日曜日6月7日 でえとっ(その2)


 どこの街でもそれ風の学生・生徒が集まる喫茶店や店というのが必ずある。大抵そういう場所は風紀の悪い繁華街や風俗街にあるものだ。凛太郎が住んでいるこの街にもやはりそういう場所があった。
 不味そうなコーヒーを前に三人の男の影が頭を付き合わせて何事か企んでいた。
「おっこれなんかソソルじゃねぇか。あいつコレ見せたらびっくりすんだろ」
 黄色い頭にピアスの男が、傍に座っている二人に話し掛ける。
「だよな。苦労してっからなぁ。でもよ大丈夫かよ。さすがに校内はやばくね?」
 細身で茶髪の男は少しビビリながら尋ねてきた。
「バカかお前。だからアレ使って気持ち良くしちまうんだよ。そんで写真撮っちまえば後からいくらでもヤレんだぞ。それによプリントして売り出すとかよ、ネタで脅してウリさせちまえばいいんだよ。気持ちいいし金にもなんだろが」
「ああ、そうか。でもよ、アレって効きが遅くね?」
「お前って意外と心配性だな。へーきだっつってんだろうがっ。とにかく突っ込んでそれ撮っちまえばいいんだよ。それともヤリたくねーのかよ。他呼んでもいいんだぞっ」
 本来ブルドッグは愛嬌がある顔つきをしている。頬が垂れて似たような顔つきだけれど、黄色頭は一つも愛嬌の無い下品な顔で茶髪を恫喝してくる。茶髪は少し怯みながらも、答えた。
「ヤリたくねーって言ってねーだろ。で、準備どうすんだよ。よぉ、あいつらの様子どうなんだよ?」
「あいつらもう、普通のカップルみたいになってますよ。周りなんて何にも気にしてないっすよ。イチャつきやがって……」
 茶髪がもう一人長身で端正な顔つきの男に語りかけると、彼は二人よりも年下なのか少し言葉を選びながら話始めた。そしていかにもその「あいつら」が気に入らない風に吐き捨てるようにいう。
「へへっ。じゃぁよ、例のトコは俺が根回しして誰もこねーように、他が使わねーように言っとくからよ。お前はあいつらに言っとけよ。いつも通りに使うから音出しとけってな。なにするかなんて説明すんじゃねーぞ。ビビッて来なくなっちまうからな。解るだろ?」
「ああ、わかった。任せとけ」
 いやらしい笑みを満面に湛え、黄色頭が茶髪に命令する。茶髪も慣れた風に答える。と、黄色頭が、長身の男に向き直った。
「てめーはあの女と同じクラスだから参加させてやんだ。その辺弁えろよ」
 下からねめつけるように凄みを利かせる。長身の男はグビッと唾を飲み込んだ。
「は、はいっ。わかってますよ……。で、俺はどうしたら……」
 黄色頭は自分の睨みが利いたことに気を良くしたのか、鼻で笑いながら身を逸らした。
「いいか、あいつはいつも図書館行ってるだろ? だからな、怪我したとか何とか言って引っ張って来い。てめーの部活バスケだろうが。道場ちらっと見たら倒れてとか言やーいいんだよ。あとな、絶対目立つなよ。大原なんかに見つかんじゃねーぞっ。せっかくお膳立てして出来ねぇんじゃ収まりつかねぇからなっ!」
「か、必ず引っ張ってきます」
 身体をブルっと震わせながら、長身の男が頷く。それを満足そうに黄色頭が見ていた。
「んで、いつやんだ?」
「まぁ待てって。もうちっと写真撮ってからだな。顔が見えねーのが多いからな。ばっちり二人の顔が写ってるの撮ってからだ。二人でヤッテるとこ撮ったらその週にやんぞ」
 ギロリと他の二人を見渡す。その狂気を湛えた眼光に二人とも魅入られていく。
「りょーかい。撮れ次第だな。良いの撮ってきて直ぐヤッてやる。俺今日から溜めとくかー」
「……あいつに……必ず思い知らせてやる……俺を振った事、後悔させてやるっ……」
 それぞれが勝手な思いで、その計画に乗り気になっていた。勿論黄色頭も。
「へへぇ……。いい身体してらぁ。約束どおり必ず犯してやっからな、待ってろよ」
 歯軋りするように顎に力を入れ、手に持った写真を情欲に狂った目で見つめていた。頭の中では白い華奢な身体を犯しぬく場面が展開している。犯せ犯せと誰かに急かされるように。
 下着姿の美少女の写真の上に、ミシマの涎がタラリと落ちた。

 * * * * * * * * *

 劇場を出てシネコンプレックスを後にした時には、時刻は十二時四十分を過ぎていた。修一の予定では一時半に昼食を採る事になっている。一時間近く何をするのか、予定表には書いていない。凛太郎と修一はモールの通路に設置されているベンチに腰掛けていた。凛太郎が修一の右側に、きっちり膝を揃えて座る。修一は前屈みになるように、肘を膝につけ顎を手で支えている。
「ご飯どうする? ここにはイタ飯かバーガーかうどんてあるけど」
 ディバッグから予定表を取り出し、ひらひらさせながら修一に尋ねてみる。多分大まかな時間設定だったから明確な答えは返ってこないとは思ったけれど。
「リンタの好きなとこでいいぜ。雨降ってるしモールから出るのもな。夜はちょっといいと……、」
(あ、やべ、言っちまった……)
 あからさまに「しまった」という表情を見せる修一に、凛太郎は取り敢えず聞いていない振りをした。
「じゃあさ、うどんにしようよ。讃岐のぶっかけうどん。あれっていろいろトッピング選べるからいいんだよね」
(……どこか違うとこ行くのかな? ふうん、中々がんばってるじゃんか)
「あ? おぅ、うどん美味いよな。大盛りも出来んだぜ、あそこ。リンタ大盛り喰うか? 俺は大盛りだな」
(聞いてなかったんか? 良かったぁ)
 凛太郎に先を読まれてないと少し安心したのか、修一が饒舌になっていた。その様子に凛太郎は少しおかしくなってしまう。色々と変な事はするけれど、修一が一生懸命デートを楽しませようとしてくれているのは凛太郎も良く解っている。ただその一生懸命さ、力が入っていると言うか、可愛らしいと言うかとにかくおかしい。
「ぷぷぷっ、ダメダメ。僕には大盛りは無理だってば。それよりさ」
「なんだよ」
 凛太郎が何について笑っているのか解らない修一は、自分も少し笑みを浮かべながら尋ねていた。
「普通のにして、僕の少しあげるよ。その方がいいでしょ。普通盛りでもちょっと多いからね」
 修一は凛太郎の提案にあっさり乗っかった。普通はそこで「いや、いいよ」くらいは言うのだが。
「そうか? じゃあ、ちょっとクレよな。あ、トッピングたくさん付けようぜ。二人で違うのにすれば二倍楽しめるだろ?」
「ん、わかった。じゃ、行こうっか」

 * * * * * * * * *

 モールのレストラン街は一階と二階にある。モールの中では比較的高額な部類に入るイタリアンや焼肉、回転寿司や天婦羅などは一階にあり、安価な部類に入るハンバーガーショップやうどん、ドーナツ、ラーメンなどは二階にあった。シネコンプレックスも二階にある為、アクセスは非常に良い。
 讃岐のぶっかけうどんは、勿論二階にある。最初に基本のうどんを注文するとすぐさまどんぶりに入ったぶっかけうどんが出される。その後トレイに乗せて、各々が欲しいトッピングを乗せていく。会計は最後だった。
 凛太郎も修一も普通盛りのぶっかけうどん。食べてみると見た目以上にボリュームがある。凛太郎はトッピングにサツマイモの天婦羅と玉ねぎの天婦羅。修一はコロッケ、えびのかき揚、おにぎり。凛太郎はまじまじとその分量を見てしまう。運動しているとは言いながら、これだけ全部食べられるのは凄い。
 カフェのように丸いテーブルが並ぶ吹き抜けの二階。若いカップルが多く場所を陣取っている。凛太郎達もテーブルをひとつ確保した。
「……修ちゃん、僕の分て食べられるの? 後でおなか痛くなるんじゃない?」
 おにぎりを入れた分量たるや、大盛りの比ではない。食事は楽しく採るものだけれど、これだけあると、ある意味拷問に近い気がしてしまう。
「何言ってんだよ。俺の分のトッピングは半分リンタも喰うだろ。リンタのトッピングの半分は俺が喰うだろ? で、うどんも少し貰うだろ? 大した量じゃねぇよ。へーきへーき」
 大きく口を開けて笑いながらコロッケ、かき揚、器に盛られたおにぎりを半分にしていく。ぽいぽいとそれを凛太郎のどんぶりに入れると、サツマイモと玉ねぎの天婦羅も半分にして持って行ってしまった。
「うどんはどうすんのさ? とっていかないの?」
「リンタが喰える量だけ食べればいいって。残ったら俺が喰うから。どうせ残すだろ?」
「たぶんね」
 パキッと割り箸を割って、凛太郎はキチンと「いただきます」と言ってから食べ始めた。修一はいただきますも早々に既に食べ始めている。その食べっぷりを見ていると、凛太郎も思わずこの位食べられるんじゃないかと思えてしまえる程だ。
 当の本人は食欲もさる事ながら、もうひとつの欲求の方に気を取られ始めていた。
(口って結構エロいんだな……)
 修一は凜太郎が麺をちゅるると吸い込むのを見ながら、その姿から性的な興奮が沸き上がって来るのを自覚していた。フクヨカだけれど小さな可愛らしい唇をすぼめ吸い上げる。その姿がいつか見た夢を思い起こさせる。自分の肉塊をその可憐な唇に突き込み、今麺を頬張っている口内へ白い粘液を吐き出した夢。思わずそれを思いだしじっとりと凜太郎の唇を眺めていた。
「どうしたの? はねてる?」
 口元を見られていたせいか、仕切に唇を舐める。その舌が唇をヌルリと舐め回す動作もまた、修一の肉槍を大きく固くする要因となっていた。人の目さえ気にならなければ舐りついてしまいたい衝動に駆られた。
「いやっ、美味そうだなって。はっ?!」
 思わず本音を漏らす修一に対して、凛太郎はその意味を純粋に食べ物の意味で捉えていた。
「自分だって同じの食べてるじゃんか。変なの」
 へへっと妙な笑いを残して、修一は再びがつがつと食べ始めた。今度は食欲のみに集中して。
 凛太郎がようやく半分ちょっとを食べた時には、既に修一はどんぶりを空にしてお茶を飲んでいた。時折、凛太郎のどんぶりの方を見ながら。
(なんかちらちら見られると食べ辛いな。もっと味わって食べればいいのに)
 もう少し食べようかな、と思っていたけれど、こう修一がモノ欲しそうに見つめてくると食べるに食べられない。
(ああっ、もうっしょうがないなあ)
 仕方なく凛太郎が箸を置き、どんぶりを修一の前にずいっと差し出した。
「はい。僕もうおなか一杯だから。あげる」
「お、もういいのか。じゃあ、食べちゃうぞ」
「どうぞっ」
 美味い美味いと言いながら修一ががつがつ食べ始めると、それをじっと見ながら凛太郎が言った。
「後でトイレの住人になっても知らないよ」
「ない、ない。俺に限ってあり得ねぇって」
 食事も一段落して、モール内を見てまわろうという事になった。そして凛太郎が最初に選んだのは。
「結構ここの本屋さんて大きいんだよ。色々あるから。行ってみよ」
 凛太郎とは切っても切れない本。デート先が図書館でないだけましか、と修一も思う。なんと言っても、二人でいる事が楽しいのだから。
 地元の本屋と違い、売り場面積も広いモールの書店では、売れ筋の本からマニアックな本まで多種多様に揃っていた。恐らく店長の趣味だろうけれど、オカルトもかなりの冊数を揃えている。
 オカルトコーナーに差し掛かると、凛太郎はちょっと立ち止まり本の背表紙を見ていた。本の方へ一瞬行きかけたが、直ぐに振り返り修一を見上げる。
「あ、あっちにペットの本あるよ。あれ見ようよ」
 修一は目の前を通り過ぎる凛太郎を少し遠慮がちに見ていた。今の行動は男に戻らないという意味だったのだろうか。だからオカルト的な本を見なかったのだろうか。男の自分と付き合っている、という事が凛太郎の性を捻じ曲げてしまったのではないだろうか。そう思ってしまった。でも、そんな事は直接聞けない。藪を突付いて蛇が出てきてしまったら……永遠に今の凛太郎には会えなくなってしまう。
(我ながら何て自分勝手なんだろな……)
 自嘲しながら、凛太郎の後を追っていった。

 * * * * * * * * *

 ペットの写真集を見た事で、本物を見に行こうと言う話になった。このショッピングモールではペットショップまで併設されている。狭いケージに入れられ、代わる代わるじろじろと見られて品定めされるペットショップは、実際にはあまりペットの為には良い環境とは言えない。しかし人とペットが実際に触れ合い相性を見る場としては、あってしかるべきなのかも知れない。
 透明なプラスチック製のケージからは、小型犬の子犬がたくさん並べられている。最近の流行でロングダックスやロングチワワトイプードルが多くいる。
「ねぇー、可愛いよね。ほらっ、おなか出して寝てるよこいつ」
 凛太郎は心底嬉しそうな顔をして、その大きな目をきらきらと輝かして子犬を見ている。修一がその様子を見ながら聞いてくる。
「お前ってほんとに犬好きな」
「そりゃもうね。知識だけならたくさんあるもんねっ。アトピーに良くないって言われたから我慢してたけど。ほらほらっ修ちゃん、こっち見てきゅうきゅう言ってるよ。あー、ジャックラッセルテリアだっ。誰に貰われていくのかな」
 基本的にアトピーだと犬も猫も鳥も良くないとされている。ご多分に漏れず凛太郎もそう言われていた。しかし女性化してからは違う。これまでモールに来ても敬遠していたペットショップに来たのはその為だった。
「前にさ、チョーカー貰ったじゃない? その時想像してたんだよね。何かこう、芝生の公園でワンコと遊んでるシーンてやつ」
 本当はまだ男の意識が強かった時にもかかわらず、何故だか自分がスカートを穿いていた事は内緒にした。今スカートを穿いているのだから関係ないと言えばそうなのだろうけれど。
「……こうなって一番良かった点て、ワンコ飼えるかもって事かなぁ?」
 ちらっと修一を意味ありげに見ながら、再びケージの中の犬を見始める凛太郎に、修一も腰を屈めて凛太郎の顔に近づけた。
「俺ってお前より順位低いんだってよ」
 まるでにらめっこをするように、ボストンテリアのケージに向かって顔を顰める修一に、凛太郎はその横でくすくすと笑っていた。

 * * * * * * * * *

 ペットショップを見終わり、名前は通っているけれど実は名前のないブランドとして有名になっている店の、健康食品コーナーを見ている時、その異変は起こった。
「…………」
「健食もこの辺のは一通り試したんだよ。? 修ちゃん?」
 健康オタク的な発言をしながら店舗を見ていた凛太郎が振り返ると、修一がいない。修一の歩くスピードが目に見えて落ちていき、次第に凛太郎と距離が出ていた。離れていても顔色がちょっと悪いのがわかる。心配になって急いで近寄ると、修一はだらだらと脂汗を流していた。
「大丈夫? 気持ち悪い? ベンチで座ろう」
 背中に手をやりながら店舗から修一を連れ出す。凛太郎がベンチまで連れてきたけれど、修一は少し背中を曲げて立っていた。
「……悪ぃ。ちっと…………行って来る」
 どこへ? と聞こうとしたとき、修一は腹と尻を押さえながら、始めゆっくりと、そして火が着いたように走っていった。凛太郎はちょっとあっけに取られてしまう。
(あぁ、そういう事ね。だから言ったのに。調子に乗って食べ過ぎだよ)
 日曜で人も多いから中々空きが無い。朝から緊張したり、興奮したりとはしゃぎ過ぎていたのか、ちょっと疲れてしまった。せっかく座ったベンチだからちょっと休憩する事にした。別に子どもじゃないのだからトイレの前で修一を待っている必要もないだろう。
 ディバッグから携帯を取り出して時計を見てみる。時刻は二時半過ぎ。他にどこか見たいところあるかなと考えてみるが、それ程選択肢が残っていない。凛太郎も修一もファッションには疎い方だから、適当な店に入って服を見るなんて事も無いだろう。自分のメインである本とワンコは見終わってしまっている。後は修一が見たい所ぐらいしかない。
(う〜ん、やっぱり遊園地って手も……。あ、今日は雨だし結局無理か……。そうだ、ゲーセンがあったけ)
 あまり外出する方じゃない凛太郎でも、ゲームセンターは興味があった。ゲーマーではないけれど、幾つかのゲームはやった事がある。大体がRPGかアドベンチャーだった。シューティングは苦手だが、車のゲームは好きだった。
 どこに行こうかと考えていると。腰掛けてる凛太郎の前に男物の靴が二足。凛太郎の周囲を暗くしている。はっとして、凛太郎が顔を上げると、凛太郎より少し年上かと思われる男二人が凛太郎の事をじっと見詰めていた。
「ねぇ、さっきから見てるたけど、一人だよね。俺たちあぶれちゃっててさ。車でドライブ行こう」
 凛太郎の都合など一言も聞かず、決め付けて連れて行こうとする。高校生位と思っていたけれど、車で、という所を見ると少なくとも三つは上だ。見るからに軽そうなオツムの持ち主たちは、凛太郎の目から見てもとてもそうは思えなかったけれど。
「……いえ、あの、一人じゃないです。連れをまってるので。車は酔うから乗りません」
 バカそう、と思わず言ってしまいそうになるので、なるべく顔を見ないように俯いて言った。しかし彼らはしつこかった。強引に凛太郎の手を引き連れて行こうとする。
「あ、ちょっ」
「いいからいいから。俺運転めっちゃ上手いしぃ。第一、可愛いコ一人で座ってて携帯見ながらきょろきょろしてたら、振られたくらい俺らも解るって。任せといてよ」
 誰が誰に何を任せると言うだろう。強引に立たされてしまった凛太郎は、掴まれた腕を大きく振る事で男達の腕を振り切った。ムッとしながら凛太郎の方を見る。
「連れはちゃんといますっ。大体僕、男ですからっ。男から誘って貰わなくてもいいんで」
「は? 男? なに、この女。じゃあさ、あっち行って男って証拠見せてよ。そしたら男同士で遊べばいいじゃん? な」
「そうそう。女だとめんどいけど、男ならなぁ」
 にやにやと笑いながら凛太郎に詰め寄ってくる。正直、言ってよかったのか判断に苦しむ所だけれど、取り敢えず修一が戻ってくるまでの時間を稼ぎたかった。
(証拠って? もう修ちゃん、早く来てよ)
 しきりに男達の後ろをちらちらと見、修一の姿が見えないかと確認するが人込みが邪魔してよく見えない。見ている限りではまだのようだった。
「だあめだって、そんな演技じゃ騙されないよ、俺達。ほら寂しいもの同士で宜しくやろうや」
「! なにすんですかっ」
 今度は示し合わせたように、凛太郎の両脇から二人がかりで腕を取ってしまう。こうなると凛太郎も身動きが取れなくなってしまった。
「放してください。大声だしますよ」
「まぁまぁまぁ、俺達いいもの持ってんだ。これこれ、じゃじゃーん」
 胡散臭いマジシャンのように自分で声を出しながらポケットから何かを取り出し、凛太郎の目の前に差し出す。何か刃物のような物を出されるのかと一瞬緊張した凛太郎だったが、そこにあったのはデジタルビデオカメラだった。
「………………」
「ビデオ撮影してますって言や、結構何でも出来ちゃうんだよ。例えばこんなトコで、こうしても……」
 ビデオ画面を見ながら、もう一方の男に目配せをする。と、にやりとしながら徐に凛太郎に手を伸ばしてきた。
「あっ、やっ触るなっ!」
 むにゅっと凛太郎の胸を捕まえて、そのまま撫で回してくる。凛太郎はその嫌悪感に真っ赤に顔を染め、大声で叫んだ。誰か直ぐにでも止めてくれるだろうと期待して。しかし周りの反応は、意外にも冷ややかなものだった。
「お、AV撮影?」
「最近だとプライベートでもああいうの撮るらしいぜ」
「やぁねぇ、こんなトコで……。恥ずかしくないのかしら」
「え? 痴漢? あんなに堂々とやんないだろ。知り合いだって」
「……ああいうのにはかかわりあっちゃだめだよ……」
 明らかに嫌がっている凛太郎が目に映っているにも係らず、誰一人助けようとしない。
「え? な、なんで?」
 怒りより先に疑問が生じてしまう。直接的に助けて欲しいと言っていないからなのだろうか。
「言ったじゃない。ビデオ撮影って結構誰も構わないんだって。特に、なぁ? 俺達みたいのがやってれば」
 ショックだった。世間知らずと言われればそれまでだけれど、こんなにも皆無関心だったなんて。ただのちょっと強引なナンパだけなら助けに入るような人も滅多にいないだろう。でも両手を拘束されたような状態で、身体にいたずらされているのに。もしかしたら自分が男から女の子に変わったから、それが解ってしまって……そんな思いまで心に浮かんでくる。
 しかしそれ以前に、女の子の身体を持っているから、狙われると思った。男だったらこんな事になる筈が無い。不意にそんな自分が情けなく、嫌になってしまう。
「う……」
「お、どうした? もう車乗せちまおうや」
「……こんなの、やだ……」
「あ〜あ〜、なんだよ、萎えるなぁ」
 突然ぼろぼろと泣き崩れてしまった凛太郎に、流石にバツが悪そうに顔を見合わせる二人。凛太郎を囲みつつ、三人でベンチで座ってしまう。
「お前、こんなお子ちゃまに声かけんなよ。あんたもさぁ、いい加減泣き止もうや」
「いやだってな、可愛いコじゃんか。……男なんだろ? 男はこんな事でなかねーって。ほら、泣き止んでくれよ……」
 意外といい人っぽい二人はおろおろしながら凛太郎の方を慰めにかかっていた。ただ「男云々」の一言は余計だった。
 凛太郎にしてみれば、女の子になったのが悪いと思っている。そしてそんな状況の自分が嫌になって泣いてしまった。男の自分を懐かしく感じ、女の子は嫌だと感じていたのだ。そこに「男はこんな事で泣かない」と言われてしまった。という事は自分はやっぱり女の子だから泣いている。そう思えてならないのだ。
「……僕、違う、女の子じゃないっ」
 凛太郎の両脇で苦笑いしながら疲れた表情で顔を見合わせる二人。さらさらの髪に、透き通るような肌。手の指は細く爪も綺麗なピンク色だ。白いスカートから伸びる脚はまっすぐで綺麗だ。どこをどう見ても可愛い女の子にしか見えない。のだが、本人は男だと言い張るのだから始末に負えない。
「うん、そうだな、男だな」
「俺もそう思う、男にしか見えないよ」
 酔っ払いを諭すようにイエスマンになりきる二人。そろそろ凛太郎の状態にうんざりし始め、姿を消すタイミングを計り出していた。
「ちょっとあんたら。彼女に何したんだ?!」
 低く落ち着いた声だったけれど、怒気を含んでいる事は明々白々だった。三人が座るベンチの前で、修一が仁王立ちしている。その大柄な体躯と怒りの形相に、ナンパ二人組みは冷や汗が滲んでくる。しかし表面上はびびった風には見せなかった。体面は大事だ。
「い、いや、俺達は泣いてるコがいたから、なぁ?」
「そうそう。どうしんかなって思ったんだ。そうか彼氏いなくて寂しかったんだな。いや、これで良かった。ははは……。そんじゃ」
「……なんかされたのか?」
 二人を尻目に修一は凛太郎の頭に手を置いて、優しく尋ねる。ぐすぐすと鼻をすすりながら重い口を開いた。
「…………ナンパ、と、……胸……触られた……」
「! お前らっ!」
 その場を取り繕いすばやく逃げに入ろうとしていた二人だったが、凛太郎の話に反応した修一を見るなり猛ダッシュをかましていた。
「大丈夫か?」
 先ほど凛太郎がいたベンチとはまた違う場所に移動し、凛太郎をベンチに座らせ優しく尋ねてくる。ここまで移動してくる間もぐすぐすとしゃくり上げながらだった。泣いている女の子の隣にいる男の子は結構目立つ。それが休日で人がひしめくモールの中なら尚更だ。さぞかし修一は嫌な思いをしただろう、自分のせいでまた迷惑をかけていると、そんな事を思うと、益々涙が止まらなかった。
「……僕っ、おんなのこっだけど、男だよっ。なんでっなんでっ女の子、やな事ばっかりだよぉ……」
 しゃくり上げながら話す言葉は不明瞭だった。実際、凛太郎が言いたい本当の所は、実は凛太郎にもよく解ってなかった。修一が好きだと言っても、自分の中で整理出来ない事が次から次へと起こって、その度に中途半端な自分を思い知らされてしまう。男ではない、かと言って女の子にはなりきれない、自分が何者なのか、凛太郎を性別で区分する事は、凛太郎本人にも無理だった。
 こんな風に、普通の人には些細な事でいつも情緒不安定では、その内修一も呆れてしまうのではないだろうか。そしてそれが原因で離れていってしまうのではないだろうか。凛太郎は不意にそれが怖くなった。
「修ちゃっ、修ちゃんはっ?」
 すがるように、真っ直ぐ涙目を向けて問う凛太郎に、その質問の意図は解らないまでも、居住まいを正して自らも真っ直ぐ凛太郎と瞳を合わせ息を吸い込んでいた。
「大丈夫だって。俺はお前が好きだから。ちゃんと傍にいるから。さっきは緊急事態でいなかったけどな。ごめんな」
 その答えが凛太郎を落ち着かせるものかどうか、それは解らなかったけれど、修一は素直に自分の心境を吐露していた。凛太郎も意味合いは違えど、修一がまだ離れていかない事にほっと胸を撫で下ろし、そしてちょっと心が落ち着いてきた。
「……ごめん、なさい。僕最近いつも泣いてる気がする……。一緒にいて楽しくないね………………。うんっ。ごめん、もう大丈夫」
 ハンカチでごしごしと目と鼻を拭って、すっきりとした表情を見せる。修一にはなんとなく無理をしているように見えたけれど、それを言う事はしなかった。凛太郎の言葉を額面通りに受け取った。
「おしっ、元気出たんだな。じゃ、お茶しようぜ」
 トイレから帰ってくる途中で貰ってきたモールのパンフレットを広げ、どこがいいとばかり凛太郎に指し示していく。凛太郎はじっと修一の顔を驚いたように見つめてしまった。
「修ちゃん、まだ食べるの? またお腹痛くなるよ。そしたらまた……」
 いなくなっちゃうの? と不安げな表情をして修一を見つめる。その凛太郎の表情が修一の胸を締め付ける。愛おしさと傍にいなかった事で悲しませてしまった後悔。
「大丈夫だって。あったかいお茶飲むだけ。おやつは食べないし、ケーキも遠慮するから。リンタも水分補給した方がいいんだぜ? な」
 修一の明るい表情は、凛太郎の精神を安定させる作用があるようだった。それは凛太郎にもよく解っている。最近は修一の一挙手一投足が気になって、修一が笑えばほっとするし、難しい顔をすれば心配になるし、落ち込んでいるようなら凛太郎も一緒に落ち込んでしまっている。
「うん、わかった。……じゃあ、ここ行こうよ」
 凛太郎が指し示した場所は、ここ数年で全国に名を轟かせたアメリカンなカフェ。外資系の企業がスポンサーとなって、人気が高い。グリーンの丸い看板が目印だ。ただ最近は似たような音感の名称や、似たような看板が多くなっている。凛太郎が住んでいるこの街でも、田舎とは言いながら数店舗が開店し人気を博している。
「お、いいね。一度行って見たかったしな。じゃ行こうぜ」
 そのまま先に立って歩いていこうとする修一に、凛太郎が慌てて声を掛けた。
「あ、ちょっ待って修ちゃん。あの、手を……」
 はぐれないように、もう一人にならないように。手を繋いでいればそうならない。凛太郎は恥ずかしげに、でも修一に向かってしっかりと右手を差し出していた。ちょっと意外に思っていたのか、あっけに取られた修一だったが、直ぐに凛太郎の手を握りこの世の春のように、締りの無い顔でカフェへと急いでいった。

 * * * * * * * * *

 クリーミーな泡立ちのカフェラテを前に、修一は凛太郎の方を見ていた。自分と比べてずっと小さく華奢な手。その両手を使ってカップを掴んでいる。その手とさっきまで繋いでいたのだ。中学から一緒にいたけれど、男同士だったのだからデートなんてした事は無い。ましてや手を繋ぐなんて。凛太郎が女性化してから、身体からの関係が早かった為か、手を繋ぐという行為は逆に新鮮な感じだった。
 修一は改めて思ってしまう。この可憐で華奢な女の子を守るのは自分の役目なんだと。自分だけが許されたものなのだと。ただ、抑えきれない欲求も勿論あった。いかに自分の理性と欲望に折り合いを付けるか、それが問題だと感じていた。
 凛太郎はコーヒーでなく甘いココアを飲んでいるのが恥ずかしいのか、黙ってゆっくり飲んでいる。ちらちらと修一を見る目がとても可愛くて、思わず意地悪な質問をしそうになってしまう。戸惑う顔もまた可愛いから。
 しかしそんな事をする必要など無かった。凛太郎の色白な顔はいつでも修一の方を見ているのだ。その「女の子の表情」は他者に向けられる事はないのだから。
「な、リンタ」
 クイッとラテを飲み干しながら、テーブルに肘を付き凛太郎の方に上体を乗り出した。その動きに合わせて凛太郎が顔をあげる。
「なに?」
「まだ、今日のデート終わってねぇけどさ、また、デート誘っていいか?」
 何事か考えている風に見える凛太郎に、修一はその返事が良くないものかと心配してしまう。楽しいと感じてくれていたならまた行こうと言うだろう。今日は色々アクシデントがあったから、一抹の不安が心にのぞいてしまった。しかしそんな事は杞憂に過ぎなかった。にっこりと微笑んで、凛太郎が修一を見る。
「……修ちゃんとなら、いつでもいいよ。楽しいからね」
 テーブルに向かい合わせで座り微笑み合う。とても静かで、暖かい時間が過ぎていった。


(その3へ)

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