【学校編】

初日 クラスメイト(その1)


 朝。目覚めの時凛太郎はいつも身体のチェックをしてしまう。目の前の腕を見、起き上がってから胸元を確かめる。ほんの少し期待してしまうけれど、この数日女の子から戻る気配は一向になかった。綺麗な肌を見ると自分が生まれ変わった様に思え嬉しい反面、自分が本来と異なる性別になった事はアトピーを気にしていた代わりに新たに持ち上がった葛藤の原因となっていた。
 今日登校したらどうなるか。冷やかしや噂に上る事も覚悟の上だし、もしかしたら気味悪がられいじめの対象になるかも知れない。そんな事はこれまでだってあったのだから。「凛太郎である」とクラスメイトが認識してくれないという恐れもあったが、元々そんなに親しい人間はいなかった。それよりも修一が守ってくれるという安心感が勝っていた。学校に行った時、一番嫌だと感じるのは、クラスメイトが女の子の肉体を持った凛太郎の姿を見て手の平を返したようになれなれしくなる事だった。
 必要以上に自分の肌の事を気にして、自分から人を遠ざけていた感はあったが、実際に過去のクラスメイトは肥厚した首の掻き傷を見たり、顔の赤くなってしまった部分に視線をやっていたのを凛太郎は知っている。小学校の頃などは鬼ごっこや追いかけっこなど、手が触れる度に嫌な顔をされた事もあった。そんな彼等、彼女等が今の容姿と肌を見たら……。
 今の女の子の容姿は、凛太郎が鏡に写る姿を見てもイイ線を行っていると思っていた。親しくして来た修一でさえ(恐らく)自分の姿に血迷ったのだ。女顔とからかって来た事もある人間が近寄ってこない訳がない、と感じていた。そしてそうなった時、男だった自分の存在意義は無くなってしまうのではないか、そうも思っていた。
「凛ちゃん、早く降りてらっしゃい。遅れちゃうわよ」
 母の呼び声に、凛太郎の思考は中断した。
「今降りるからぁ」
 昨日から女の子の下着を着けていたけれど、やはり少し違和感があった。谷山との話では、今日はジャージで構わないと言う事だったので下着の上にジャージを着た。流石にTシャツは着た。
 授業に出られるか解らなかったが、一応鞄を持って降りて行った。顔をじゃばじゃばと洗い、キッチンへ向かう。既に茶系のスーツを着込んだ千鶴が朝食の支度も済ませていた。凛太郎は母が一体何時に起きて用意をしているのか、いつも不思議に思う。
「今日はお母さん、お仕事休むから。時間かかるといけないからね」
「ごめん、お母さん」
 離婚前から千鶴は仕事を持っていたが、今はかなり責任のある職務に就いていた。凛太郎も仕事に燃える母が好きだったし、時間のない中、主婦業もこなしている母を尊敬もしていた。だからその仕事を休ませてしまう事を、素直に謝った。
「あのね、何時も言ってるけど凛ちゃんと仕事は別の次元の話なの。どっちも一番だけど、どっちか選ぶなら自分の子どもを選ぶのが当たり前なのよ。だから謝らないの」
「うん」

 * * * * * * * * *

 朝食を手早く済ませ、修一を待った。程なくチャイムがなる。
「おはようございまっす。今日は気合い入れて行きましょう」
 修一は今日が凛太郎にとってどう言う日になるか、解っているのかいないのか判断に苦しむ程の陽気さで挨拶をしていた。
 時々凛太郎は修一が羨ましくなる。物事をそれ程深刻に捉えない修一は、負の思いを膨らませ過ぎてしまう凛太郎に取っては正反対の人種だった。自分もこの位になれれば友達も多く出来るのだろうか、そんな考えはいつも持っていた。
「おはよう、修一君。凛太郎の事よろしくお願いします」
 千鶴は丁寧に頭まで下げた。
「いや、千鶴さん、俺は友達として当然の事をするだけですから」
 修一はちらちらと凛太郎の方を見ながら、そして少し照れながら千鶴に返答していた。
「リンタ、お前その格好でいくのか?」
 修一はやっとまともに凛太郎の方を向き、上から下までまじまじと見ながら言った。
「なに? そんなにおかしい? 谷山先生が制服じゃない方がいいでしょうって言ってたから」
 修一の視線を気にして、まるで女の子がそうするように、鞄で胸元を隠しながら言った。
「いや、別におかしくないけどな。そうか、谷山が言ったのか」
 少し残念そうな修一の目の色が気になったが、凛太郎は何も言わなかった。
「さ、遅くなるといけないから、もう行きましょう」
 千鶴は二人の間を通り、先に玄関を出てドアを開けたまま待っている。二人は続いて玄関を出た。

 * * * * * * * * *

 学校に着くまでの時間、修一は間が持たないとばかりしゃべりまくっていた。いわく、自分は車で学校に行くなんて初めてだ、千鶴さんと一緒に出掛けられるなんてラッキーだ、でもけしてやましい気持ちじゃない、きれいな人は貴重です、だの、今度の対抗試合で2年を差し置いて出られるようになった、なんか自分はホープと呼ばれてる、だの……。
 誰に言っているのか、凛太郎は不思議に思ってしまった。大体部活の話はこれまで聞いた事がある話だったし、母が好きだというのも知っている。やましいかどうかは知らないが、一体誰に言い訳しているのだろう。
 凛太郎の頭には昨晩の考えが過っていた。
(……やっぱり修ちゃん、僕のこと女の子として見てんのか……。なんか血迷ってる気がするけどなぁ)
 必死に話を途切れさせないように、話題をふり続けている修一がおかしくもあり、悲しくもあった。
 修一はと言えば、隣に座る少女が凛太郎だとは解っていても、どうしても鼓動が早くなり、思わず視線が色々な所を盗み見てしまう。横から見る凛太郎は、やはり可憐だった。長い睫はくるっと上にカールしている。白い肌に映える真っ赤な唇は、とても扇情的で思わず口付けしたくなってしまう。胸元はなだらかな曲線だったけれど、しっかり自己主張している。足は、残念ながら男の癖なのか膝を閉じずに座っていた。
(これはマイナスだろ)
 思わず開いた膝を指摘しそうになる自分を必死に抑えた。横に座っているのは自分の好きな女の子ではない、親友の凛太郎だと。そして彼は男なのだと。
(なんで俺こんな話してんだ? これ前にリンタに言ってたよな?)
 初対面の女の子に自分をアピールしようとしてる、そんな思いに駆られ修一は自らを恥じていた。
(何をしてんだ、俺。リンタ守るんじゃなかったんかよ。でも、やっぱ可愛いんだよなぁ。俺、やばいのかな……)
 ははは、と乾いた笑いをするに至る頃には、三人を乗せた車は学校の駐車場に到着していた。

 * * * * * * * * *

 この学校は正門をくぐるとロータリー状の庭になっている。左手には部室棟や以前工業高校だった名残の作業棟などがある。作業棟は今は倉庫代わりに使われていた。ロータリーの真ん中には芝生が敷き詰めてあり、山岳部が時折テントの設営練習をしたりしていた。正面にはSRC二階建ての事務棟がありそこが正面玄関となっている。校長室や教務室、職員室、保健室はこの事務等にあった。
 普通登校した場合、凛太郎や修一はこの事務棟には用がなく、そのまま通り過ぎる。事務棟を過ぎるとSRC三階建て第一教室棟に囲まれた中庭があり、2年生3年生の自転車置き場になっている。1年生は部室棟方面に自転車置き場があった。昇降口は中庭の右手と左手にあり1年生と2年生の一部が向かって左側の昇降口を、2年生の一部と3年生は右側の昇降口を利用している。右側の昇降口は教室棟と事務棟と繋がっており、左側の昇降口は教室棟に繋がっている。
 左側の昇降口を右手に折れまっすぐ行くと体育館と武道場に繋がり、左手に折れると第二教室棟へ行くことが出来る。この第二教室棟は理科系の授業や視聴覚室などが入っている。図書室は第一教室棟の三階に入っている。
 部室棟へは第二教室棟から渡り廊下を利用して行き、そこからまた渡り廊下を利用し作業棟へと続く。
 グラウンドは左側の昇降口を通り過ぎるとあり、サッカー場が正面に、その右手に野球場があった。体育館左手は25mプール、右手に武道場、そのまた右手にテニスコートが4面、更に右にはハンドボールコートが1面あった。

 * * * * * * * * *

 凛太郎と千鶴は事務棟前で修一と別れ、一階にある職員室へと向かった。既に教員は全て揃っているらしい。なにやら話し声が洩れ聞こえてくる。
 千鶴は一回深呼吸をし扉を開け中に入った。凛太郎もそれに続いた。入室してきた親子に対して、教員が一斉に話を止め、視線を浴びせた。
「おはようございます。山口凛太郎の母でございます。本日は私事にわざわざお時間を取っていただき申し訳ございません」
 深々とお辞儀しながら口上を述べる千鶴に続き、凛太郎もそれに倣った。
「山口君のお母さん、お待ちしておりました。こちらへどうぞお入り下さい」
 教頭が応接室へ促した。千鶴と凛太郎はそれに従い移動する。後ろからは谷山が後に続いて入って行った。
 応接室には既に校長と理事が二人座っている。手元にはノートPCと生体認証装置が置かれていた。
 凛太郎はこれから本人確認されてからどうしてこうなったかとか聞かれるんだろうなと考えていた。奥に座っている校長と理事はしげしげと無遠慮な視線を凛太郎に浴びせている。顔は言うに及ばず、特に胸元はジャージが透けて胸が見えているのだろうかと思いたくなる程眺めていた。校長など生唾を飲んでいた。
 ソファに座ると理事が話し始めた。
「山口凛太郎君ですね。お話は聞いています。申し訳ないですが個人認証を確認したいと思います。けっして君の事を信用してないという訳ではないですが、やはり中々信じられない話なので」
 丁寧な言葉遣いだったが、端的に言えばそんなうそ臭い話は信じられないと言う事だ。凛太郎にしてもそれは容易に理解できる事だった。本人でさえ信じられなかったのだから。
「一応、病院での診断書もこちらにお持ちしましたので」
 千鶴が横から口を挟む。理事は表面上にこやかに対応した。
「ありがとうございます。そちらは後ほど拝見いたします。では山口君。この機械を覗いて下さい」
 凛太郎は促されるまま、認証装置を覗き込んだ。虹彩がスキャンされ瞬時に蓄積された生徒のデータと照合される。
「……理事長先生、やはり一致しますよ。これは驚きですよ」
 今まで黙っていた校長が低い声で理事に囁き、そして気味の悪いものでも見るように凛太郎をちらりと見やった。
(ああ、やっぱりこういう顔されるんだな。クラスに行ってもそうなんだろうな……)
 予期していたとは言え、露骨に怪訝そうな顔をされればいい気持ちはしなかった。凛太郎は膝に手を置き綺麗に掃除された床を見つめた。
「そうですか……。山口君は我が校で勉学を続ける意思があるのですね?」
 腕を組みしばし上を向いていた理事が凛太郎に話しかける。
「理事長先生、こういう場合は……」
 校長が何事か言おうとするのを理事が制し、改めて話しかけた。
「こんな前例はある筈もないですが、谷山教諭からは君が我が校で勉学を続けたいと申し出ていると聞いています。もう君にも解るでしょうが、偏見もあるでしょうし、からかいや妬み・嫉みもあるかも知れません。それに耐えられますか? 学内での事は学校側も努力しますが、最後は君自身の問題になります。それでも我が校で学びたいですか? もしそうなら、我々もその様に話し合います。君の熱意が知りたいのです」
 理事が学校へ来たいなら来てもいいというなんて、凛太郎には思っても見ない事だった。やはり問題となる生徒は早めに切り捨てる方が楽だというのは、凛太郎にも解っていた。途中で理事に制されたが、校長はそう言いたかったのだろう。彼のように何とか出て行かせようとするのが普通だと思っていた。事がこんなに簡単に運ぶとは、喜ばしい反面少しおかしな気もした。
「理事長先生、僕はこの学校が好きだし、大切な友達もいます。多分嫌な事もあると思うけど、でも今までもあったし、耐えられると思うんです。だからこの学校に通わせて下さい」
 熱意というものをどうやって見せたらいいかは解らなかったが、凛太郎は自分が思っている事を素直に言葉にした。皆がいる手前耐えられるとは言ったものの、やはり不安はあったけれど。横を見ると千鶴がじっと凛太郎を見つめていた。
「解りました。山口君、君は職員室に戻っていて下さい。これからお母さんや教職員の皆さんと話し合いをしますから。結論が出るまで待っていて下さい」
 凛太郎はその場を離れなければならない事に、若干の不満を持ちながら理事に従い退出した。母に自らの希望を託しながら。

 * * * * * * * * *

 結論が出たのは思ったよりも早かった。教職員が授業をないがしろに出来ないという理由もあったろうが、10分程度で千鶴や谷山、理事、その他教職員が応接室から職員室へ戻って来た時は、正直凛太郎は転校だろうと思っていた。だから今日から授業を受けられると知った時は飛び上がらんばかりに喜んだ。女生徒用の制服を着用する事が告げられるまでは。
「えぇっ!? 女子の制服着るんですか? あれスカートじゃないですかっ。僕男ですよ」
 理事や校長を前にして思わず食って掛かってしまった。女の子の身体ではあるけれど、自分は山口凛太郎その人だと言う思いが伝わったからこそ、学校側も凛太郎が登校するのを許可したのだと思っていた。
「確かに君は山口凛太郎君ではあるけれど、今の姿で男子生徒の制服を着せて置く訳にも行かないんだよ? 我が校は男装を容認する学校という噂が立っても困るんだ」
 校長が厳しい顔をして凛太郎をたしなめた。校長としては問題を抱えた生徒を何とか処分したかったが、理事が認めてしまった以上従うほか無かった。ただなんとしても学内の混乱と問題を抑えたい一心で、理事に女子生徒の制服を着せる旨を承諾させた。言ってみれば登校させる代わりに女子生徒として生活せよ、という事だった。
 凛太郎にはなぜ周りが自分を女の子として扱いたがるのか理解に苦しんだ。自分は男で、ここの生徒で、姿は変わっても自分なのに。そしてそれは彼らも承知した筈なのに。
 顔を赤くして興奮気味の凛太郎に、千鶴が語りかけた。
「凛太郎、あなたが凛太郎であることは理事長先生や校長先生、谷山先生もみんな理解してくださってるの。でも、学校にも色々都合があって女子を男子と一緒に授業を受けさせられないって。ここは少しだけ辛抱しましょう?」
(どうしてお母さんまでそんな事言うんだよ。女の子として授業って体育とか? 男なのに女の子と一緒なんて)
 凛太郎の心にはやり場のない、怒りにも似た感情が渦巻いていた。男に戻る方法を探りたいがために、好奇な目に晒されてもがんばろうと思っていた。家の中で身体的に楽になる女の子の服装は仕方ないが、衆人環視の中で女の子として扱われるのは、男として屈辱的だ。しかしここでこの申し出を断ればこの学校にいる事が出来なくなるのは明白だった。
「わかったよ……」
 不承不承頷く以外に凛太郎の選択肢は残っていなかった。
「解ってくれて助かりました。では、我が校指定の制服は……、販売店はご存知ですよね。男子と一緒ですから。今日これから販売店に合せに行ってらして下さい。こちらからもプッシュしておきますので一週間程度で出来ると思いますよ。それまでは山口君、すまないがジャージで過ごしてください。先生方はわかってますからね」
「午前中の授業はどうするんですか?」
 当然の疑問を凛太郎は校長にぶつけた。
「特別に午後からでいいから。先生たちも受け持ちの生徒に説明する時間が必要なんだ」
「それって僕の事をみんなに話すって事ですか?」
「そうだ。女子と同じ授業を受けるのだから、当然女子に話さないといけないだろう? 男子には急に一人減って、女子に混ざる人間が増えるんだ。こちらも当然説明が必要なんだ。理事長先生もそうするようにおっしゃっている」
 校長はさも当然と言った具合に答えた。
(僕の周りがどんどんどんどん僕を女の子にしようとしてる……。みんな絶対どうかしてるよ。男なのに)
 遣り切れない思いを秘め、千鶴と谷山と共に廊下へ出た。千鶴が凛太郎の様子を見て切り出した。
「谷山先生はずっと男子生徒として接していきましょうって言って下さったのよ」
「山口君、ごめんね。先生一人の力じゃどうしようもなくって……」
 すまなそうに控えめな視線を送りながら、窺うように凛太郎を見て言った。
「いえ、別に先生のせいじゃ……。でも、僕は男なんです。こんな風になっちゃったけど、男なんです。それだけは覚えていて下さい」
「ええ、わかってるわよ。君が男だって言うのは」
 真剣な表情で訴える凛太郎に、谷山は笑顔で答えた。しかし凛太郎には本当にこの人が自分の苦しみや焦燥、変な目で見られることに対する周囲への嫌悪感を解っているとは思えなかった。
(絶対解ってないよ、この人)
 谷山自身、笑顔を作っては見たものの、目の前のこれから女子生徒になる元男子生徒の気持ちは、計り知れなかった。自分がこの状況に置かれたら、きっと転校を希望するだろうと。何が彼、彼女をここに引き留めているのか。クラスメイトとはあまりそりが合わないのか孤独な少年だった。だから普通こういう場合は付き合っている、あるいは告白したい異性の存在が考えられたが、そんな感じでもない。大体性別が変わってしまったら相手は同性になってしまう。それでは本末転倒だと思っていた。
 この学校の教育制度を気に入っているのか、とも考えた。確かに凛太郎はトップクラスとは言わないが、上位の成績を修めている。だからと言ってこの学校がそこまで進学校という訳ではない事は、教師である谷山が十分承知していた。カリキュラムにそれ程魅力はなかったのだ。
 凛太郎の力になるとは言ったものの、一生徒にべったりは出来ない。可哀想だと思うし何とかしたいとも思ったが、所詮は使われる身だ。理事や校長が右なら、自分も右に行くしかない。理事は口では友好的だが、実際には凛太郎には構うなと、教員に厳命が下っている。生徒が異物を弾きだしてくれるのを待とうと言うわけだった。
(山口君には悪いけど……。あぁ、またそんな目で見つめないでよ)
 なるべく係わらないようにしようと思いつつ考えを巡らせていたが、凛太郎の訴えるような視線(実際にはただ見ていただけだったが)を捕らえ、自らの思考を恥じて顔を背けてしまった。
「先生、遅くなるといけませんし、お店の方に参りますので」
 千鶴は腕時計を眺め、谷山いそう言うと凛太郎を促した。
「あ、はい。こちらは昼からで構いませんので。気をつけて行ってらして下さい」
「ありがとうございます」
 千鶴と凛太郎は軽く会釈すると、そのまま玄関を出て車に乗り込み、車を走らせ始める。
「ねぇ凛ちゃん。あの先生、あんまり、頼りにならないかも」
 走り始めてからしばらくして、千鶴は谷山に対する素直な感想を漏らした。理事や校長の顔色を伺い、おたおたしている様は凛々しい外見からは想像も出来なかった。
 凛太郎は車に乗り込んでから母には一言も発していなかった。窓の外で流れていく景色を見るともなく見ていた。
「……そんなことより、お母さん、僕が女の子になっちゃってもいいの? 学校だと確かに先生たちが言うみたいに、変に見られるかも知れないけど、お母さんは反対すると思ってた。なんで? 僕って息子じゃないの? 息子はいらないの? 肌が綺麗になったら何でもいいわけ?」
 千鶴は目を丸くして凛太郎を見つめ、左のターンシグナルを点け路肩に車を寄せた。
「凛太郎、前にも言ったけれどあなたは大切な息子なの。お腹を痛めて産んだのよ。いらないはず無いでしょう。アトピーだろうとアトピーでなかろうと凛太郎は私の息子なの。学校はね、あの人の、あなたのお父さんの寄付金の事もあって、追い出すわけには行かなかったんでしょう。いい? 仲間外れにされたり、からかわれたり、いじめられたりして、凛太郎から学校を辞めたいって言わせたいの。あの場で制服を着ないって言ったらすぐに辞めてくれって言われてたわ。女生徒は女生徒用の制服を着用する事っていうのが、学校の方針なんだから。学校にいたいならまず我慢して。どんなことも耐え抜いて。ここに居て元に戻る方法を見つけるんでしょう。凛太郎が入浴剤を買った店とか店員を探すんでしょう? それがあなたの希望でしょう? そうじゃないなら、女の子の制服を着るぐらいが出来ないなら、これから学校戻って転入の手続きをとるわよ。お母さんだって、みすみす凛太郎が傷ついて悩む姿なんて見たくないのよ」
 母の勢いに圧倒され、納得出来ない部分も納得せざるを得なくなってしまった。
「どうする? 前にも言ったけれど、凛太郎がしたいようにしていいの。お母さんは凛太郎の意志を尊重するし、選んだ方をサポートしていくから」
「……僕は戻りたいんだ。だからその確率が高そうだったから残ることに決めたんだ。ただ、なんか周り中がよってたかってお前は女になった、女なんだって強制してるように思えて……。みんな物わかりが良すぎる気がしてたから……」
「実際問題として見た目は、かなり可愛い女の子なのよ、今の凛太郎は。みんながそう思っても仕方ないくらい。修一君もそうかも知れないわね、あの様子だと」
 いきなり修一の名前が出され、凛太郎はドキッとした。自分で感じていた懸念を母も感じていた事に驚いた。
「修ちゃんも僕の事女の子って見てる? 昨日来た時そんな気はしたんだけど」
「お母さんが見る限り、一目惚れしちゃってるけど。凛ちゃん大丈夫?」
 昨日今日の修一の様子を思いだし、凛太郎は思わず吹き出してしまった。
「あれ絶対おかしいよ。中身僕だって解ってないよね。解ってるなら変だよ、もう」
「ん〜、変、とばかりは言い切れないけれどね。で、どうするの?」
 千鶴の意味深な言葉に気付かず、凛太郎はシートをリクライニングさせ、背中を伸ばした。ブラでしっかり補正された胸が二つ、ジャージに浮き出ている。
「お気楽な修ちゃんの事思い出したら、覚悟決めたよ。あんまり深く考えないようにする。修ちゃん見習って」
「そう? じゃぁ、お店に行っていいのね」
 確認するように凛太郎の顔をのぞき込む。凛太郎は母の顔を見て、しっかり頷いた。

 * * * * * * * * *

 この学校の男子の制服はブレザーだった。グレーの縦縞のスラックスにブルーのジャケット。シャツは白でネクタイは斜めの縞で、エンジ色と紺色が交互に走る。非常にスタンダードな制服だった。崩れた生徒だと、ズボンを腰で穿いたり、お尻で穿いたりしていた。
 それに比べ女子の制服は、凛太郎が見ても可愛いと思うものだった。濃いエンジ色のジャケットはダブルになっており、ボタンは横に二つ。ウェスト部分はぎゅっと締められていた。ジャケットの下には同色のベストが付くが、ベストは細い大きめのストライプが入っている。スカートは膝丈だった。ブラウスは通常のブラウスではなく、セーラーカラーでブレザーから出ている。そのカラーにはオレンジ色のリボンがあり、ふわふわと胸元を飾っていた。夏服はブレザーの着用はなく、スカートがつりスカートになっている。スカートをつる部分は10センチ近くの幅があり、身体の線を引き締めて見せた。ブラウスは半袖だが冬服と同じくセーラーカラーで、リボンが付く。ソックスは黒が指定だった。
「あらー、お母さんも若かったら来てみたいわね、これ。かわいいわね」
 店内に入るといきなり目を輝かせた千鶴が、思わず本音とも取れる怖いセリフを漏らしていた。
(お母さん、危ないよそれ……。恥ずかしいなぁ)
 平気な顔の母を横目に、凛太郎は少し赤くなっていた。そこへ店員がしたり顔でやってきた。
「失礼ですが、山口様でございますか? 理事長先生からお話は伺っております。こちらのお嬢様でございますね。まずは採寸いたしますのでこちらへいらして下さい」
 慇懃な態度でこちらの返事など聞かず一気にまくしたてると、そのまま凛太郎の背中を押し「こちらへ」とばかりに連れ去っていった。凛太郎は「お嬢様」と呼ばれあまりいい気はしなかった。
 熟練の技で採寸が終わると、既製の制服に袖を通した。鏡で見ると、クラスで見慣れた制服を来た自分が立っていた。
(これは男。女の子の身体の男)
 妙に似合っている制服姿に、自分で確認のための念を押していた。
 フィッティングルームを出ると、すでに母と店員は受け取りの日程について話をしていた。少し離れた場所からその様子を見、マネキンに着せられた制服を見た。
(今度からこれ来て学校か……)
「はぁ……」
 凛太郎の赤い小さな唇から、小さなため息が漏れた。


(初日ーその2へ)

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