日曜日 思い出のチョーカー(その1) 昨日の土曜日は半ドンだった事もあって、あまり凛太郎を悩ます事は起きなかった。一昨日一昨々日と同じような半日を過ごせた。 そして日曜日。この辺りだと、例年五月は非常にいい天気に恵まれる。今年もそのようだった。朝から過ごしやすそうな爽やかな天気になった。 今日の待ち合わせ場所は、昨日の内に決めていた。駅前に9時。ちょっと早いかなとも思ったが、学校に行くと思えば丁度いい時間だった。それに凛太郎としては、あの店の周辺を十分探す時間が欲しかった。修一は、もっと遅くがいい、とごねていたが。 今、八時二十分。山口家から駅まで二十分。せっかく一緒に手伝ってくれるという修一と笑を、言い出しっぺの自分が待たせるのはまずいと凛太郎は思っていた。だからそろそろ家を出ないと間に合わない。しかし、問題が。 服が決まらない。千鶴が買ってくれた服の中には可愛い女の子の服があったけれど、どうしても着る気になれなかった。自分が男である事を自ら否定してしまいそうだったし、それを着る事で、修一に対する自分の気持ちが出てしまうのを恐れたからだった。 男だった時のジーンズを穿いてみるが、見事に腰が引っかかり上まで上がらない。確か女性化した初日は穿けたのに何故だろう? 仕方なくダボっとしたチャコールのカーゴパンツを穿いてみた。ポケットも多いし腰も余裕があって入った。 トップスは、絵柄が入ったベージュの長袖カットソーに、デニムのジャケットにした。あくまでも男っぽく見せたかったから。 鏡で見てみると、胸が出ているためにジャケットの前身ごろが開いてしまう。 (ありゃ? なんで? あ、胸があるからうまくしまらないんだ……。ブラしてるし変に見えないよね。胸のポッチも見えないし) あまり考えないようにして、足ポケットにタオル地のハンカチを二枚左右に入れる。それから携帯を右に、メモ帳とボールペンを左に入れた。お尻のポケットには財布を突っ込む。 時計を見ると既に八時半。急がないと。 机の上にある包装紙で包まれたものを手にとった。赤地に金色で模様が描かれている。一瞬ポケットにそのまましまおうとしたが、直ぐに机の横においてあったディバッグを取り上げ、カーゴパンツに入れていたものを財布以外全部突っ込んだ。そして包装紙で丁寧に包んだ品物は、バッグの小物を入れに入れた。皺にならないように慎重に。 そのまま一本しかないストラップを引っかけ、一階まで駆け降りた。リビングの前を抜けようとした。室内では千鶴が新聞を読んでいる。 「あら? 凛ちゃんその格好でいくの?」 千鶴が意外そうな声で聞いてくる。 「えっ? 変かな? いつもと変わらないようにしたんだけど」 その物言いにちょっと不思議に思った凛太郎が聞き返した。男の時とほとんど変わらないと言うのにどうしてか。 「凛ちゃん、せっかく買ったんだから、スカート穿いて行けばいいのに。あれ可愛いわよ」 ニコニコしながら千鶴が言う。連休の時は頑強に購入を拒否した凛太郎だったが、千鶴に説得され数枚のスカートを買って来ていた。デニムありミニあり。確かに凛太郎もそれを見た時は「あ、可愛いな」と思った。けれど、それを自分が穿くとなると話は別だった。 母の申し出を聞いて凛太郎が肩が重く感じた。 「……お母さん、僕女の子の格好したくないからこれ着てるんだよ? なんでスカート穿かないといけないの。大体あれってほとんどミニじゃんか」 ぷーっとふくれながら、凛太郎は抗議したが、千鶴はいたずらっぽく笑いながら指摘した。 「来週からは制服で学校行かないといけないのよ。 少しは慣れた方がいいと思ったんだけど。あ、前言ったわね」 凛太郎は悪気があるのかないのかよく解らない母をしばし睨んだ。そしてリビングの時計が目に入った。既に八時三十五分を回っている。 「あ! やばい、待ち合わせ。その話帰ったらするからね! 行ってきますっ」 だだだっと廊下を駆けて行き、玄関でハイカットのシューズを履き、大急ぎで自転車で飛び出して行った。 (ひー、遅れちゃうよお) 下りの坂道を全速力で駆け下りる。流れる町並みが後方へ溶けていくようだった。 (あ〜もうっ、修ちゃん達来ちゃってるよな。怒ってるかなぁ) 恐らく修一が凛太郎に怒ることはないのだけれど、なんとなく心配になってしまう。凛太郎自身が遅れるのが嫌だというのが大きかった。 大きな交差点に差し掛かった。もう少しで渡れるか、と言うところで信号が赤になってしまう。凛太郎は思い切りレバーを握り急ブレーキをかけ、甲高い不快な音を立てながら車道一歩手前で停まった。直ぐに携帯電話を取り出し時間をチェックすると八時五十分だった。 (まずいまずいって。もう時間ないよっ。早く信号変われ〜) 歩行者信号を睨んだけれど、なかなか変わらない。凛太郎は千鶴との話をふと思い出した。 (なんかお母さん段々僕の事女の子だって思って来てないか? からかわれてんのかなぁ) ペダルを踏み出しやすい位置にくるくる回しながら、いらいらと待つ。 (僕がしっかりしてないと、ほんとに女の子にされちゃう気がするよ。気をつけなくっちゃ) そんな事を考えているうちに、交差している道路の信号が黄色に変わった。凛太郎は少し前傾姿勢をとり、スタートダッシュを決めようとする。 (あ、もう変わるな。いち、に、さんっ!) 赤に変わった信号を確認すると、三つ数えて思い切りペダルを踏み込んだ。勿論歩行者信号は見ていない。大抵の全赤信号だと交差する道路の信号が赤に変わって三つ数えると自分側の信号が青に変わる。ここもそうだった。何年も住んでいるのだからその位把握していた。 凛太郎は全体重をペダルに込め、加速していった。 * * * * * * * * * 八時四十五分。修一と笑は駅裏の自転車置き場に到着していた。自転車置き場は駅前の空き地に設けられた簡易のもので、もう少し行くと地下駐輪場がある。しかし地下駐輪場は有料の為、専ら平置きできるこの自転車置き場が重宝だった。修一達はもう凛太郎が来ているかと思ったけれど、まだ来ていなかったので所定の場所に自転車を預け、凛太郎が来る方向を見ながら待つことにした。 「めっずらしいなぁ。リンタが俺より遅れるなんて」 大抵待ち合わせると修一が遅れていた。 「お兄ちゃん、女の子待たせるのサイテーだよ」 「……その頃はリンタ男だって。今日は早く来てるだろっ」 笑がからかっているのは解っていたが、修一はまじめに反論していた。 「あ〜、じゃ凛ちゃんが男だったら、今日も待たせてたんだ。益々サイテー」 冷たく笑いながら笑が追い打ちをかける。それを聞いて修一はあからさまに不機嫌そうになった。 「お前なっ、あんまり変な事言ってるとここで帰らせるぞっ」 道路に背を向け、ガードレールに座りながら下から睨むように言ったが、笑には全然通用しない。 「いやっお兄さまっ、凛ちゃんに会うまで返らせないでぇ〜」 すがりつくように修一の袖を引っ張りながら、笑が修一の顔を覗き込む。修一はそっぽを向いた。 (まったく調子がいい奴だよ) そのまま二人は無言で凛太郎を待った。 修一が時計を見ると八時五十分を回っている。 (あいつ、どこかで事故ってんじゃねーだろうな?) 少し心配になりながら、背筋を伸ばして凛太郎が来る方向を見るがまだ影も形もない。そわそわしていると笑が切り出した。 「……凛ちゃん学校でどんな感じ?」 足をぶらぶらさせながら、道路を見つつ修一に聞いた。性別が突然変わってしまう混乱。友達から色々な目で見られる羞恥。凛太郎を取り巻く状況を考えると、笑の小さな胸は痛んだ。 「言ったろ? なんとかやってるし、俺が一緒にいて守ってるから大丈夫だって。お前が心配してもしょうがねーの」 修一は自信満々で言うが、笑からすると修一が守るというのが一番心配だった。話を聞いていると、守っていると言うより、彼女にしたいが為に悪い虫から守っているように思える。 「これからずーっと女の子だったら、お兄ちゃんは凛ちゃんに告、」 「お、来た来たっ!」 笑が重要な質問をしようとした時、凛太郎の姿が修一の目に入った。笑の話など聞いている余裕はなく、仕方なく笑も凛太郎が来た方向を見た。 (やっぱり、二人って付き合うようになっちゃうのかしら?) 笑にとっても、当然の帰結のように思われたけれど、まだ信じたくない自分がいた。 「ごめんねっ、遅くなっちゃった。待ったでしょ?」 修一達の目の前で停まり、息を切らしながら凛太郎が言った。修一は前日読んだマニュアル通り、答えた。 「いや、全然待ってねーって。俺達も今来たとこだもんな」 ニコニコしながら笑にも「な?」と促す。笑はと言えば覚悟していたとは言え凛太郎の変貌ぶりに言葉が出なかった。 自分の家に来ていた、あの年上とは思えない可愛らしい少年は、顔の印象は確かに以前と似ていたが、見事な美少女になっていた。さらさらな髪に白い肌。今は自転車を漕いで来たから少し頬が赤い。デニムのジャケットとカーゴパンツで解らないようにしているが、円やかな身体の線はどう見ても女の子そのものだった。おまけにちょっと悔しいことに自分より胸がある。 「笑っ、リンタに挨拶は?」 まるで幼稚園児に言うように、修一が言う。笑が凛太郎を上から下までじーっと見たくなる気持も修一には解ったが、それはとても凛太郎には嫌な事だと思っていた。だから敢えてきつく言ってしまった。 「あ、凛ちゃん、おはよう、ございます……」 「凛さんだっての」 ゆっくり凛太郎を見ながら、ペコッとお辞儀をした笑に、修一が言い方を正した。 「あ、笑ちゃん、凛ちゃんでもなんでも言いやすい方でいいってば。『凛さん』て言いにくいよね」 凛太郎にも笑がショックを受けているのが解ったから、何とか笑をほぐそうと言葉を掛ける。 「ご、ごめんなさい。凛ちゃ、さんがあんまり可愛くなってたから、びっくりしちゃって……」 笑は素直に自分の気持ちを言葉にした。こんなに可愛かったら修一もおかしくなるのが解る。女の笑でさえも可愛い、と思ってしまったのだから。 凛太郎は「僕ってやっぱり可愛いんだな」とまんざらでもない気持になったが、直ぐに「僕は男」と呪文のように訂正していた。 「ちょっと待ってて。自転車置いて来ちゃうから」 そう言うと籠に入れていたディバッグを肩に担ぎ、歩道を押し歩いていった。 「……お兄ちゃん」 笑が凛太郎を目で見送りながら言う。 「なんだよ」 「あんなに可愛かったらお兄ちゃんが運命感じちゃったのわかる」 「だろっ? すっげー可愛いもん。やっぱ俺とリンタって……、」 「でも、これから先ってライバル多くなると思うよ」 「……」 好き勝手な事を言っていた兄妹の元に、凛太郎が走って返ってきた。ディバッグはたすき掛けにしている。 「お待たせしました。じゃ、行こう。……修ちゃん? どうしたの?」 軽く会釈しながら凛太郎が言った。修一は凛太郎の姿を見て硬直してしまった。 なぜなら。 今まで学校ではずっとジャージだったし、通学時の鞄は手提げだった。ジャージは身体の線が見えないし、鞄もそれを強調する事はなかった。しかし今日の場合、ふくよかな胸がデニムのジャケットを割って出てその姿が見えていたし、シャツ(修一の辞書にカットソーという言葉はない)は、ブラジャーの模様が浮き出ているように見える。そして最強だったのは、ディバッグをたすき掛けしているせいで、ストラップが胸の谷間を縦断しハッキリクッキリその形を見せていたからだった。 (リンタぁ、そりゃいくらなんでも反則だって……) 兄の邪な目線に気づいた笑は、凛太郎が掛けているバッグに手をかけた。 「凛ちゃん、お兄ちゃんがディバッグもってくれるって。だよね?」 振り向きながら修一を見つめる目は「スケベ、サイテー」と言っているようだった。さすがの修一もちょっと反省した。 「あ、ああ、俺持ってやるよ。うん、俺が全部持つって。はは」 どことなくぎこちない言い方になってしまう。 「え? でも悪いよ。これあんまり中に入ってないから軽いし。あ、そうだ」 バッグを手に抱え、外側の小物入れのジッパーを開ける。中から綺麗な包装紙に包まれた薄いモノを取り出した。 「修ちゃん、これ、ありがとう。ちゃんと洗濯したから。僕が」 学校で言い合いをした時、涙を拭くために修一が貸してくれた皺のあったハンカチ。ちょっと違う事にも使ってしまったが、それは勿論修一には内緒だった。 (僕がって、余計だったかな。なんか恩着せがましいか) 言ってからちょっと後悔したが、そのまま差し出した。 「う、リンタが洗ったのか? あ、りがとう……」 かわいい感じの包みを受け取りながら、修一は自分の顔が熱くなっているのを知った。 (これって、他人が見たら彼女からぷ、ぷれぜんと貰ってるみたいじゃないか? リンタからプレゼント) ニコニコした表情の凛太郎に対して、修一は見るからに固くなっていた。その様子をじっと見ていた笑が二人の間に割り込む。 「はい、凛ちゃんディバッグお兄ちゃんに。そろそろ行きましょ」 パッと凛太郎からバッグを受け取ると、そのまま修一の胸にドンと突き出した。慌てて修一が受け取ると、笑は凛太郎の腕を取って駅に歩き出してしまった。 修一は凛太郎のディバッグをたすき掛けに肩からかけると、一人後ろから二人の後をついていく。凛太郎と笑が見ていないのを良いことにニヤニヤしながら。 (うぉ〜、リンタの胸が当たってた部分がっ俺の胸にっ) ものすごく幸せな修一だった。 * * * * * * * * * 凛太郎、修一、笑が住んでいる町から「ボディメイト」という店があった駅まで、電車で二駅。快速電車なら一駅。三人はホームに入ってきた電車に乗り込んだ。 休日の朝だというのにそこそこ人が乗っているが、席はぽつぽつ空いていた。凛太郎を挟んで三人で並んで腰掛ける。 電車が発車する少し前から、凛太郎が今回の件を話し始めた。アトピーが治るだろうとネットで見た店に行ったこと。そこでいやに綺麗な女性店員がいたこと。使用上の説明が普通とは違っていたこと。寝ている最中に何かが変わっていくような感じがしたこと。女性化した後行ってみると、そこには何も無かったこと。ネットの広告も無くなっていたこと。凛太郎の表情は次第に暗くなり、俯いていった。 以前修一も千鶴から話は聞いていたが、掻い摘んだものだった。改めて聞くと少し異様に感じる。それは笑も同様のようで言葉も無く聞き入っていた。二人の背筋に寒いものが走った。 「……それでね、病院から帰って来てから寝てたみたいなんだけど、夢を見たんだ……」 「夢って、どんな?」 笑が尋ねる。 「……その、女の人がさ、もう、戻れないのよって……」 記憶が蘇り、凛太郎自身もつらい。その表情を見て、二人の感情も沈んでしまう。修一は敢えて明るく言った。 「それって夢だろ? リンタの中であんまりショックだったから、そう思いこんじまったんだって。夢ってその人が考えてるのが出るって言うだろ。だからだよ。絶対戻れるって。方法はきっとある。なぁ笑」 突然ふられた笑も修一に同調する。 「そうそう。戻れるよ凛ちゃん。みんなで探せばきっと見つかるよ」 凛太郎の膝の上に置かれた手に、笑が手を乗せながら言った。凛太郎はその行為にちょっとビクッとしたが、その手を引っ込める事はしなかった。多分以前の凛太郎だったら、肌を気にして手を引っ込めていただろう。スキンシップは基本的に苦手だったから。 「……うん、そうだね、夢だし。きっと見つかるよね……」 俯いていた顔を上げ、二人に微笑みかける。 「ちゃんと戻れるんだから、今は楽しんじゃおうよ。男の子なのに女の子の体験出来るなんて普通無いよ。男の子も楽しいんだろうけど、女の子だって楽しいもん」 笑が突然言い出した内容に、修一が凛太郎に見えないように笑を威嚇した。 (ばかっ、お前なに言い出してんだ?! それ違うだろうっ。リンタ益々落ち込んじまうって) それでも笑は意に介さず続けた。 「落ち込んでても、そうじゃなくても状況は変わらないし、方法見つけるまでは前向きに行けばいいじゃない。あたしと一緒にお買い物行ったりするのもきっと楽しいよ。ね」 (……そこに持っていきたかったのかよっ) 修一は頭を抱えつつ凛太郎の様子を窺った。変に落ち込んでいるかと思ったけれど、凛太郎は意外に冷静そうに見えた。 (女の子でいる事を楽しむか……。男なのにいいのかな? 方法が見つかるまで……。見つからなかったら、一生女の子? あう、これが後ろ向きなんだ、見つかるって思わないと。でも、女の子でいるって恥ずかしいばっかりなんだけど……) 色々考えてしまうが、最後には笑に聞いてみた。 「前向きに楽しむか……。その方がいいような気もするけど……。楽しいかなあ?」 凛太郎は笑に向かって「どうなんだろ?」と小首を傾げている。笑は「うん、うん」と頷き目をきらきらさせながら凛太郎を見ていた。 「ま、馬鹿の言うことはほっといて。前向きってのはいいと思うぞ、俺も」 「なんで馬鹿なのよぅ」 笑がぶーたれながら抗議するが、修一は無視した。 「リンタは何でも後ろ向きに考えがちなんだよ。女の子って立場利用して、クラスの女と仲良くなっとくと男に戻ったとき良いんじゃねーか?」 修一の言うことも頓珍漢だったが、凛太郎も前向きになることだけは必要だと感じていた。 「うん、前向きに、だね。あっと、もう着くよ」 車内アナウンスが聞こえ、三人を乗せた電車が目的の駅に滑り込んで行った。 * * * * * * * * * 駅から歩き路地をいくつか入っていく。三度目の来訪だったから、道は解っていた。日曜日の九時半過ぎ、人通りはまだ疎らだった。 凛太郎が「店があった場所」という所に着いたが、やはりそこには該当する店は無かった。千鶴と来たときと何ら変わりが無かった。 周囲を隈無く探したけれど、店の看板も見つからない。それどころか店舗改装の為に工務店の人たちが出入りをしている。 十時少し前になり、周りの店舗も開店し始めた。三人は手分けして近所を聞き回ったが、千鶴が尋ねたときと同様に皆口々に「そんな店舗はなかった」と言うだけだった。 店舗があった「はず」の周囲二十件程の聞き込みが終わった時、時計は十時半を回っていた。さすがに三人とも見ず知らずの年長者に尋ね回るのは神経が疲れた。特に凛太郎は元来が引っ込み思案だったから、外向的な修一や笑とは違った疲労感と、「こう言えば良かった」などと言う自責の念に駆られていた。 「ごめんね。収穫、なんにもなかったね。ほんとごめんなさい。無駄な時間にしちゃった……」 無理に「自分は大丈夫だから」という感じの作り笑いしながら、凛太郎は二人に謝っていた。それでも段々語尾の声は小さくなるし、全然大丈夫には見えない。 「こういうのって直ぐって訳に行かないだろ。手がかりこれだけなら、これからも見に来ればいいだろ。変に謝るなよっ」 努めて明るく修一が言う。そして続けた。 「俺は、ほら、ずっと一緒にいるって誓ったろ? 守るって言ったろ? 休みの時はちょくちょく一緒に来るって。遠慮すんなよ。な?」 (それにそうなれば毎週末デートみたいだし……) 笑には修一の考えがあほらしくなる程透けて見えたが、凛太郎には全く解っていない。 「笑も一緒に来るよっ。お兄ちゃんだけだと心配だもんね〜」 また笑が修一を邪魔するように、凛太郎との間に入って来た。 (何で邪魔すんだっ、こんのガキぃ) 睨み付けて、怒鳴り倒したい衝動に駆られたけれど、凛太郎がこっちをじっと見ている。修一は歯がゆさを押し殺す。 「ありがと……。でも部活とか勉強とかあるでしょ? そん時は一人で来るから。自分の時間大事にしてよ」 少し表情が明るくなった凛太郎が、二人を交互に見ながら言った。すると。 「だめ、一人は絶対だめ」 修一も笑も同時に強く言った。凛太郎はちょっと面食らってしまった。まさかだめって言われるなんて。 「や、でも自分の用事ってあるじゃない? そりゃ来てくれたら心強いけど。……ないの?」 凛太郎は修一にも凛太郎以外に友達もいるのを知っていたし、そちらも大切にして貰いたかった。勿論一緒に来てくれるなんてすごく嬉しいけれど、何か自分が縛り付けているようで嫌だった。笑の交友関係は解らないけれど、自分の時間を大切にして欲しいという事については修一に対しての考え方と一緒だ。 修一、笑が咄嗟に考えたのは「こんな可愛くて鈍そうな女の子を男がほっておく筈がない」と言うことだった。朝から高校生が聞き込みをしているのだからじろじろ見られるのは当然だったが、それとは明らかに違う視線も送られてくる。笑には悪いけれど、圧倒的に凛太郎を見つめる視線が多かった。 「笑は俺の交代要員てことで、極力俺が一緒に行くから。どうしてもダメなときは笑が行くって事で。リンタ鈍いから危なっかしいんだよな」 笑もそこの所は修一に同意している。 「そうそう。交代要員て気になるけど、必ず一緒に行くもん」 笑が大げさに胸を張りながら言った。凛太郎はそこでちょっと思うところがあった。 (笑ちゃんと二人だったら女の子二人だし、あんまり一人と変わんない気もするけどなあ……。って、女の子同士じゃないよっ。何でそうなっちゃうの? 男だってば、僕は男) 修一から見ると凛太郎が「なんか考えてるな」という表情というのは解ったが、一転して赤くなった理由は、ちょっと謎だった。恐らく何か思い当たったのだろうけど、なんなのか検討もつかない。ただ可愛く恥ずかしがっている顔が見られて、嬉しいという気持にはなった。 「む〜、鈍くないよ。修ちゃんが凄すぎるの。僕は普通。なんかよくわかんないけど、わかったよ。みんなで来れば良いんでしょ」 修一も笑も満足げに頷いていた。 (その2へ) |