一切説明していなかったからだ。

「ふふふ、この皮を被ると当人の記憶までインプットされるの。
 口癖や嗜好とかもね。
 だから誰からも私が貴女の代理人だなんて気づかれるなんてことはないのよ。」

伊織は、昨日千春が言っていたことを思い出していた。
本当に自分の代わりをしてくれるんだ・・・・・

伊織の心に、この代理人に対する好奇心が芽生えていく。

「だから今日は安心して私に任せたらいいわ。」

「す、すごいんですね、その、"皮"ですか・・・?
 体とかどうやって・・・・」

「この皮はね、着た人間の性別や体格に関係なく肉体をその"皮"の人物に変化させるの。
 だからマッチョな男でも華奢な女性に変化できるのよ。すごいでしょ。」

伊織(祐介)は立ちあがって両手を広げてみる。
その体つきはどう見ても男性のそれとは思えない。

完全に女性のプロポーションとなっていた。

さらに、伊織(祐介)はジャケットを脱いでブラウスの袖をめくって伊織の前に差し出した。

「触ってみて。」

言われるままに伊織はもう一人の自分の腕に手を触れる。

「うそ・・・・ホントに人肌みたい・・・・」

伊織はすっかり夢中になってその腕をさすり続けた。

「みたいじゃなくて、人肌そのものよ。完璧でしょ・・・って、
 伊織ちゃん。そろそろ離してもらうと助かるわね・・・」

伊織(祐介)は自分の腕を触るのに夢中な本物の伊織に言った。

「え・・・・あっ!?ご、ごめんなさい・・・」

我に返った伊織は伊織(祐介)の腕から手を離す。
伊織(祐介)も服装を整えなおす。

「それじゃ、そろそろ"瀬名伊織"は出勤させてもらうわ。
だから今日一日、貴女は自分の時間を楽しんでね。それじゃ」

伊織(祐介)は伊織に微笑みかけ、荷物を持って家を出て行った。

伊織は、しばし呆然としていた。
それも無理はない。ここ数日忙殺されかけていた伊織にとって願ってもない
"自由な時間"が突然舞い降りたのだ。

本来なら"ヤッホーイ!"と舞い上がってしまうところだが、
あまりにも唐突だったので、逆に何からしたらいいのか分からなくなってしまった。

「・・・・とりあえず、朝ご飯食べないと・・・・・」





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