『アナタに訊きたいコトが・・・・(完結編)』

原案:菓子鰹
作 :toshi9




 その日オレは、鹿児島の実家の部屋でテレビのスポーツニュースが報じる映像をぼーっと見ていた。

 それは昨夜から何度も繰り返し映し出される光景。

 熱気に包まれた球場。

 観衆と守りにつく選手たちが一体になっているのが、画面を通して伝わってくる。

 9回2死。

 鈍い音を残して打球が舞い上がる。

 一瞬の静寂が球場を包む。

 力なく落ちてくるボールをレフトががっちりキャッチ。

 途端に大歓声がドームに覆われた球場内に響き渡った。

 スタンドに舞う紙吹雪、色とりどりの紙テープ。

 両手を突き上げる投手、マウンドに駆け寄る選手たち。

 その輪の中にツヨシがいた。

 そして真っ先に胴上げされるツヨシ。監督よりも先に。

 前代未聞だった。

「お前が自分の夢に向かってずっとがんばってきた証しだな。
 全くお前ってやつは、プロ野球選手になるって夢だけじゃなくて、こんなどでかい夢まで叶えてしまったんだな。
 おめでとうアヤ。
 いや……お前のほうがツヨシなんだな」

 オレはぽつりぽつりと一人呟いた。

 そんなオレの目の前には褐色の瓶に入ったゼリージュースが置かれている。

 オレが日本中を捜し求めたあのゼリージュース。

 失意のうちに帰郷すると、何故だかわからないが実家に小野さんから新しいゼリージュースが届けられていたのだ。

「元に戻ることをずっと願って生きてきた。
 お前を追いかけて走り続けた。
 いつか元のオレに戻る、それだけを心の拠りどころにして。
 でもオレはもう……」

 そう、一時的にせよ、あの時オレは確かに自分の体に戻れた。

 それなのに戻った自分の体は、最早オレの体ではなかった。

 逞しい元の体は、オレに違和感だけを残した。

 オレの体は、このオレの体はもう……。

 オレは自分の下腹にそっと手をやった。

「そうだ、オレはもうツヨシじゃない、アヤなんだ。
 どうしてそれに気がつかなかったんだ。
 どうして受け入れられなかったんだ。
 アヤとして生きてきたオレの人生、それはアヤのものじゃない。
 全部オレの、このオレ自身の人生なんだ」

 ワンピースの滑らかな生地の上からゆっくりと撫でながら胴上げが続くテレビの画面を見ているうちに、目の中に涙が溜まっていく。

 画面がぼやける。

 目から溢れ落ちた涙が頬を伝い、ぽたりぽたりと手の甲にこぼれ落ちる。

 わかっていたはずなのに、納得したはずなのに、それでも俺の頬からはぽたぽたと涙が落ち続けていた。







 その時、玄関のチャイムが鳴った。

「アヤ〜、今手が離せないの、出てくれない?」

 台所からアヤの、いやオレの母さんの声。

「は〜い」

 涙を拭って玄関の扉を開ける。

「どなたです……え!?」

 玄関の前には札幌にいるはずのツヨシが立っていた。花束を腕いっぱいに抱えて。

 出てきたのがオレだと見るや、ツヨシは満面の笑みを浮かべた。

 白い歯がきらりとこぼれる。

「元気ハツラツぅ?」

 そう言うと、ツヨシはパチリとウィンクした。

 ふっ

 その言葉を聞いたとき オレの中からつかえていた何かがすーっと抜けていった。

 オレはぐっと親指を突き出して答えた。

 あの時の言葉を、今度はオレが。 

「オフ・コース!」

 途端に笑い出すツヨシ。

「待たせたな」

「お前、どうしてここに……札幌にいたんじゃ……」

「今朝の鹿児島便で飛んできた。
 もう札幌に思い残すことは何もないんだ。
 ツヨシにもらったこの体で俺は俺の夢を叶えることができた。
 それも最高の形で。だから……」

 そこまで言うと、ツヨシは抱えた花束をオレに手渡した。

「だから昨日で引退した」

「引退? だってお前、まだアジアシリーズが……」

「いいんだもう。それに今度は俺がお前の夢を叶える番だ」

「オレの夢……」

「さあ、訊かせてくれ、お前の夢を」

「オレの夢……オレの夢は……」

 ぐっと言葉を飲み込む。

「夢は?」

「オレの夢、それは……」

「それは?」

「お前と結婚すること」

「そうか、俺と結婚か、……ええ!?」

「もうお前と離れたくない。ずっと一緒にいたいんだ」

「でもお前、ずっと元に戻るって……そうか、お互い元の体に戻って結婚しようってことか」

 オレは頭を横に振った。

「違う、このままでいいんだ、このままで。
 だってオレは、いいえ、アタシはもうアヤなんだから。
 走り続けて、ツヨシを追い続けてそれがよくわかったんだ。
 一緒にいたい。もう離れたくないんだ。
 それに……」

 目から再びぽろりと涙がこぼれる。

 花びらに一つ、また一つ。

 そんなアタシをツヨシは力強く抱きしめた。

 手渡された花束がばらばらと足元にこぼれ落ちる。

 アタシもツヨシをぎゅっと抱きしめていた。

 散らばった花の中で、アタシたちは抱き合っていた。





 突然ピクッと下腹の奥が動く。

「あんっ!」

「どうした」

「そんなに強く抱きしめたら……あかちゃんが」

「ごめんごめん……え? あ、あかちゃんだって!?」

「あの時、できちゃったみたいなんだ。宮崎でのオールスターゲームの夜の」

 夏のオールスターゲームの夜、アタシたちは再会していた。

 大淀川河畔のホテルで一夜を過ごした。

 芸能界を引退して帰郷した後、アタシはもう一度ツヨシと話がしたくなった。

 もう一度自分の気持ちを確かめたかった。

 鞄に小野さんからもらったゼリージュースを忍ばせて。

 それなのにこいつときたら男の欲望全開にしやがって……。

「あの時か。でも俺、そんなつもりじゃなかったんだが」

「なに言ってるんだ、痛かったんだぞ。それもつけるもの付けないで突きやがって、そんなつもりじゃないも何もないだろう」

「うーん、まあいいんじゃないの?」

「まあいいんじゃないのって……」

 あまりに能天気なその言葉にアタシははぁ〜っとため息をつくと、顔を上げてツヨシの目をじっと見つめた。

「アナタに訊きたいコトがあるの!」

「訊きたいコト?」

「アタシたちを幸せにしてくれるの? くれないの?」

 ツヨシもアタシをじっと見つめ返す。今度は真剣な顔で。

「お前たちを幸せにするよ」

 きっぱりと宣言すると、ツヨシは膨らみが少し目立ち始めていた俺の下腹に手を伸ばしてそっと撫でた。

「うん……」

 止まっていた涙がまたこみ上げてくる。


(さよならオレ、よろしくオレ)


 ツヨシの胸にもたれかかるアタシを、ツヨシはもう一方の手でがっちりと抱きとめた。




「なあ」

「え?」

「男かな、女かな」

「どっちでもいいよ、元気に生まれてきてくれれば」

 下腹を優しく撫でる彼の手の上から、アタシはそっと自分の手を重ねた。

「なあ、アヤ」

「なに?」

「生まれたらまたしよーな」



「……ばか」





(FIN)




                                          2006年10月30日脱稿


後書き

 今年の日本シリーズも先日終わりました。マリーンズの優勝から1年。まったくあっという間ですが、今年はファイターズの優勝で幕を閉じましたね。
 ファイターズ優勝ほんとにおめでとうございます!
 さてこの作品は、シリーズの最後の試合が終わって胴上げや引退会見の様子を何度も見ているうちに、「アナタに訊きたいコトが・・・」をちゃんと完結しなければと思い立ちまして、完結編として書いてみたものです。
 ということで、ツヨシの第二の人生に幸せあれ。


*この作品はフィクションです。

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